緊急時に大切なもの
2月13日(土)23時08分頃、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震がありました。この地震による津波被害の心配はありません。 この地震について、気象庁は緊急地震速報を発表しています。
この速報を聞いてまず第一に思ったのは「またか!」ですね。
最近はあまり大きな地震も無くて安心していた矢先にこれとは。天の時だけはどうしようもないとは思いますが東北に集中してる事については無慈悲だなという印象を受けざるを得ません。
自分も被災した経験があるのでここでちょっと振り返ってみたいと思います。
阪神大震災の思い出
自分は神戸在住なんで阪神大震災でもまともに被災しました。あれからもはや26年という歳月が経ちましたけど個人的にはついこの前だったような気もします。
当時は新聞配達のアルバイトをしていたのですが配達を終えるのが何時もだいたい5時過ぎでそれから軽く横になって朝食をとって学校に登校する日々を送っていました。
あの日も配達を終え軽くひと眠りしようかなと横になって2、30分経った頃、家が揺れました。
「お、地震か」その程度の事しか思いませんでしたが揺れが長い! おかしいなと思った刹那、物凄い縦揺れに襲われました。家具が次々に倒れ下敷きになりましたが真冬で分厚い掛け布団を被っていたので怪我はしませんでしたが。
その時思いました。これは半端じゃないなと。外へ出てみると全壊している家もありこんな事が起こりうるのかと目を疑いましたがその悲惨な光景を眼前にした自分はただ絶句していました。
ですがまだ高校生だった自分は不謹慎にも「やった~、これで学校休める」などといったアホ発言をしてしまい母にどつかれた思い出があります。確かに若気の至りでは済みません。
当時住んでいた家も半壊で家の中はぐちゃぐちゃにはなってましたが一応まだ住める状態でした。
地震に依る火災も酷くて焔に捲かれて燃えていく我が家を成す術もなくただ呆然と見ているだけの人達、その人達の心境は如何ばかりか。それを推し量る事など決して出来はしませんが痛切な思いに駆られます。
何時も配達していた5階建ての雑居ビルは全壊していて、もしあと数十分でも配達が遅れていたら自分も死んでいた可能性もありました。
そしてまた幸いな事に自分達の地域では婦人会などがしっかりしていた所為か毎日の配給や炊き出しが充実しており食に困る事は無かったのです。寧ろ食べ過ぎてちょと肥えたてた記憶もあるぐらいです。
他方カップラーメン1個を1000円で売っていた地域もあり、それを買うしか術がなかったという話を聞いた事もあります。
この差はなんなんだと言う気もしますが恵まれていた自分としてはただただ感謝するばかりです。
灘区では地元の山口組が配給、炊き出し等の支援活動もしていました。
本当に感動します。今のコロナ対策も同じですがこういう時の国の対応の遅さにはやり切れません。
ですが良い事ばかりでもありません。
震災のどさくさに紛れて火事場泥棒を働いていた輩も沢山しましたね。近所でも金融機関やコンビニATMは悉く破壊され、宝石、貴金属店も大きな被害に遭っていました。
遠くの銭湯やパチンコ店に行ってた事も今にして思えば懐かしい限りです。
3.11
東日本大震災の時も自分は東北へ復旧の仕事に出張で行っていました。
こちらは阪神大震災とは比べものにならない規模の被害状況で現地に赴いてからも愕きを隠せませんでしたけど阪神との違いはやはり津波に依る被害ですね。
でも一番の違いは人間性だと思いましたね。無論これは自分の主観に過ぎないかもしれませんが東北の人達は人間性が優れています。何も阪神地方が悪いという訳でもないですが少なくとも自分の地元よりは良いと感じました。
阪神大震災の頃は地元の役所でも職員に喰って掛かる人が多かったです。何を言ってるのかはよく分かりませんでしたがとにかく凄い勢いで罵声を浴びせて泣いている職員もいました。
東北で地元の人に聞いた所そんな事は聞いた事もないと言っていました。
それと火事場泥棒もほとんど無かったみたいです。
とにかく親切な方が多いという印象を受けましたね。
緊急時に大切なものとは
今はネットもかなり普及していて便利になりましたし、普段からある程度の危機感を持って緊急時の為に備えをしっかりしておく事も必要だとは思いますが、結局一番大切なものは「助け合いの精神」だと思います。
尤もらしい事を云ってるように感じる人もいるかもしれませんが、これが無ければ何をした所で意味はないと思います。
今こそ現代日本人の人間性が問われているのではないでしょうか。ちょっと不謹慎な言い方かもしれませんが自分にはそう思えます。
今年で東日本大震災からも10年が経ちます。本当に早いですね。
そんな節目の年に皮肉にもまた大地震が来るとは思いもしませんでしたが被災された方々の御無事をお祈り申し上げます。
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