サメとワニ
七章 ─無明─
この雄二の言動にはまたもや雄一を憤らせるものがあった。
雄一は言う「やはりお前は変わったな、昔のお前じゃないよ」
「ああ変わったよ、人間変わるもんなんだよ、悪いか?」
「お前の変わり方は頂けないという話だよ」
「分かんないな~、何が悪いんだよ、俺は今や一流企業の部長なんだよ、いやもっと出世するよ、こんな小さなラーメン屋ごときに文句言われる筋合いなんかないんだよね」
「何? もういっぺん言ってみろコラ!」
母が割って入る「もう止めなさい」
「母さんは黙ってなよ」と雄二は見下したような態度に出る。
雄一は拳を握りしめていたが小さな子供がいる前なので流石に暴力は控えた。
「どうしたんだよ、何時ものように殴れよ、いくら殴られたって俺は変わんないけど」
やがて子供達が泣き出した。純粋無垢な子供はそういう空気を察し易いのだろう。
そうして雄二親子は帰って行った。
あいつは一体何をしに来たのだろう。嫌味を言う為にわざわざ来たのかと雄一はあれこれ思いを巡らす。
雄二達が帰った後もみんなは釈然としない気持ちで家中は静まりかえっていた。
息子の真治が言う「お父さん達喧嘩してるの?」と言葉少なにゆっくりと。
雄一は「そんな事ないよー」と真治を抱きかかえた。
夏になり雄一のお婆ちゃんの初盆という事で母の田舎である長崎に家族四人で帰る事にした。
長崎といっても島原半島のド田舎でそこには牛や豚、肥溜めまでもある。
だが自然に包まれた樹々に山々、澄んだ空気、そして澄んだ人々の目、それらは決して都会では見られない風景であった。
母はそんな田舎で生まれ育ち市内には遊びに行った事もないらしい。
すれ違った女性が「あらたえちゃん、久しぶりじゃない、帰ってたのね」と親しげに声を掛ける。
「すえちゃんじゃないの、久しぶりやね~」
といった感じでお互い旧交を温めていた。
母の実家に辿り着くとお爺ちゃんが部屋で煙草を一服していた。
顔には深い皺を刻み渋い表情で遠くを見つめながら独り佇んでいる。
みんなで「ただいまー」と言うと
「おう、おかえり~」と実に優しい声で迎えてくれた。
母が一応の挨拶を済ますとお爺ちゃんは
「雄一や、雄一や、元気しとったか?」と頻りに云う。
「はい、お爺ちゃん元気してましたよ」
「そうか、そうか、わしは雄一だけが生き甲斐なんじゃ」
ととても嬉しそうに笑う。
長男で母が里帰り出産で産んだ子だったので雄一にとっても長崎は故郷であった。
長崎では初盆には灯籠を川に流す風習がある。それは美しくも儚く、初めて見た者には心を洗われるような神秘的なものであった。
みんなはお婆ちゃんの初盆の供養を済ませ一日は実家で次の日は市内の温泉で一泊して帰る事にした。
別れ際までお爺ちゃんは「雄一、雄一、また帰って来いよ~」と言い続けていた。
故郷を後にした電車の中で母は言う。
「お爺ちゃん結局雄二の事は一言も口にしなかったでしょ」
確かにそうだった。
「何でか分かる?」
「・・・」
「あんたはこっちで産まれた長男だから私にとってもお爺ちゃんにとっても一番可愛いし印象深いものがあるのよ、だからこそあんたには長男の穀潰しになって欲しくなかったけど、こうやって立派に親孝行してくれてるし嬉しい限りよ」
「当たり前の事じゃないか」
「そうかもね、でもやっぱり雄二の事は気に掛かるわ」
「気にする必要なんてないさ、この前も俺は耐えてただろ」
「それはいいのよ、でもあの子、もしかするとその事で嫉妬してるのかもね」
「考え過ぎだよ」
「そうならいいけどね、ただ今回も誘ったのに来なかったしね」
「忙しかったんだろ」
「・・・」
家に帰りまた日常が始まる。
一家は商売に精を出して毎日を充実した思いで過ごしていた。
或る日物々しいスーツ姿の男達5、6人が店に来た。どうも客ではないような感じだ。
話を訊くと再開発の件で伺ったのだと言う。
金はいくらでも出すから立ち退いて欲しいと言うのだ。
雄一もみんなも猛反対した。
「何言ってんだよ、いくら金を積まれてもここを立ち退く義理なんてねえんだよ」
「そこを何とか」
言葉使いは至って紳士的ではあるが言っている事は地上げ屋そのものである。
問答しているうちにもう一台の高級車が店の前に停まった。
運転手にドアを開けられそこから出て来たのは紛れもなく弟の雄二であった。
|