日常生活で感動した事
感動した事といっても、ま~最近はコロナの影響で外出が激減したとはいえ非常に少ないですね。でも一応あるにはあるので軽く紹介してみたいと思います。
まず感動とは
感動とは物事に深い感銘を受けて強く心を動かされる事。亦は感情,情動,気力などを含む総括的用語で精神機能を知,情,意に分類する場合の情にあたる。とされています。
ま~端的に言えば知性、感性、理性、品性の中の感性に位置し、心を揺さぶられる事と言って良いでしょう。
でもそれは人間が誰から教わった訳でもなく持って生まれた「喜怒哀楽」この四つの感情から生み出されるものであって、ただ嬉しかったとか、涙したとか、そういう類のものではないような気がします。というのが持論です。
相変わらず硬いですね 😅
汗を拭ってくれた先生
これは遠い昔話で自分が中学一年生の頃のエピソードです。
自分は結構背丈が高い方だったので学校の朝礼や集会等で整列している時は何時も一番後ろか後ろから二番目という位置でした。
入学当初気慣れない分厚い学生服を着て晴天の下で立っていると汗かきな自分は早く朝礼終わってくれないかなと苛立っていました。
すると後ろから誰かが自分の汗をハンカチで拭ってくれているのです。
額から頬、顎、首と丁寧に何度も拭いてくれました。
ビックリしましたがそれは国語を教えてくれていたまだ若い女の先生だったのです。
勿論有難い話なんですが恥ずかしい気持ちもあってその場で「有り難う御座います」
とは言えずに寧ろそれによって益々汗の量が増えていました。情けなくもカッコの悪い話です 😢
入学当初は二三度ありましたが、その後してくれなくなったのはその先生も自分が恥ずかしがっている事に気付いたのかもしれませんね(笑)
しかしあの先生は何故あんなに優しかったのかとか世の中あんな一もいるんだなとか、あれから30年も経った今頃になってふと思い出したのです。
ま、淡い青春の思い出です^^
地下鉄の階段で倒れた女性を介抱してくれた人
これは最近の話なんですが地下鉄海岸線の構内の階段は長いです。自分は運動不足解消の為極力エレベーターやエスカレーターは使わないようにしていますがその時も階段を上って帰ろうとしていました。
すると直ぐ前を歩いていたおばさんが躓いて倒れたのです。
前に転倒した時「ドン」というような鈍い音が直ぐ後ろにいた自分には聞こえました。そしてそのおばさんは額から血を流して動きませんでした。ただ意識はあったので一安心しました。
自分は「大丈夫ですか!? 今直ぐ救急車呼びます」と言ったもののポケットに手を入れると電話を持っていないのに気付きました。しまった~と思いましたが後の祭りでどうすれば良いのか分からずおばさんの血を拭いているのが精一杯でした。
すると上から一人の男が降りて来て「どうしました?」と声を掛けてくれて直ぐに119番通報をしてくれました。そして自分は改札まで走って行き駅員にその事を伝えると、駅員は担架を用意しておばさんを乗せて階段を上がり地上まで運んで行きました。
自分が駅員に伝えに行っている間そのおばさんを介抱してくれていた男性には本当に感動しましたね~。というよりまず声を掛けてくれた時点で軽く感動しました。
当たり前の事で小さい事かもしれませんが少なくとも自分は感動しました。今の時代何を見ても何が起きても我関せずで対岸の火事を決め込んでいる人が多いような感じがするのですがその人のとった行動はそうでは無かったのです。
これはただ自分が余り世の中を悲観的に見ているだけでしょうか。
「でも中にはこんないい人もいるんだな、世の中捨てたものでもないか」と少し明るい気持ちになった事は確かですね 😉
その後おばさんは救急車で運ばれて行きましたが勿論無事である事を願います。
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