人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

天人五衰

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 言わずと知れた三島由紀夫の最終作天人五衰今日はこの作品のレビューに挑戦しようと思うのですがはっきり言って自信はありません。まず自分のような凡人が三島作品について語る事自体烏滸がましいのですがその素人目線で率直な感想を綴ってみたいと思います。

 

天人五衰とは

まず天人五衰そのものの意味としては天人五衰(てんにんのごすい)とは、仏教用語で、六道最高位の天界にいる天人が、長寿の末に迎える死の直前に現れる5つの兆しのことで 、以下のものとされています。 

1-衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で油染みる

2-頭上華萎(ずじょうかい):頭上の華鬘が萎える

3-身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭い出す

4-腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る

5-不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる

 

 そして小説「天人五衰」は豊饒の海シリーズの最終章に位置します。

豊饒の海三島由紀夫の最後の長編小説で『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成り、第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれています。

構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっています。 

 

この中で自分が好きだったのは2番目の 「奔馬」なのですが何故かといえばこの回の主人公ともいえる飯沼勲の志が凄まじいからです。この少年は右翼思想に傾いていて明治の神風連に憧れ昭和の神風連なるものを結成して反乱を企てますが結局失敗に終わります。ですが最期は勲の本命であった一人の男を殺害して自分も自刃してしまいます。

 

自分ははっきり言って右左の二元論には興味はないのですけど、この勲の凄まじいまでの志、何があってもそれを全うしようとする一貫性が好きですね。いくら物語とはいえ惚れます。憂国の武田信二もそうですけど時代の違いを踏まえた上でも感動しますね。三島自身の根底にもそういう拘りがあったからこそあんな事件を起こしたのではないでしょうか。ま、これこそトーシローの邪推なのであまり触れないでおきますが。

 

逆に一番好きではなかったのが正にこの天人五衰です。その理由は至ってシンプルで主人公の本多繁邦の扱いが余りにも不憫だからです。最後に転生を果たした人物と思い養子に貰った透に年老いた本多は虐められ惨めな状況に陥ってしまいます。ですがその透も失明してそれまでの元気だった身体を失います。この時自分はザマァと思いましたね。浅はかな考え方かもしれませんがそれが正直な気持ちです(笑)

 

でも硬い話ばかりでなく登場人物は常に恋をしています。ただ一言に恋と言っても単なるラブストーリーではなく悲劇的なものが多いんですよね、そんな切ない恋だからこそ面白いとも思いますが、三島はよっぽどハッピーエンドで括るのが嫌いだったのでしょうか。

 

天人五衰の最後

第1話に出て来る本多の親友である松枝清顕との恋を果たせず月修寺の門跡となるべく出家していた聡子。本多はこの聡子に死ぬ前にもう一度会っておきたいと最期の最期に60年振りぐらいに会いに行く決心をして無事目通りする事が出来たのですが、始めは軽い世間話や昔話をしていていよいよ本題の清顕の事について訊こうとすると何と聡子にすかされてしまうのです 😨😱

聡子は本多の事は良く覚えているのに清顕の事は全く覚えてないと言います。勿論そんな筈はないと本多は反論するのですが聡子は「今目に映っているものが真実とは限らない」とか言った仏教の概念的な事を謳い出します。これには流石の本多も愕きを隠せずにいましたがその後は門跡である聡子が自ら本多を素晴らしい寺の庭に案内して物語は終わってしまいます。

4部からなるこの長編小説のラストがこんな終わり方でいいのかと思いましたね。余りにも切な過ぎます。

聡子はただ惚けていただけなのだろうか。確かに仏教的な観点から言えば聡子の言っている事にも一理はあるかもしれませんが死を悟った本多がせっかく60年振りに会いに来たのにそれはないだろう! というのが率直な感想ですがこの辺にこそ三島ワールドがあるようにも思えます。

本多はその人生で決して過激な振る舞いはせずに賢い生き方を全うしたように思えます。若くして死んでしまう清顕や勲、ジンジャンとは真逆な人生を送っています。それが最期になって一気に形勢逆転、聡子の一言によって80年の長きに亘る人生に一気にピリオドを打たれたと言っても過言ではないような気もします。

やはり三島はハッピーエンドが嫌いなのか? と思うのは素人の浅はかさでしょうか。

 

この天人五衰のラストについては色んな著名人が解釈をしていますが三島本人の真意はどうなのでしょうかね。それこそ真実など誰にも分からない、三島由紀夫自身にも分からない事なのかもしれませんね 😉