人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 二章

  二章

 

 

 小学生になった一哉は相変わらず沙也加とは仲良しこよしでよくお互いの家に行ったりして遊んでいた。

鯉のぼりが蒼空に泳ぐ季節、春の心地に心が柔らかくなった人々の顔には何処となく優しさを感じる。それは子供とて同じでみんなは快活に学校生活を楽しんでいた。

学校の授業では簡単な読み書きや絵を描く事が多かったが元々聡明だった沙也加はすらすらと字を覚えてクラスでも成績は常に上位だった。一哉は沙也加の家に行き読み書きを教えて貰う。すると沙也加は本を読みながらこんな事を言い出した「私は将来、一哉君のお嫁さんになります」と。それを訊いた一哉は照れながらも「何言ってんの?」とすかした。一哉はこの頃はまだ女の子には関心が無かったのだ。それでも沙也加は「いいの、もう決めたの」と強気になって言い返す。そんな微笑ましい二人の姿を沙也加の母も笑顔で眺める。日が沈み出して一哉が家に帰ろうとすると沙也加は「帰っちゃダメ」と駄々をこねたが「じゃあまた明日ね」と手を振って一哉は帰った。

 

翌日学校から帰る頃沙也加はまた坂道で躓いた。近くを歩いていた一哉は沙也加を助けて家までおぶって行く。その道中沙也加は「また一緒になれたね」と言ったが一哉は何も口にせず歩き続けた。

沙也加の母はえらく一哉に感謝して今日はうちで晩御飯を食べて行ってと一哉の家にも連絡をしてくれた。馳走になった一哉はまた沙也加の部屋へ行き二人は何時ものように絵本を読んだり、ママゴトをして遊ぶ。暫くはこんなメルヘンチックな日々が続いていたのだった。

 

時は過ぎ一哉は小学5年生になる。この頃になるともはや子供といえどもある程度は物事の分別がつくようになり一哉も異性に対して関心を持つような男子に成長していた。

夏の烈しい夕立が降りしきる中、一哉の母は急いで洗濯物を取り込もうとベランダに出たがその心配はいらなかった。既に一哉が取り込んでアイロンがけまで始めている。

母はほっとしたが相変わらず必要以上に皺を伸ばそうとするその手つきを見ていると一哉の几帳面過ぎる性格に動揺を隠せない。「有り難う、でももういいから持って行くわよ」と言うと「もうちょっとで綺麗になるから」と言う一哉。そんな一哉を母は発達障害でもあるのかと訝るぐらいであった。

一哉は雨が結構好きだった。水に濡れた物体にはあまり皺が感じられない、水という物質は一哉の心を癒やしてくれるのだった。

理科の授業でも水や液体に触れる事は多い。一哉は他の授業より理科を一番好んでいた。その日の理科の授業では物を水面に浮かす実験をしていた。紙等の軽い物質は当然水面に浮かんだままで一哉がその紙片の浮いた表面を「綺麗だな~」と呟きながら何時までも真剣に眺めていると同級生の一人が「何してるんだよ一哉」と水の中に手を入れたのだ。一哉は一瞬にして頭に血が上りその同級生を殴り飛ばした。すると先生が駆け付け「何してるんだ一哉君、謝れ!」と叱る。一哉は取り合えず謝ったがその同級生は意味が分からず首を傾げる。

教室内は騒然としていたが一哉は一人途方に暮れていた。

俺は何か悪い事でもしていたのか? 確かにあいつを殴った事は悪いが特段何か変な事をしていた訳でもないだろうと葛藤していた。

先生もまだ小学5年生だし子供の戯れに過ぎないと大して慮る事もなかった。

だがその事件は思わぬ方向へ向かうのだった。一哉のした事は学年中に広まり一哉は喧嘩っ早い男として偏見の目でみられるようになる。その噂を耳にした沙也加は愕き、あの優しい一哉君に限ってそんな事をする訳がないと真実を知りたくなり一哉に会いに行った。

一哉は無表情で素直に「ほんとだよ」と言うと沙也加は「何でなの?」と訊く。

「ムカついただけさ」

「何でそんな事で一々ムカつくの?」

「そんなの分かんないよ」

「一哉君変よ」と言って沙也加は立ち去った。

一哉も別に分かって貰いたいとも思っていなくその噂に対しても抗うつもりもなかったが、それからというものクラス内で一哉は無視される日々が続いていた。

それは無気力無関心だった一哉にも何かやり切れない心の陰を落としていたのだった。

 

六年生になり小気味よく晴れ上がった秋の一日、学校では運動会が催される。

小学校の運動会では児童の親御さんらがグランドのそこかしこに陣取り子供達の応援をしている。その声は一段と運動会を盛り上げグランドはさながら祭りの様相を呈してした。

一哉が徒競走で走っている時、母は傍らから「行けー、一哉!」と何時になく勇ましい声を上げる。その声に反応した一哉は見事に一等賞になった。会場では拍手をしているみんなの姿が見える。一哉は素直に喜び改めて自分の運動神経の良さに矜持を持った。

辺りを見渡すと沙也加の顔が見える。一哉は直ぐ沙也加の元に駆け付けようとしたが沙也加は何処となく切ない目をしてこっちを眺めている。それを感じた一哉は沙也加の元へ行くのを躊躇ったが結局は行く事にする。子供心が躊躇う事を許さなかったのだ。

沙也加の元へ着くと親御さんが「一哉君、凄いわね」と褒めそやす。沙也加も一応は拍手をしてくれたがその表情は何か物悲しく見える。沙也加はそのまま次に控える自分の競技に赴いた。

次は女子の徒競走だったが沙也加はまた躓いて転んでのである。一哉は真っ先駆けて競技場に行き沙也加の足を何度も優しく撫でると「有り難う、またまた助けて貰ったね」と沙也加は軽く笑みを泛べている。会場からはまた拍手と歓声が巻き起こった。一哉は一躍ヒーローになった気分がして照れながら自分の席に戻った。

こうして運動会は大いに盛り上がり終焉を迎えた。

紅葉の花が実に綺麗で鮮やかな色を落とす光景は来たるべく冬の到来を示すものでもあった。

 

運動会が終わった後は修学旅行が待っている。みんなが楽しみにしていた修学旅行、子供達は親から小遣いを貰い大きな鞄を提げて意気揚々と出発する。その修学旅行で一哉は生まれて始めて意識する恋物語を演じる事になるのであった。