人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 五章

 年は明けいよいよ一哉は小学校を卒業する事になる。まだ春寒の残っている冷たい空気の中に芽や花の匂いが混じっているこの季節には春の到来を待ちわびていた人々の歓喜の心と、前年度を振り返り各々を評価したり懐かしんだりする思い等が錯綜する。

天真爛漫な子供達はそこまで深く考える事もなかったが、少なくとも一哉と沙也加の二人には感慨深いものがあった。

卒業式当日は実に晴天で澄み切った空を飛び回る雀の鳴き声が心地良く心に響く。みんなは晴れ晴れとした顔つきで式に臨んだ。

校長先生から祝辞が述べられ卒業証書を受け取る。これは何処の学校でも当たり前の事だがこの小学校では今回から特別にその後児童は振り返ってみんなの前で将来の抱負や夢などを大声で発表するといった少し大袈裟なサプライズともいえる企画が先生達の提案で催された。一哉はこういう尤もらしい企画が余り好きではなかったが特段恥ずかしがる事もなく「自分は中学生になっても勉強、運動共に頑張って行きます」などといった在り来たりで平凡過ぎる抱負を語った。

そんな平凡な抱負の発表にも一応拍手は起こり一哉は一礼して自分の席に戻る。

それから百人余の児童が同じようにして各々の務めを全うする。そして最後から3番目の所で沙也加の出番が来た。沙也加は少し間を置いてから綺麗な通る声で「私は将来、好きな人のお嫁さんになります」と発表した。会場からは拍手喝采で大きな歓声が巻き起こる。何時もは冷静沈着な一哉も少し顔を赤らめて拍手していたが、沙也加は何時の間にこんな堂々とした腹の坐った女の子になったんだと不思議に思っていた。

その後一同は仰げば尊しを合唱し会場を後にするのだが、この時には既に泣いている者も結構いて子供達は長かったこの6年間を惜しみつつ来たるべく未来に向けて旅立つのであった。

式を終えた一哉はみんなと少し語らった後家に帰り修学旅行の土産の鳥居のキーホルダーを手に取って黄昏れていた。6年という歳月は確かに長かったが終わってみれば実に短く感じるのは一哉とて同じで神経質な子供は6年間の思い出を細かく振り返っていたのだった。

春休みに入った一哉は二つ年下の弟昌哉と一緒に魚釣りをして遊んでいた。この季節には防波堤から投げ釣りでカレイが釣れる。二人は15cm~30cmぐらいのカレイを数匹釣って上機嫌だった。だが一哉と違って大雑把な昌哉は釣り道具等を綺麗に整頓せず釣り場にもゴミを残して去ろうとする。それを見かねた一哉は注意するが素直に聞かない昌哉を軽く殴った。すると昌哉は「何でこんな事ぐらいで一々怒るんだよ~」と反抗して来る。一哉は「何がこんな事なんだよ! いいから綺麗に掃除しろ」と言い放つ。

昌哉は嫌々ながら当辺りを掃除して二人は家に帰った。

釣って来たカレイは母が煮付けにしてくれてみんなは美味しく食べた。

 

春休みは1週間が経ち4月に入ると街路には桜の花が咲き乱れ少し温もりを帯びた風は軽く頬を撫でる。人々は新生活をスタートするべく大掃除に衣替え、或いは引っ越しをする光景で街は慌ただしい。一哉はこういう忙しそうな雰囲気が嫌いであったがそんな中沙也加が家に遊びに来たのだ。

沙也加の訪問を快く迎えた母は部屋に入るよう促したが沙也加は外に出ようと言う。一哉と二人近くの公園に行く事にした。この公園は保育園時代にみんあが良く遊んだ場所で沙也加が転んで足を擦り剝いた思い出深い公園でもあった。

二人はブランコに乗って身体を揺らしながら話を始める。

「いよいよお別れね」

「何でだよ?」

「だって卒業したし、私は私立のみんなとは違う中学校に行くのよ」

「別に別れる必要までないだろ」

「そうかしら、別々の学校に行くんだからこの先どうなるか分からないわ」

「そんな淋しい事言うなよ」

「そうね」

一哉はブランコから降りて少し真剣な顔つきになった。

「卒業式で沙也加が言った事、愕いたよ」

「何で?」

「だってあんな事言ったの沙也加だけだし、えらく堂々としてたしな、俺はドキっとしたよ」

「何で?」

「何でって・・・」

「あれ一哉君の事だと思った?」

「違うのかよ?」

「だって私達まだ子供よ、12歳よ、そんな先の事なんか分かる訳ないでしょ」

「1年生の頃、沙也加が俺のお嫁さんになると言ってたのは?」

「あれこそ子供の戯れみたいなもんじゃない」

「嘘なのか」

「そんな真剣にならないでよ、今でも一哉君の事は好きよ、でも」

「でも何だよ?」

「だから先の事まで分からないって話よ」

「そうか・・・」

一哉はキーホルダーを沙也加に見せた。

「綺麗なキーホルダーね、一哉君らしいわ」

「俺はこれが大好きなんだ、何故か心が落ち着くんだよ」

「そうなの」

「うん」

「それ、私にくれない?」

「これは流石にあげられないよ」

「やっぱりか、でもそれをくれたら私達はこれからも一緒よ」

「物でそんな気になれるのか?」

「物は結構大事よ」

迷ったが結局一哉はそのキーホルダーを沙也加にはあげなかった。物なんかで人の心を繋ぎたくはなかったのである。

すると沙也加は「良かった、流石は一哉君ね、もしそれをくれたら私一哉君と完全に分かれる気になっていたわ」と安心したような表情を泛べてで言う。

一哉も何故か安心したいた。その後沙也加は一哉の身体を引き寄せて熱い口づけをした。そして沙也加の身体を強く抱きしめる。桜の花びらが沙也加の髪に落ちて一哉がそれを取り「ほら、桜も俺達の事を歓迎してくれてるよ」と笑うと、沙也加は何も言わずにまた口づける。女心が分からない一哉は結局この子は俺の事が大好きなんだと思い込んでいた。

少し小雨がパラついて来たので二人は別れた。

 

家に帰ると母が沙也加の事を訊いて来る。「あの子卒業式では立派な事言ってたわね~、あれ誰の事かしらね~」と一哉の顔を横目で見ながら。「そんなの知るかよ」と言って部屋に帰った一哉はやはりキーホルダーをあげるべきだったのかと悔やんでいた。

しかしそのキーホルダーを握りしめてやはりあげなくて良かったんだと確信に充ちた表情を泛べ窓を開ける。

春の小雨に揺らめく桜の樹々は綺麗ではあったが子供心にも何か淋しい憂愁の陰を落とす儚いものがあった。

 

 

 

 

 

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