人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

3.11~10年前の記憶

 東日本大震災から10年、本当に早いですね。現在の復興状況はどうなのでしょうか。最近はコロナばかりが目立っていてよく分からないのですが自分も地元神戸では26年前に震災を経験しましたのでその悲惨さは痛い程分かります。被災された方々には心からお見舞い申し上げると共に今なお復興に尽力されている皆様にも深く敬意を表します。

 


2011年3月11日自分は部屋で一人国会中継を見ていました。当時は民主党政権で管首相でしたね。その時地震が起きてテレビ画面はぐらつき始め急遽ニュース番組に変わり東北で大地震が発生したとの報道が成されていました。巨大な津波もありその被害は阪神大震災の何倍にもなったと言われています。そして福島原発爆発、その光景は想像を絶するものだと思います。改めて災害の怖ろしさを感じましたね。

当時自分は病み上がりで仕事を長期休養していたのですがそれから2ヶ月が経った5月に知人から電話がありました。

 

福島出張

その内容は福島第一原発に出張に行かないか? というものでした。

はっきり言って迷いました。爆発した所に作業しに行く、いくら単価が良いとはいえ怖かったというのが本音ですね。ましてまだ病み上がりだった自分が行った所で役に立つのかさえ分かりませんし。でも結局単価に釣られて行く事を決心しました。いやらしい話で恐縮ですが。

神戸から新幹線で東京まで行き、上野からスーパーひたちに乗り福島へ。約5時間掛かって着いたその土地は神戸で長年井の中の蛙状態で暮らしていた自分には正に「新天地」といった感じがしました。それから数ヶ月に及ぶ福島県いわき市での生活が始まったのです。

 


宿は一応ホテルでしたが原発作業員で溢れかえっていた為当然個室ではなく3、4人の相部屋でそれも毎日のように部屋の引っ越しを迫られ最後には20人以上の大部屋に移動させられました。でも24時間体制で仕事をしており6時間毎の4直体制だったので意外と部屋での生活は苦になりませんでした。

作業内容は原発内で溶接や配管がメインだったのですがこれも放射線量の関係で上限4時間までしか作業をしてはいけないという決まりがあり実際には1、2時間で終わる事もありました。なので身体が結構楽でしたね。

ただ全国から集まった大勢の人、その中にはガラの悪い連中も結構いてトラブルは耐えません。でもそこで喧嘩などすれば自分達だけではなく親会社まで全てお帰りになってしまうという取返しのつかない状況に陥ってしまうので流石に実際の喧嘩沙汰は無かったですね。

そして大部屋とはいえ海沿いにあったそのホテルは正にオーシャンビューで部屋からの眺めは最高でした ✨  何時も仕事から帰って部屋の窓際で酒を飲んでしましたけど、それでも飽き足らず近くのバーに飲みに行くという結構充実した生活を楽しんでいました 😉

そして風呂好きな自分は日曜は毎週健康ランドに行ってサウナと。贅沢なぐらいですね、すいません 😓

 

感動した事

関西と東北では人間性の違いもあるとは思っていましたが実際にありましたね。

阪神大震災の頃、地元の役所では「対応が悪い」とか窓口で怒鳴り込んでいる人が沢山いて泣いてる職員もいました。福島で地元の人に聞いた所、こっちではそんな話聞いた事もないというのです。ま~普通はそうですよね。言い方は悪いですがやはり民度の違いなのでしょうか。時代背景もあるとは思いますが。

そして感動話というのは街で擦れ違い様に挨拶をしてくれた人がいたんです。勿論全く知らない初対面の人で最初は向こうから歩いて来る女子高生が「こんにちは~」と言ってくれました。自分は慌て少し遅れてから「こんにちは」と言い返しましたが、地元では考えられない事だったので一瞬愕きましたね~ 😮 勿論嬉しかったですけど。

こういう事が3回ぐらいありました。3回目は嬉しいと同時に自分の方から挨拶出来なかったのが情けなかったです。やはり地域制なのでしょうか。

一緒に作業していた仕事仲間の向こうで知り合った人達などとも結構仲良くなりその後も数年間は連絡し合っていたのですが人間関係が下手な自分は今では誰とも付き合いはしておらず、それも情けない話です 😢

 

とにかく向こうでお世話になった人達には本当に感謝しています。

これからも皆様のご無事とご健勝を心よりお祈り申し上げます。