人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 九章

 雨は結構勢いを増し、沙也加の家に辿り着いた頃には大粒の雨滴が容赦なく一哉の頬を濡らす。その雫は自然と頭から顔、顔から身体と流れ落ちて行く訳だが、それを冷たくは感じないまでも心に沁み込む様が実に切ない。一哉はただ黙って沙也加が出て来るのを待っていた。

 暫くして沙也加と母御が表に出て来た。一哉は母御に気付かれる事なく沙也加に近づこうとしたのだがバレてしまう。慌ててタオルを取りに行く母御とただ見つめているだけの沙也加、一哉は己のした事を恥じたが優しく身体を拭いてくれる母御に心は慰められ感謝した。

「一哉君、一体どうしたの? こんなに濡れて、この傘あげるから差して行くのよ」

「有り難う御座います」

「沙也加と話があるのなら学校が終わってからにしたら? こんな状態では大した話も出来ないでしょう」

「分かりました、今日は沙也加ちゃんと話させて貰っていいんですね?」

「いいわよ、じゃあ学校頑張ってね」

 母御に言われるままに学校への道を歩き出す。本当は今直ぐ話がしたかったのだが今日は帰りに出来る、母御にもそう言って貰えたんだ、何の心配もいらない、そう考えると一哉の足取りは自然と軽くなりほんの少しだが安心したような心持になった。

 学校で手に着かない授業を終えた一哉は部活動にも顔を出さずに沙也加の家へ直行するのであった。思春期の子供の気持ちとは実に真っすぐで思い立った事を直ぐ実行する様には何の裏心もなくただ純粋で正直な自然の理にも似たものを感じる。しかし神経質な一哉はその道すがらふと我に帰り色んな事を考えるのであった。

 このままただ正直に真正面から自分の思いを告げて果たして良い結果になるのだろうか、寧ろ悪い予感がする、何か良い手立てはないものだろうか。でも頭の良い沙也加の事だ、如何に言葉を尽くした所で自分の腹は透かされてしまうだろう。逡巡している内に一哉の足は既に沙也加の家の付近に達してしたのであった。

 もはや雨も上がり晴れた空からは雀の鳴き声まで聞こえる。一哉は堂々と沙也加の家の玄関の呼び鈴を鳴らした。朝と同様、母御が出て来て軽く笑みを泛べながらこう言う。

「あら一哉君、早速来たのね、あなたらしいわ」

「傘、有り難う御座いました、お返しします」

「いいのよ安もんだから、使ってちょうだい」

「有り難う御座います」

 すると沙也加は何時ものように落ち着いた感じで姿を現し公園に行こうと言った。

 雨が上がったとはいえまだ濡れているベンチに坐る事を憚られた二人は何時かと同じようにブランコに乗りながら話を始める。

「で、話って何? 今朝はえらく慌ただしそうに見えたけど」

「何って、分かるだろ?」

「何の事? はっきり言ってよ」

「じゃあ言うよ、沙也加、今誰かと付き合ってるのか?」

「そんな事だったの?」

「そんな事って・・・」

「そんな事よ、相変わらずね、もし私が誰かと付き合っていたら何か不都合でもあるのかしら?」

 一哉は暫く黙ったまま俯いていたが意を決したように口を開く。

「何でそんなに冷静なんだよ? 俺の事などもうどうでもいいのか?」

「そんな事ないわよ」

「だったら何で?」

「あなたは不器用過ぎるわ、思春期の私達が誰と恋に堕ちても全然不思議でもないでしょ? そこまで干渉されるのは心外だわ、 あなたも誰かと付き合ってみたらどう?」

「やっぱり噂は本当だったんだな」

「そうよ」

そう訊いた一哉はただ憂鬱な気分になり沙也加には別れも告げずに家に帰った。その晩はご飯もろくに喉を通らない。部屋に入り横になりながら今日一日の出来事を振り返る。確かに俺は不器用だ、手先は器用だが心は不器用極まりない、これが思春期であり恋愛というものなのか? でも俺はそう簡単には割り切れない。また何時ものようにキーホルダーを手にしてじっと眺める。物はいいな~、形は全く変わらない、それに比べて人間という生き物は何故ここまで思い悩むのか? 何も気にせず物のように不変の形を一生、いや未来永劫貫きたい、だが果たして物には本当に心がないのか? そんな」筈はない、物にだって心は通っている筈だ。色んな思いが錯綜する中、一哉の結論としては人間に生まれた事を恨む感情に至った。

 しかしこの世に生を受けた悦び、産んで貰った母に対する感謝、そして今自分がこうして生きていられるのもみんなのお陰であり沙也加のお陰でもある。果てしなく続くこの悩みに答えなどは無いのかもしれない、だが神経質な性格がそれを許す事もない。一哉は一晩こんな事ばかりを考えながら眠りに就くのであった。

 

 それからは取り合えず沙也加の事は忘れ来たるべく高校進学に向けて学業に専念して行く。そんな一哉の姿を見守っていた母も安心して息子の将来を夢観るのであった。

 

 時は過ぎ一哉は高校生になる。中学での成績も大した事なかった一哉は地元ではちょうど真ん中ぐらいのレベルの普通科の高校に進学したのだ。そして中学同様水泳部に入部する。心機一転、新たな生活が待っていたのだった。

 高校生になった一哉はアルバイトもし始めた。それは新聞配達で登校する前のほんの1、2時間を使って朝刊を配るだけで月に数万にもなるバイトは高校生の一哉にとっては少なくとも高給で、快活に働く姿に母も喜んでいた。

 桜花咲く学校のグランドを見た一哉は意気揚々と高校生活に勤しむ。それは甚だ季節毎に咲く美しい花々の自然の理に充ちた単純な思考であるようにも思える。何も卑屈になる必要もない、ただ純粋に、正直に堂々と生きて行けばいい。それは一哉の本来の性格であったのかもしれない。今までの事など一切振り返る事なく高校生活をエンジョイするだけだった。

 

 或る日、水泳の練習をしていたら一人の女の子が一哉の目に映る。その子は水泳部のマネージャーをしていたのだが実に愛嬌のある子で誰に対しても明るく振る舞うその姿は傍から見ているだけでも元気になれる。だが女の子が苦手な一哉は大して声を掛ける事も出来ずに悶々した日々が続いていたのだが、ふとした瞬間にその子と肩が触れ合い言葉を交わすようになった。

 

 これが一哉の新たなる恋になるのか、それは自分自身でも分からない、ただその子の事が気になっていたのは確かな話であった。

 

 

 

 

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