人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 十一章

 一哉の心は昂揚感で充たされていた。沙也加のように幼馴染でもない沙希と高校1年生のこの時点で早くも仲良くなり水泳に勉強、アルバイトと。全ての事象が澱みなく流れる川のように澄み切っていて美しく思える。神経質な一哉が待ち望んでいた光景はこれなのだ。これこそが皺の一つもない美しい光景であり情景でもある、本来世の中はこうでなくてはならない。もはや今の一哉には怖いものなど何一つない明るい世界が眼前に大きく現れていたのだった。

 その一哉に味方するように降り注ぐ眩しい初夏の陽射しは自分一人だけではなく沙希と二人、いや、世界中の人々全てを幸福に導くものなのか。そこまで大袈裟に考えるのは正に根拠のない自信とも言える若者の特権なのかもしれない。その自信を身に付けた一哉は意気揚々と高校生活を満喫するのであった。

 

 昼食は何時も母に作って貰った弁当を食べていたのだが、その日の弁当は何時にも増して色とりどりの総菜等がぎっしり詰まってあり母の愛情を感じる。今日は別に何かの記念日でもないし何故こんなに手の凝った弁当なんだろうと一哉は訝りながらも美味しく食した。 その影響もあってか放課後の部活動でも一哉は何時も以上に力が入り厳しい練習メニューを難なく熟(こな)す。

 それを傍から見ていた沙希も実に明るい笑みを浮かべて一哉の方を見ている。プールサイドに上がって休憩している時、みんなはこう言うのであった。

「おい一哉、お前えらく頑張ってるな~、何かいい事でもあったのか?」

「別に、ただ真剣に泳いでるだけさ」

 そこにマネージャーの手帳を携えた沙希が来る。

「一哉君、次は1フリのインターバル10本よ」

「あいよ~」

 と言い、勇ましくプールに飛び込む一哉。みんなはただ呆然とその姿を眺めていた。

 

 部活動を終え何時ものように沙希と二人で帰ろうとすると彼女は今日は病院に行く日だからと足早に立ち去った。一哉は大変だな~と思いながらも一人淋しく家路につく。

 夏の強い西日は繊細な一哉をまた少し悩ませるのであった。

  

 家に帰った一哉は早速弁当の事を母に訊く。母はこう言う。

「あなた最近いい事あったでしょ、そう思ったら自然と弁当作りにも気合が入ったのよ」

「有り難う、美味しかったよ、お陰で水泳の練習も捗ったし」

 母はそれ以上は何も訊かずに明るい表情でテーブルに坐っている。一哉も母の鋭い洞察力には気づいていたし大して愕く事もなかったが、ただ恥ずかしい思いはあった。

 部屋に入った一哉はもはや日課にもなたキーホルダーを手にして眺める。今日も充実した一日ではあったがやはり沙希の足の病気が気に掛かる。どうにかして治してやりたい、だが医者でもない一哉には当然何も出来ない、ただ精神面からサポートするだけが関の山である。でも自分にはそれすら出来るのだろうか。そんな思いに錯綜されながら眠りに就く姿は何年絶っても変わらないなと、つくづく自分の繊細さを顧みる。でも高校生になった一哉にはそれを滑稽に感じるようにもなるのだった。

 

 翌朝も雲一つない晴天で母は

「今日も頑張ってね」

と快活に声を掛けてくれる。

「行って来ます」

 と元気に歩き出す一哉だったが、今日は何か一つ沙希が嬉しくなるような事をしてやろうという企みを心に秘めていた。

 午前の授業を終えた一哉は昼休み図書室へ行き例の本を手に取って読み出す。しかし文系でない一哉は読書スピードも遅くなかなか先に進まない。小説というのは何でこんなに難しい字ばかり出て来るんだ、もっと読み易くしてくれないものか、と少し苛立ちながら読んでいると沙希が現れた。

「一哉君、読書はどう? 面白い?」

「それがなかなか捗らなくてな~」

「じゃあ私が声に出して呼んであげるわ」

「いいよ、そこまでしてくれなくても」

「いいから、本貸して」

 半ば一哉から取り上げるようにして本を手に取った沙希は実に流暢な舌使いですらすらと読み出す。その姿には恰も子供に絵本を読んでやっている母のような佇まいさえ感じる。一哉はそんな沙希にうっとりした面持ちを見せる。

「一哉君、ちゃんと訊いてるの? 何だか眠たそうだけど」

「訊いてるよ、ただ沙希の読み方があんまり綺麗なもんだからつい」

「つい何?」

「何って・・・気持ち良くなって来たって事だよ」

沙希は軽く笑いながら本読みを進ませる。すると今まではメロドラマでも見ているような小説の内容が一変して行くのが一哉にも感じられた。

「沙希ちゃん、もういいよ、ありがとう」

「まだ時間あるからもうちょっと読みたいんだけど?」

「いや、ほんとにもういいよ」

「・・・」

沙希は少し訝りながらも本読みを止めた。一哉はただその先のストーリーを知りたくなかっただけであった。

 

 放課後の部活動では相変わらず練習に精を出す一哉であったが沙希の足の事が気に掛かる。沙希も相変わらずの朗らかな表情でプールサイドでみんなの練習を見守っている。だが繊細過ぎる一哉は沙希のふとした瞬間の少し暗鬱な表情を見逃さなかった。

 練習を終えた二人は一緒に帰る。何時もの神社に立ち寄り腰を下ろした一哉は本を読んでくれたお礼もあると思い沙希の病状を訊く。

「それでどう、足の方は?」

「心配してくれてたの、ありがとう、でも大丈夫よ、先生ももう少しで治るからって言ってくれたし」

「それは良かった、俺も安心したよ」

「優しいのね」

「治ったら一緒に泳がないか? 俺が出来る事は何でもするから」

「そうね、私も泳ぎたいわ」

「そうだよ、その意気だよ」

一哉は沙希の身体を優しく抱きしめる。水泳で温まっている一哉の身体は熱いが沙希の身体は少し冷えている。一哉は自分の熱さを沙希に与えてやるべく強く抱きしめる。一哉の懐から顔を上げた沙希は改めて

「ありがとう」

 と声を漏らす。

 一哉の手助けをするかのような西日は二人の間に容赦なく降り注ぎ、その身体を一層熱くさせるのであった。

 

 

 

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