人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 十三章

 一哉の腹は決まった。沙希に傷を負わせた奴をぶっ飛ばす。それ以外に方法はない。そいつは沙希が今付き合っている奴に相違ない。これぐらいの事は誰にでも予想出来る事であった。

 今年の夏は去年にも増して暑い。いくら温暖化が進んでいるとはいえこのまま暑くなり続けたら世界はどうなってしまうのだろう、地や水、風に火、そして人間に動物、植物、虫と、生きとし生ける者全てが崩壊してしまうのではないか? 相変わらず繊細な一哉はそんな自分が死んだ後の、気が遠くなるような先々の事まで思い悩むのであった。

 だが沙希の事についてはもはや逡巡している場合ではない。そう思うと益々気が逸る。一哉は早速その事を沙希に確かめる。

 昼休みに真っ先に沙希の教室に入った一哉はこう切り出した。

「沙希、はっきり言えよ、誰にやられたんだ?」

「何の話よ?」

「その足の傷だよ!」

「何怒ってんの? そんな一哉君嫌いよ!」

「いいから言えって!」

 その時の一哉の表情は沙希が初めて見る恐くも勇ましい男の顔であった。それに圧倒された沙希は素直に口を割る。

「真治君よ、今彼と付き合ってるの、満足した?」

「なるほど、あいつか」

 この真治という同級生は昔風に言えばいわゆるスケコマシで女という女に片っ端から手を着けては捨てる。男らしさの欠片もないような薄情で姑息で陰険極まりない事で有名な奴だった。こんな奴を叩きのめす事ぐらい造作もない、そう思った一哉は返す刀でそのまま真治の元へ向かう。真治は何食わぬ顔で一哉の顔を見ていた。

「おい真治とやら、お前沙希に酷い事してくれたんだってな、ただで済むとは思ってないだろうな」

「何だよお前、嫉妬してんのかよ、情けなねーな~」

 ヘラヘラ笑っている真治の顔を渾身の力でぶん殴った。すると真治は床に倒れ込みやり返そうともしない。そこにもう1発お見舞いしてやると真治は既に泣きべそをかきながらこう言った。

「待ってくれよ! 俺はただちょっとだけ沙希の足を叩いただけさ、それにあいつがそうしてくれって言い出したんだぞ!」

「そんな事言う訳ないだろ!」

 更に一撃を加える。

「ほんとなんだって! 信じてくれよ!」

「バカかテメーは? 素手でやった訳じゃないだろ!」

「ああ、フライパンを使ってな」

「何だとコノヤロー!」

 その頃になるとみんなが止めに入ったが、一哉はその後も全く躊躇せず真治を叩きのめす。既に真治の顔はパンパンに腫れあがっていた。

 その後先生までもが入って来た為、流石の一哉も攻撃の手を止め二人共職員室に促される。事の成り行きを訊いた先生は一哉に同情しつつも暴力を振るった事を許す訳にも行かず、一哉は1週間の停学処分を受けた。一哉もやるだけの事はやったので別に後悔はしていなかった。

 

 七月に入り夏は本番を迎える。蝉の煩い鳴き声は毎年同じだった。傾斜のキツいこの坂道を歩く人々は暑さとの相乗効果でバテてしまい途中にある公園で休憩している姿も目立つ。一哉はそんなだらしない人々の姿を見てふと、年は取りたくないな~と思っていた。

 始めの1日ぐらいは学校が休めて嬉しい気持ちもあったが1週間ともなると流石に退屈で仕方ない。そう感じた一哉は市民プールに出掛ける。起きたしまった事は仕方ないが一哉の表情に曇りのない事を感じた母は別段今回の件に関して咎めるような事も言わなかったのだった。

 平日の昼下がりプールは空いていた。パっと見る限りスイマーと呼べるような現役の選手は一人もいない、一哉はこれなら思い切って泳げると意気揚々とアップをし始める。もはや一哉の身体は如何にもスイマーと言わんばかりの逆三角形の逞しい形を成していたのだった。

 それを見た他の、恐らくは常連客であろう人達は少し気後れしている様子が見て取れる。無論そんな事が狙いで来た訳でもない一哉はその常連客に軽く一礼してコースに入る。

「こんにちは、お邪魔します」

「どうぞ、お兄さん現役ですな~、わしらは遅いけどいいですか?」

「気など遣わないで下さい」

 そう言った一哉はみんなから感心されているのが自分でも分かる。繊細な一哉はこういう自分の気質自体に嫌気が差していたのだ。

 取り合えずアップで最初の300mを流す。勿論流すと言ってもそこそこのスピードは出している。それを見た同じコースで泳いでいた年配の親父さんがこう言う。

「流石は現役だね~、いや凄いよ、わしなんかそんなスピードで泳いだら死んでしまうよ」

 と軽く笑っている。

 しかし次に一哉が目にした光景は想定外のものであった。その親父さんは一哉のスピードには敵わぬまでも流すような感じで100mを1分15秒で泳ぎ切ったのだ。そればかりではない、そのままのスピードで200、300、そして500mを泳ぎ切りそこで初めて休憩している。その姿を目の当たりにした一哉はただ愕いていた。

 この親父さんんは優に80歳にはなっているであろう。しかしその身体は筋肉質で少し腹が出ている程度といった、言い方は悪いがとても年寄りには見えない凄まじくも美しい立派な体系である。そしてこの持久力。一哉は思わずこんな事を口にした。

「親父さん、年幾つですか? 凄いですね!」

「何も大した事なんかないよ、今年でちょうど80歳だけどね」

その年は想定内であったがその実力までは流石に想定外であった一哉はさっき公園で思った事を恥じるのであった。いくら年を取っても凄い人はいくらでもいる。世の中舐めていてはいけないと。

 それからの一哉はその親父さんと仲良くなりこうして度々プールで会う日々が続いていたのだった。

 

 やがて停学が解け学校に登校する。母と一緒に真治の家に行き謝りケジメを付けた一哉ではあったがはやり沙希の事は気に掛かる。その日一哉は自分から沙希には会わず、少し距離を置こうと考えていた。

 だがそんな一哉の自分では思いやりとも言える画策は呆気なく頓挫してしまう。昼休み図書室へ行った一哉はいきなり沙希に会ってしまい、しかも沙希の方から声を掛けて来たのだった。

「一哉君、大変だったね」

「・・・」

「まだ怒ってるの?」

「別に」

「怒ってるのね、無理もないわ、私が原因だしね」

「何であんな奴と付き合っていたんだ? らしくないんじゃないか?」

「確かにね」

「あいつ、沙希にやれろ言われたとか言ってたぞ、どんだけバカなんだってな」

「本当よ」

「え?」

「私がしてって頼んだのよ」

「まさか」

「私まだ怖いのよ」

「何が?」

「足よ」

「もう治ったんだろ?」

「治りかけてはいるわ」

「じゃあ何も怖がる事なんかないだろ?」

「でも心は昔のままよ、あの事故った時のままなのよ」

「・・・」

「それがどんなに辛いか分かる?」

「・・・」

「それで嫌になった私はあの子と付き合うふりをしてそんな事を頼んだのよ、こんな事一哉君に頼む訳には行かないでしょ!?」

「もういい、それ以上言うな」

 そう言った一哉は周りを憚る事なく沙希を強く抱きしめた。

「もういいから、俺がお前の心も治してやるから心配するな」

「ありがとう、また本読んであげるからね」

 そう言った沙希の頬には綺麗な涙が滴り堕ちている。一哉はその一滴の涙を指先で拭い沙希の髪を優しく撫でて

 「じゃあ行くか」

 と言い二人は教室へ戻る。

 その僅か数十mである距離は、今の二人には数百m、いや数kmにも感じるほど長く険しく、それでいて美しい花道のような優雅な佇まいにさえ思えるのであった。

 

 

 

 

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