人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 十九章

 沙也加は相変わらずの冷静な面持ちで現れた。いくら進む道が違ったとはいえそんなに距離も離れていない二人が意図せずに今まで会わなかった事も不思議といえば不思議にも思える。一哉は取り合えず沙希に紹介した。

「幼馴染の沙也加だよ」

「沙也加です、宜しくね」

「初めまして、沙希です」

 同じ『さ』で始まる名前に同じ字。一哉は偶然とはいえ奇妙な感じを受けていたのだがこの二人はどうだろう、少なくとも一哉ほど関心があるようには見受けられかった。

「で、沙也加、何しに来たの?」

「ただの散歩よ、あなた達は?」

 言葉に詰まった一哉を於いて沙希がいち早く口を開く。

「デートよ、今から芝居の稽古をするの」

「芝居? 学芸会か何か?」

「一哉君、俳優になるのよ」

「俳優?」

「そうよ、そこで今の内からある程度稽古していた方がいいと思って」

「そうなの」

 この僅か10分足らずの時間が一哉には30分以上のものに感じられる。その間、辺りはすっかり暗くなり陽が沈んだ公園は少し寒くなって来た。

「じゃあそろそろ行くか」

 と少し目を細めて言った一哉の放った一言に対して沙希はこう言う。

「今のよ、今の言い方良かったわ」

 すると沙也加は

「何? 何かあったの?」

 と訊く。

 一哉はただ照れながら黙っていた。

「今の一哉君の言った一言に味があったと思わない? 私はそう思ったんだけど」

「ふ~ん、そうかな~」

 沙希が褒めてくれた事に勢いづいた一哉は無意識に

「沙也加、お前も一緒に来るか?」

 などと言ってしまったのだ。

 これには流石の沙希も沙也加も愕きを隠せない様子だったが、久しぶりに会った沙也加は理屈抜きに少し気持ちが昂ったのか、行くという返事をしたのだった。 沙希も少しは躊躇いながらも反対まではしなかった。

 一哉の家までの道のりは短かったがこの二人は何時の間にか打ち解け話をし続けていたのだった。

 

 家に着いた一哉は堂々と玄関から入り母に二人が来た事を知らせる。母はかなり愕いていたがこれといって何かをする訳でもなく、ただ三人を見守る事が関の山であった。

 部屋に入った三人は改めて沈黙する。こういう状況を嫌った沙也加は

「煙草吸ってもいい?」

 と訊いて来た。

「まだ吸ってたのか、でも灰皿がないからな~」

「私、携帯の灰皿持ってるから」

「そうなのか、それならいいけど」

 そう言った一哉は徐に窓を開ける。少し寒くなったとはいえ秋の夜はそこまでも寒さを気にするほどでもなく、窓はそのまま半分弱ほど開けっ放しにしていた。

 

「じゃあ始めるわよ!」

 と言った沙希は意気揚々と本を読み始めた。その本のタイトルは『ギリシア神話古代ギリシアの神々の生き様を表した物語である。一哉はあまり興味は無かったが一応のストーリーは沙希から知らされていたので、沙希は途中から読み始める。その間沙也加は退屈そうに窓の傍に立ち煙草を吸っていた。

 ギリシア神話では数々の生殺与奪に恋愛、そして浮気、不倫の描写が出て来るのだが、中でも沙希が着目したのは神々の色恋事であった。

 この神話の中で主神ゼウスのその力には正に神の凄まじさを感じる訳だが、とにかく女好きで不倫を繰り返していたのだ。これを汚らわしいと感じるか大器と感じるかは人それぞれで価値観の違いもあるだろう、しかし少なくとも一哉には理解し難い側面があった。

 そんなゼウスの正室ヘラーは旦那の浮気癖に嫌気が差していたのだが、ゼウスとアルクメネの間に産まれたヘラクレスギリシア神話最大の英雄とも言われるほどの勇ましく強い勇者であった。

 沙希は妻であるヘラーの気持ちはさておき、このヘラクレスのゼウスに対する気持ちとママハハであるヘラーに対する気持ちを自分の言葉を使って表現しろと言って来た。

「ちょっと待ってよ、それは流石に分からないし、難し過ぎるよ」

「いいから、何でもやってよ」

 一哉はかなり迷った。何も言葉が出ない。全く経験もした事のないこんな描写をどう演じれば良いのか? だいたいヘラクレスの存在すらあまり知らない一哉にはこんな事分かる筈もない。あまり深く考えていた一哉に対して痺れを切らしたのか沙也加がこう言い出した。

「私がヘラーの気持ちを謳ってみるわ」

 二人はただ黙って聴いていた。

「何で貴方はそんなに不倫ばかりするのよ! はっきり言って男らしくないわ! これ以上不倫を続けるのなら私が貴方を殺すわ!」

 それは女としては在り来たりな表現だったかもしれない。だが沙也加の言い方には何か聞きしに勝る烈しい女の感情が如実に率直に表れている。その表情も凄まじい。それを目の当たりにした一哉は無心になりこう言い放つ。

「親父、俺を産んでくれた事には感謝するが、これ以上ヘラー様を苦しめないでくれよ、それでも分かってくれないのなら俺が親父を殺す!」

 と。これもまた在り来たりな表現ではあるだろう。でもそれを見た二人は拍手をした。一哉には何故拍手されたのかさっぱり分からない。でも素直に喜びその理由を訊く。

「ありがとう、でも何で? 良かった?」

「はっきり言って台詞は大した事ないわ、でも今は表現の仕方を稽古してるんだから、一哉君の芝居が巧くいと思っただけよ」

「私も同意見ね」

「ありがとう」

 すると誰かがドアをノックする。母が入って来たのだ。三人は意表を突かれた感じになりその場に行儀良く坐り直した。それを見た母は

「みんな楽にしておいてよ、取り合えずお茶持って来たから」

「有り難う御座います」

 それだけを言い置いて母は出て行く。その時一哉は思った。もしかして母は今までの事を全て訊いていたのか? 間が良過ぎる。だがもはやそんな憶測などどうでも良い。三人は大いに盛り上がり語らい続けたのであった。 一哉は何でもないような自分の表現の仕方に満足したいた。

 

 その後二人は仲良く帰った。取り合えずほっとした一哉は三人が飲み干した湯飲みを持ってダイニングへ向かう。まだ夕食を済ませていなかった一哉はテーブルに坐り、用意してくれていた食事をし始めた。

 食事が終える頃、母が来てこう言う。

「あなたの芝居良かったわよ」

 やはり母は訊いていたのだ。

「こうなったらもう何も反対する事なんて無いわ、好きなようにしなさい」

「ありがとう、取り合えずバイトのシフトを増やせば金の心配は無くなると思うから」

「そんな事心配しないで自分が決めた道を全うしなさい、私が願ってるのはそれだけよ」

 一哉は改めて母の真の優しさに触れたような気がした。だがもし今父が生きていたらどう思っただろう? 母と同じように喜んでくれるかな? 或いは猛反対するか? こればかりは誰にも分からない。まして幼くして父と死別した一哉には。

 だが一哉の心は既に決している。たとえ父が反対したとしても我が思いを優先させるであろう。

 若さとは後先を考えずに行動出来る。それは言いようによっては勇ましく物事を省みない、大した根拠もないその姿は頼もしくも思える。これこそが若いが故の特権でもあるだろう。

 いくら神経質な一哉ではあっても、今は何も振り返らない、決して物怖じしない、後の事など知った事じゃないという正に根拠のない自信、もっと言えば矜持にも似た思いが胸を弾ませていた。

 それに追い風を吹かせるが如く、この日見た紅葉には全く憂愁を感じさせない、その強く赤い色は桜にも勝る、自分を奮い立たせる勇気を与えてくれる。

 いよいよ一哉は養成所に入るのであった。

 

 

 

 

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