人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 二十四章

 今や劇団でも看板俳優になった一哉は舞台にドラマ、バラエティー番組にも出るほどの売れっ子になっていた。それはとりもなおさずみんなのお陰であり一哉本人の実力でもある。2年前にこの養成所(劇団)に入ったばかりの一哉には考えられない事で母も大喜びしてくれていたが、相変わらず神経質な一哉はこれといって浮かれる様子もない。

 それは一見良い事にも思えるのだが劇団員の中には嫉妬心からかこんな憎まれ口を叩く者もいた。

「あんた、これだけ売れて来たのに対して嬉しくないみたいね~、何? わざとそういう姿勢を保ってるの?」

「そんなんじゃないさ、俺は元々こういう性格なだけさ」

「ふ~ん」

 高々2年の付き合いであるこの役者には一哉の真の為人までは分からなかったのであろう。それを知っているのは家族と沙也加、沙希ぐらいであった。

 

 一つのドラマの撮影が終了しみんなで打ち上げをちている時、一哉は名脇役の大御所俳優から勺を受け気を遣いながらも楽しく飲んでいた。

「君、いい俳優になったな~、まだ経験は浅いんだろ? その割にはいい芝居するよな~、俺は大好きだよ、これからも頑張ってな」

「有り難う御座います」

 他の俳優からも色々と声を掛けて貰った一哉は、これで俺も一人前の俳優入りしたんだと改めて自分の立場を確信したのだった。

 だがそんな中、一人だけが何か神妙な面持ちで遠くから一哉の顔を見ている。それは今回のドラマの主役を張っていた林であった。この林という俳優もまだ若く、年の頃は一哉から3つぐらい上であろうか。一哉には彼のその鋭い眼差しが痛いほど眩しく感じる。何故そんな目つきで自分を見るのか、ひょっとすると俺の事を警戒しているのか?  

いや、それは考え過ぎだ、そこまで己惚れるる俺ではない。一哉は取り合えず林に勺をして軽く挨拶を済ませるとまた自分の席に戻り彼の事は気にすまいとマイペースで飲んでいた。

 

 打ち上げが終わる頃、外は雨が降っていた。酒が回った一哉は帰りに奈美子の店へ行く。かれこれ1年以上振りだろうか。何故あんなに気になっていたにも関わらず今まで来なかったのだろう、沙希との件もあったが不思議な事だ。

 店の前にタクシーを停めると客引きが相変わらずの威勢の良い声を掛けて来る。一哉は奈美子が出勤している事を確かめると喜び勇んで店に入る。予約はしていなかったのだが直ぐに部屋へ通してくれた。

 そして部屋に入る。すると奈美子はいきなり涙を浮かべていたのだった。

「どうしたんだよいきなり! 何かあったのか?」

「何で今まで来てくれなかったの? あなた俳優でしょ、忙しいのは分かるけど会いたかったのよ!」

 この突然の出来事に一哉は少し狼狽えたが、もしかするとこの子は何か演技でもしているのかとも思われ笑いながらこう言った。

「巧い芝居だな、仕事に役立つよ」

「何でそんな酷い事言うのよ!」

 冗談と思われたこの光景は冗談ではない、一哉はらしくない事を言った自分を恥じ取り合えず謝る。すると奈美子は

「やっと分かってくれたの、嬉しい」

 と泣くのを止めたのだった。

 しかしたった一度会っただけのこの女性が何故そこまで俺なんかに感情移入しているのだ? それも風俗嬢ではないか? 謝りはしたものの、まだ一哉には承服し難く蟠りが残る。それならばお互い電話番号を交換したまにでも会っていれば良かっただけではないか? 今まで何も言って来なかった彼女もおかしいのではないか? などとあれこれ詮索する一哉ではあったが何時までも話会っている時間もなく、奈美子は早々に段取りを始める。

 その手つきは未だに何処かぎこちなさを呈してはいるが、初めて会った時と比べると明らかに慣れて来たようにも見える。この僅か数分の間にも一哉は、この子はあれから一体何人の男を相手にして来たのだろうか? などといったいらぬ詮索をするのであった。

 だがいざ事を始めると奈美子はこの前とは違い、実に慣れた様子で一哉に迫って来る。その手つき、腰つき、表情は如何にもといった風采を表してはいたが、やはりまだ何処か初々しさも感じる。手つきは慣れていてもその表情は何か恋人同士の契りにも似た哀愁も感じる。

 事を終えた二人は後10分の残された時間ほとんど口を利かずただお互いの顔を眺めていた。その10分はお互いに1時間ぐらいの感覚であったろう。

 一哉が店を出る所まで見送ってくれた奈美子はその頬に軽くキスをして番号の書いてあるメモを手渡して来た。

 小雨になった街を一哉は傘も差さずに歩いて家まで帰る。その距離はおよそ5k。普通に考えれば歩くには長い距離だが、一哉にとっての5kなどはたかが知れていた。というより直ぐ家に帰りたくなかっただけではないのか。

 人の気持ちというものは時として本人でさえ理解し難い様相を呈する。これは或る種の心の病なのか、科学では決して推し量る事の出来ない精神の奥底をなぞるような哲学的なものなのか、はたまた繊細な一哉が持って生まれた性という事だけの話か。一哉はこの道を歩いている内にその答えを出したいという焦燥に駆られていた。

 

 ようやく家に辿り着いた一哉は部屋でまたキーホルダーを手にする。

 小学生の修学旅行に始まったこのキーホルダーは今まで一哉の暗鬱とした気持ちを何度となく慰めてくれた。しかし恋路に限っては余り良い覚えがない。そう思った一哉は初めてこのキーホルダーを床に投げつける。するとフローリング敷きの床で少し小躍りしたキーホルダーはその表側の鳥居の絵を表し落ち着くのであった。

 その絵を見た一哉はこれは吉兆と確信して横になった。これは一哉らしくもない実に稚拙な占いにも似た行為でもあった。

 

 窓を開けるともはや雨も完全に上り、深夜になった外からは何の音も聴こえない。

 こんな静かな環境の中で眠りに就ける事を今更ながら感謝した一哉は久しぶりに夢を観るのであった。

 それは今置かれている一哉の状況と過去、そして未来と、実に複雑で気の多い話ではあるが、そこには幾多の試練が待ち構えている。

 一哉はこの夢をどういう心境で観ていたのだろうか、それこそ本人にも分からぬ、答えの出ぬ事象であった。

 

 

 

 

 

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