人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 三十一章

 巡り行く季節にさえ頓着が無くなった一哉は劇団での芝居にも身が入らなかった。そんな彼の思いを憚った座長は事務所の社長と図って一哉に一時休憩するよう促す。

 しかし一哉はそれを承服せず、初心に戻り精進して行きたいとの旨を伝え仕事に励む事にする。これ以上放心状態が続けば自分は完全にダメになると感じたからだった。一哉がそういう心境に至ったのは他でもない弟昌哉の存在であった。 

 今までの人生に於いて何度となく弟の大雑把な性格を否定して来た一哉ではあったが、年を取るに連れ彼から学ぶ点も結構あるという事に気付く。弟の呆気らかんとした気質は一哉の気持ちを楽にさせてくれるのであった。昔ならまずそうは思わなかったであろうが、今にしてはそれが自身への訓戒のようにも思える。

 人間のこうした心情の変化とはやはり仏教でいう所の色即是空諸行無常。この世に不変のものなど存在しないという教えは人の心とて同じなのか、それは分からないまでも今の一哉はその仏教の観点に沿う事でしか己が道を切り開く事が出来なかったのかもしれない。

 吐いた唾は飲めない。一哉は芝居に精を出すべく己の考え方を少しづつ改めて行くのであった。

 

 テレビの世界と舞台俳優の収入では天地の差がある。中にはいい年をして副業でアルバイトをしている俳優も結構いる。だが一哉はもう一度華々しい世界に復帰する野心を成就すべく副業などには一切関心を示さなかった。

 当面の生活費ぐらいはまだまだ残っていた一哉ではあったが、一つだけ怖れていた事といえば奈美子と関係であった。今貯えている資金も何れは底を突く、それは言うまでもないのだが、真に彼が怖れていた事は奈美子のそれを下回るであろう現在の収入であった。

 奈美子が言った「私が食べさせてあげる」などという事百歩譲って本気であったとしても一哉も絶対にそうはなりたくない。こういう矜持さえ持ち続けていれば何時かは報われる筈だ。そう思えたのは今までの実績に依るものであろう。

 そういう意気込みは自ずと彼の表情にも表れ、一哉は以前にも勝る芝居に対する熱情を発揮し、皆もそれを評価してくれていた。そう決心してからの一哉の劇団での立場も忽ちにして元のトップクラスに戻り、数年間は舞台も大盛況を収める事が出来た。

 一哉はまた青春時代に戻ったかのような快活な生活を送っていたのだった。

 

 しかしこの頃から一哉の活躍とは裏腹に奈美子の心は荒んでいた。同棲当初は毎日手料理を作っていてくれていた奈美子も今では家事などは一切せず、ただ自分の仕事だけをする女になっていたのだった。そういう様子を訝った一哉はこう訊く。

「お前、最近何もしなくなったな、どうしたんだ?」

「別に、何か面白くないのよ」

「何がだよ?」

「あんたが生き生きとしてる事よ」

「俺が生き生きとしてたらダメなのか?」

「ダメよ、私はあんたの凹んでる姿が好きなのよ」

「何言ってんだよ、そっちの方がよっぽど面白くないだろ」

「そうでもないわ、実際私があんたに惚れたのはそこだったのよ、私あんまり成功してる人は嫌いなのよ」

 奈美子のこういう考え方は単に天邪鬼なだけなのか、それとも他意があるのか一哉には到底理解し難い。

「じゃあ俺にもっと落ちぶれて欲しいのか? 変な冗談言うなよ」

「そうよ、もっともっと落ちぶれて欲しいわ」

「もういい!」

 一哉はこんな奈美子の言い振りに嫌気が差し家を出て行った。

 外の光景は今にも陽が沈まんとする夕暮れ時で、こういう情景が好きな一哉は街を歩き出した。道行く人々は急ぐようにして帰途に着く。一哉は歩きながら帰りたい家がある人を羨んだ。それは今に始まった事でもない。神経質な一哉にとっての我が家とはただ寝る為だけの存在であって、生活に必要ではあるが別に無くても構わない、寧ろ外で生活が出来る動物や虫に憧れを抱いた事もある。

  だが今の一哉の心境はといえば家そのものよりも、ただ奈美子に会いたくないといった風でこれからの二人に進展の兆しが全く感じられない事であった。

 それは図らずも一哉のこれまでの人生に於いて恋愛経験の少ない、女が苦手な彼にはやはり先見の明が無かった所為なのか、亦繊細過ぎる彼自身の気質が裏目に出てしまったのか。結局は自業自得、今の一哉はただそんな自分自身の頼りなさを痛感しながら海へ赴くのであった。

 

 砂浜で一哉が観たものは真っ赤に染まる夕焼けであった。その赤はあくまでも熱く烈しく、とても人間などが到底及ばない自然の力強さを一哉の目に映らせる。

 その太陽の姿を眼(まなこ)に捉えた一哉は改めて人間の非力さを感じると同時に己が惰弱さを憐れむのであった。

 しかし一哉がどう足掻いても自然の理(ことわり)に勝つ事など絶体に有り得ない。それこそ愚かな行為だ。でもそこで思いつく事もある。それはこの自然には不変の定理があるのではないか? 確かにこの太陽は言うに及ばず、何れは地球でさえ滅びるであろう。だがそれは遙か未来、数億光年という気の遠くなる話であって、少なくとも現時点では不動のものである。

 この不変を催す一貫性に対し、柔軟さや器用さ。相反するこの一対の原理とは何なのか? 言うなればそれはただの水と油、天と地、男と女、陰と陽、こういった二元論は神経質な一哉にとっては単純過ぎる論理であり、もっと言えば小学生の理論とも言える浅はかで稚拙な考え方にも思える。

 だがそうした事象は今までの歴史が証明している通り、当たり前の論理でもある。つまり一哉が欲したものとはこの二元論をも超越した絶体無二の存在なのであった。

 またまた下らない思いに耽っていた一哉は陽が完全に沈むのを見届け重い足取りで帰途に着く。その道々で一哉が想っていた事はもう奈美子には媚びない、これだけなのだった。

 

 家に着いた一哉に対し奈美子が口にしたのは相変わらずの苦言であった。

「おかえり、何処行ってたの?」

「ああ、ちょっと海にな」

「あんたらしいわね、また一人で黄昏れていたのね」

「それが悪いか?」

「何怒ってんのよ、らしくないわよ」

「怒ってなんかないさ、俺は行きたいから行って来ただけさ」

「で、何か成果はあったの?」

「ああ、あったよ」

「何?」

「どんな状態になろうとも俺は俺でいる、それだけの事を海が教えてくれたよ」

「ふ~ん」

「もう寝るからな!」

 一哉はそう言い置いて先に床に就いた。一哉が布団に潜って考えていた事は、取り合えず奈美子に対し己が正直な気持ちを謳えた。ただそれだけだった。この後まだ彼女が何か言って来るのであれば別れる事も辞さない。この日一哉は一切夢を観る事なく熟睡したのであった。

 だが奈美子は一哉のそれをも上回る程の画策を胸に秘めていたのだ。それは考えるだけでも末恐ろしい、洞察力に秀でた奈美子の女ならではの奇策、否姦策であった。

 

 

 

 

 

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