早熟の翳 六話
誠也は3年生になった。まだ少し寒さの残る4月上旬、冷ややかな春風は厳しい冬風とは違い、生きとし生ける者全てに優しく吹きかかる。その優しさに依って柔らかく解された心は小気味よく芽生え清々しい眼差しで天を仰ぐ。蒼天には幾多のおぼろ雲が連なりその隙間から差し込む光芒は地上を暖かく照らしていた。
誠也はこの蒼天に誓った。志を遂げると。
裏社会の事情通である清政は早速大ニュースを持って来た。
「誠也、いよいよ神原が出て来るようだぞ」
「何時だ?」
「4月下旬らしい」
「早かったな」
「ああ、勿論仮釈放だろうけどな」
誠也の腹は決まっていた。神原を叩きのめす、それ以外には無かった。
「で、どうすんだよ、やっぱりあのお方に間に入って貰うのか?」
「ああ、それしかねーな」
「じゃあ早速繋ぎ入れるか」
「まあ焦るなって、今こそ正念場なんだ、お前は若い奴等が先走らないようしっかり見張っとけよ」
「そうだな、分かったよ」
年度が替われば新1年生達は意気揚々とした面持ちで色んな部活動を見学して回っていた。誠也のボクシング部にも新メンバーが入って来る。流石にボクシングをしようとする者は見るからにヤンキーみたいな風貌の奴が多い。その中でも特に威勢の良かった少年はいきなり誠也に向かって口を切った。
「誠也さんですよね、自分原田と言います、是非とも陸奥守に入れて欲しいんですけど、宜しくお願いします!」
誠也は無言のままその原田という少年の顔をぶん殴った。
「何するんですか!?」
「お前喋り過ぎなんだよ、ここはボクシングをする所なんだ、今度下手な口利いたら只で済まなさねーぞ、分かったのか!」
「すいませんでした」
調子に乗ってる奴の相手など誠也にとっては朝飯前であったが、それを見ていた健太は言う。
「誠也君やっぱり凄いよ、俺がヤキ入れておこうか?」
「お前も調子乗ってんじゃねーよ、負けるぞ」
「またまた~」
「いや、あいつ強ーよ」
健太も薄々は感じていたのだった。だが一応先輩風を吹かしたかったのであろうが誠也の忠告は却って有難かった。もしいきなりスパーリングでもさせられたらどうしようと惧れていたのだ。だが誠也の粋な計らいに依って取り合えずは自分達が舐められる事は無くなった。少々狡猾な思考ではあるが誠也から端を発した事なので自分には一切後ろめたさが無いと稚拙な確信を持つ健太であった。
それからの数週間は清政や修二が巧く統制していた甲斐もあって若い奴等も大人しくしてた。
誠也は5月の連休に入る前に満を持して安藤久さんの下を訪れた。そこは閑散としているショットバーであった。
誠也が店に入ると久は既に椅子に坐っていた。
「お久ぶりです久さん、わざわざの御足労痛み入ります」
「俺の前でその下手な洒落はいらないって何時も言ってんだろ」
「あ、すいません、ご無沙汰しておりました」
「それでいいんだよ、ま、掛けなよ」
「はい、失礼します」
この静寂した空間の中に二人のやり取りは一言一句洩れる事なく響き渡っていた。
「マスター、カクテルな」
「はい」
テーブルの上に出されたのは一杯だけであった。
「マスター、一つ足りないだろ」
「え? でも」
久が無言でマスターを睨むとスムーズにあと一杯のグラスが誠也の前に出される。
「取り合えず乾杯だ」
「ご苦労様です」
定番ではあるがジンにオレンジ加えたそのカクテルは美味しかった。二人は何もつまみを口にしないままに二口ほど召した。
久が煙草を手にすると誠也は真っ先に火を着ける。久は軽く礼をして誠也にも煙草を勧める。二人には精妙な沈黙が続いていた。
二杯目を飲み出す頃ようやく久が重い口を開く。
「お前何で黙ってんだ、俺に言いたい事があったんだろ」
「はい、実は」
誠也の言動を制するかのように久は言う。
「その前に、これは言うまでもねーだろうがお前腹は決まってんのか?」
「勿論です」
「分かった、じゃあ言えよ」
誠也が口にした事は喧嘩の取り持ち役であった。
この安藤久という男は陸奥守の初代総長にして現役のヤクザの幹部で、今や日本でトップクラスの組織の直参組長に成らんとする程の大人物であった。
この久が誠也のような一回り以上も年下の若造を好いていたのには彼なりの後輩に対する儀礼とでも言おうか、明確な理由があったのだった。
陸奥守がy地区との抗争に敗れ数年間活動を止め、解散を余儀なくされていた頃、次代総長として声を挙げていた誠也の力に依って組織はまた復活の狼煙を上げる事に成功したのだった。
無論それは誠也一人ではなく修二や清政の功に依るものでもあった。その事は歴代総長言うに及ばず、組織を立ち上げた久には極めて嬉しい事であり彼は一回りも年下の誠也と生涯の兄弟分として四分六の盃を交わしていたのだった。
その契りは鋼よりも固く蒼天よりも崇高で、何人たりともその絆を冒す事など出来ない。誠也は久に抗わず、久は誠也を愛おしむ。この間柄だけは不変の定理であった。
誠也は徐に口を開く。
「段取りは出来ています、その中で自分がサシで神原と対峙します、後は・・・・・・。」
「皆まで言うな、分かった、後は任せておけ」
話は一瞬にして纏まった。この二人には話す必要すら無かったのかもしれない。ただ二人は確認をしただけであったのだ。
話が終わると久の顔は一気に解れ優しい面持ちさえ漂わすそれを感じた誠也もマスターも朗らかに喋り出すのであった。
翌日も晴れていた。久との対顔で少し気が張っていた誠也はまり子を会っていた。まり子は相変わらずの天真爛漫な風采で可愛い服を着ていた。
「誠也君久しぶりね、どう3年生になった気分は?」
「何も変わらないよ、俺は俺だよ」
「嘘、貴方何時もと顔つきが違うじゃない、どうしても私に会いたかったんでしょ? 貴方の顔が物語ってるわよ、ほんとにバカ正直なのね」
と悪態をついたまり子も満面の笑みを浮かべている。
「お前は俺の事なら何でも知ってるみたいな言い振りするんだな、そうだよ、会いたかったよ、これでいいか~」
「それでいいのよ、誠也君に嘘は似合わないからね」
「ふっ」
「ところで私夜のバイト始めたの」
「何だって?」
「スナックよ」
「何でそんな事を?」
「いい稼ぎになるからよ、はいこれ」
まり子はまた洋服をプレゼントしたくれた。春もののロングTシャツであったがそのシャツもやはりブランドものであった。
「おい、あんまり無理するなって! こんな高いものばかり~」
「あら、嫌いなの?」
「そうじゃないだろ、何でそこまでするんだって!」
「私は好きでしてるんだから人の勝手じゃない」
「・・・・・・。」
「それよりも貴方の方が無理してるんじゃない?」
「何の事だよ?」
「決戦に挑むんでしょ?」
「またその話かよ、お前は入って来るなって言っただろ!」
「分かってる、ただ貴方の表情が何時になく神妙で険しく見えたから」
「そうか、それは悪かったな、ジャーン!」
誠也はまり子を不安がらせないよう、わざとふぜけて変な顔を作って見せた。
「何それ! 私そんな誠也君初めて見たわ!」
それでもまり子は己が言葉とは裏腹に大して動じてはいなかった。無論誠也にも分かる。誠也はそんなまり子の陰鬱な想いを慰めるべく優しく身体に触れて行く。それは春のうららかな風にのようであった。
もはや二人の間に言葉は要らなかった。誠也はこれがまり子との最後の契りになるかもしれないという覚悟で精一杯その美しい身体を堪能する。一方まり子もそんな誠也の想いに殉ずるように烈しく、積極的に立ち回る。
二人の姿は勇ましく滝を逆流する双竜を描くのであった。
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