人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

早熟の翳  二十五話

 花鳥風月。満開に咲き誇る桜は実に美しく、人々の心を晴れやかにしてくれる。

 月日は流れ久さんは次代の若頭が有力視され、誠也は弁護士でありながら事実上は安藤組のナンバー2の貫目を漂わす。あの事件から何年が経ったのだろう、今では清政や健太の情報など何も耳に入って来ない。

 だがもう自分から手を差し伸べる事も出来ない。この間(かん)まり子と同棲し出した誠也はあの二人の事をなるべく考えないように勤めていたのだった。

  同棲しているとはいえ看護師であるまり子とは擦れ違いの生活が多い。しかし優しいまり子は夜勤の時ですら何時も誠也の食事の世話だけは欠かした事がなかった。

 今朝の献立は春に因んだ桜ごはんであった。薄紅の桜の花が器全体を明るく彩るごはんは香りやうま味だけではなく食べている者の心まで朗らかにしてくれるようだ。

 彼女らしい粋な計らいだ。恐らくまり子は昨日夜勤に出る前に丹精込めて作っていたのであろう。誠也は心から感謝して有難く食していた。

 誠也は桜並木を横に意気揚々と事務所に行く。今のところこれといって仕事がなかった彼はデスクに坐りこれからの久さんが歩むであろう出世街道を想像しながら自分の将来を模索する。彼の本分は弱者を助ける為の弁護であった。だが今の彼が置かれている状況はどうだろう。ヤクザの顧問弁護士という世間では後ろ指を指されても仕方のない世界にどっぷり漬かっているではないか、成り行きでそうなったとはいえこれは誠也のような人間には相応しくない道かもしれない。だが久さんの思惑も分かる。ここまで来て久さんを裏切るような真似はいくら誠也であれ出来る筈もない。誠也は今更ながらこの現状のやるせなさに想い耽るのであった。

 すると玄関のドアが力強く叩かれスーツ姿の物々しい連中が騒々しく入って来た。

「安藤久、貴方を傷害及び使用者責任の罪で逮捕します」

 事務所内には戦慄が走り若い衆達は警察に烈しく抗い騒然とした状況を醸し出す。だが久さんは何ら慌てる事なく

「お前ら静かにしねーか! ちょっと行って来るわ」

 と平然とした面持ちで連行されてしまった。組員達は頻りに訴える。

「誠也さん、何とかして下さいよ! 自分が親分の代わりになりますからお願いしますよ!」

 誠也は取り合えずみんなを鎮めるべく口を切る。

「落ち着いてくれって! 俺が全力でやるから、だからお前らも余計な事だけはしないでくれ」

 組員達はやり切れない想いで地団太踏んでいた。こんな事はヤクザ社会では日常茶飯事な訳だが今になって久さんに的を掛けて来た警察の思惑は何なのであろう、先の抗争では数人の組員が捕まった事で幕は引いた筈だった。確かに警察がその気になればヤクザ組織の一つや二つ潰す事は容易だ。だがここに来て動き出した事だけはどう考えても解せない。誠也はただ久さんの事が心配でならなかった。

 

 家に帰るとまり子は既に夜勤に出ていた。何度も経験して来た事とはいえ今回の件では流石の誠也も寂寥感に苛まれ用意してくれていた食事には手が付かない。先に晩酌に興じた誠也は今久さんがいるであろう警察署の殺風景な留置所を思い浮かべた。

 まだ寒いだろうな、警察には虐められていないだろうか。久さんの事だから心配は却って徒になる可能性もある。だがこの件で自分が力を発揮出来なければ立つ瀬がないし何の為にヤクザの顧問弁護士になったのか分からない。

 取り合えず明日面会に生き自分の心意気を示す。今の誠也に出来る事はこれだけであった。

 早速面会に赴いた誠也はなけなしの差し入れを渡し思い付く限りの誠意を久さんに告げる。久さんは相変わらずの渋い表情と全く動じない貫禄を持って誠也に語り始める。

「いいか誠也、良く聴けよ」

「はい」

「俺の弁護は一切いらない」

「え!? 何故ですか!?」

「今回の件がどういう経緯であったのかは分からない、だが俺は甘んじて刑に服するつもりだ、そうなれば安藤組は持たねーだろう、自分で言うのも烏滸がましいがうちの組は俺一人で持ってたようなもんだからな、下のもんでは何も出来やしねえ、お前には言って無かったが俺を消したがってる奴は松下だけじゃねーんだ」

「誰ですか?」

「そんな事はお前に関係ねー事だ、俺はまだヤクザは辞めなねーが、組は解散する、若い衆達に迷惑掛ける訳には行かなねーからな」

「そんな久さんらしくもない、みんな全力で組を守りますよ、だからそんな弱気な事は言わないで下さいよ!」

「いや、もう決めた事なんだ、それともう一つ」

「何ですか?」

「お前も堅気に戻れ、お前には真にアウトローの道は究められねーよ、そんな俺も人の事は言えなねーけどな、ふっ」

 久さんは軽く笑って誠也に別れを告げた。誠也の収まらぬ様子は看守に依って遮られる。

 これは確かに久さんらしい男気に充ち溢れた言い方ではある。だがそのカッコつけ過ぎとも受け取れる彼の信条は何処から発生するのか、誠也とて元暴走族の総長で頭を張る者としての矜持は理解出来る。それにしても久さんの場合は次元が違い過ぎる。これは誠也が単なるヤンキー上がりのまだ少し底の浅い経験と思慮に依るものなのだろうか。それともこの二人にはそれをも上回る貫目、いや世界観の違いがあるのか。

 だがいくら承服しかねる事とはいえ久さんの意向に背く訳には行かない。誠也はその意向通りにヤクザの顧問弁護士を辞めると同時に組員達に解散の宣言を出す。

 或る者は大声で反抗し或る者は泣き叫ぶ。その姿は誠也の心にも響き一滴の涙が零れる。取り合えず組員達は本家預かという久さんの願いで道を移す。完全に足を洗う者も2、3人はいた。当然誠也もその一人だ。

 月満ちればやがては欠ける。それにしてもこの甚だ急激過ぎたこの一件が及ぼす影響は余りにも大きい。その中でも唯一考えられる事があるとすれば久さんと誠也の共通点後継者を育てられなかった。その事に尽きるのではないだろうか。

 

 潔く顧問弁護士を辞めた誠也は一時途方に暮れていた。そうなれば当然まり子と食事を共にする機会も増えて来る。悲観に暮れていた誠也に対しまり子は相変わらずの天真爛漫な面持ちでまるで何事もなかったような振る舞いで毎日を過ごす。そんなまり子に改めて口を切る誠也。

「お前の性格はほんとに羨ましいよ、何で俺はそうなれないんだろうな」

「どうかしらね~」

「お前だって職場で色々あるんだろ? 全然悩まねーんだな」

「何も考えないようにしてるから」

「そんな簡単な話か?」

「簡単ではないわよ、でも私には貴方がいるから、それだけで十分なのよ」

「それを言われると何も言い返せねーよ」

「それだけじゃダメ?」

「いや、そんな事ねーけどさ、でも俺はそんな風には生きて行けねーな~」

「そうなれば私が食べさせてあげるわよ、心配しないで」

「何言ってんだよ」

 愛想笑いをした誠也だが心の中では満更でもない将来を予想していた。

「ほらごらんなさい、貴方今考えてたでしょ、冗談に決まってるじゃない、私の稼ぎじゃ弁護士を賄う事なんて無理に決まってんじゃん、一々真面目に考えないでよ」

「そうだな」

 誠也はまた愛想笑いをする。するとまり子は料理の手を止め、彼の身体に凭れ掛かり今度は少し真剣な眼差しで言う。

「弁護士なら職を失う事は無いでしょ、でも何回も言うけど清政君健太君とは絶対に仲直りして頂戴、私が貴方に願う事はそれだけなの、そうすれば万事巧く運ぶような気がするのよ、お願いだからそうして!」

 執拗に迫るまり子の願いはまだ誠也の心に響かない。その理由ははっきりしている。誠也の奥底に眠るアウトロー魂が是が非でもそうさせてくれないのだ。この拘りはまだ誠也の精神が幼いからなのか、それとも己が道を全うしようとする彼の矜持自体が通じない程人間社会は複雑怪奇なものなのか。

 答えの出ない問いに抗うように二人は互いの身体を強く抱きしめ合う。桜の花は以前その美しさを失ってはいない。可憐に咲き誇る春の花々は二人の想いをどう誘ってくれるのだろうか、無心になって愛を確かめ合う二人の姿には何の矛盾も無かった。

 

 

 

 

 

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