人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

早熟の翳  二十六話

 久さんの言説に従いヤクザの顧問弁護士を辞めた誠也は路頭に迷っていた。それにしても久さんとの別れは余りにも儚く感じられて仕方ない。この数年間は一体何だったのだろう。永久(とわ)の別れになってしまったのだろうか、そんな筈はない、彼は近い内に復活してまた自分を呼び戻してくれる。誠也はそんな淡い夢を観ながら一時放心状態の日々が続いていた。

 だが何時までもまり子の世話になる訳にも行かず次なる就職先を探し出す。まだ経験の浅い誠也は個人で法律事務所を立ち上げる手腕も信用も金も無い。しかし何処を見てもパっとした事務所は見当たらない。職探しに翻弄していると以前お世話になっていた林田先生の事が気に掛かった。

 あの先生は「何時でも戻って来ていいから」と言ってくれていた。これをバカ正直に好意と受け取っていいものだろうかと戸惑う所ではあるが、当たって砕けろと思った誠也はダメ元で林田先生の事務所を訪れる決心をする。

 誠也の家から電車で二駅ほどの距離にあるその事務所は相変わらずの閑散とした様子で、外から見た感じでは営業しているのかさえ疑わしい雰囲気を醸し出していた。

 玄関のドアをノックすると中から先生の奥方の優しい声が聴こえる。

「どうぞ」

「失礼します」

 奥方はその声と同様実に柔らかい表情で誠也を迎えてくれた。

「久し振りだったわね誠也君、取り合えず掛けて頂戴」

「有り難う御座います」

 奥方はお茶を用意してくれて軽い世間話などをした後、先生が帰って来るまでの間、寛ぐよう誠也を促す。この間誠也は恐縮して仕方なかったが奥方の大らかな言句は彼の心を安んじてくれる。これ以上は話の種も無かった誠也はただお茶を有難く頂くだけであった。

 30分ぐらいが経った頃先生が徐に入って来た。彼は書類を奥方に渡した後、誠也の方に身体を向けてこれまた優しい面持ちで語り掛けて来る。

「おう誠也君久しぶりだったね、この前電話を貰った時は嬉しかったよ、私は君が必ず帰ってきてくれると信じていたよ、私の勘は当たったようだな」

 そう言って微笑を浮かべる先生であったが如何せん高齢で杖をつきながら喋っている姿は少し憐憫さを漂わす。誠也は思わず椅子に掛けて下さるように願い出たが先生はそれを断り

「私は立っている方が楽なんだよ、坐ってしまえばまた立つのがしんどくてね」

 などと冗談交じりな顔つきで答えた。

 誠也は面接のつもりで来たのだが先生も奥方も一向に質問や手続きの話をしては来ない。それを訝った誠也はどうしていいのか分からず、取り合えず持参して来た履歴書を差し出す。すると先生はこう言う。

「何だねこれは? 君の来歴などは今見ただけで十分分かったよ、それよりこの書類にサインしてくれないか」

 と言って先生に依って奥方が整然とした面持ちで雇用契約書を持って来た。誠也は促されるままにサイン捺印したが履歴書を蔵(しま)うのには躊躇う。そんな彼の様子を他所に先生は今抱えている仕事の話をし始めるのであった。

 こうして誠也は難なく林田法律事務所に再就職出来た訳だが、この二人の優しさはどういう事なのか、他の職種ならいざ知らず司法に携わる者にしては些か大雑把ではなかろうか。この余りにも厚い好意はいくら腹の据わった誠也をもを震え上がらすには十分で、それは高校大学の頃のアルバイト先の好意にも似ていた。久さんにしてもそうだった。誠也は今ままでの人生に於いても常に恵まれた環境に居座っていたのかもしれない。それに対して誠也は報いて来たのだろうか。今更ながら己が人生を省みる誠也の姿は実に清々しい一人の青年のようにも見える。

 先生は深い皺を刻んだ顔で資料に目を通していた。

 

 再就職を果たした誠也は久しく帰っていなかった実家を訪れる。庭には見慣れない桜の木が植えられていた。

 誠也は母に会うなり毎月渡していた仕送りとは別に新たな金と幾ばくかの土産物を手渡す。

「母さん長い間心配掛けて悪かった、ヤクザの顧問弁護士は辞めて、また林田先生のとこに世話になる事になったよ、だからもう心配しないでくれよ」

 誠也の事言葉に母は感涙し顔を歪ませる。

「有り難う、こんな事までしてくれなくてもいいのに、私は貴方の元気な姿を見れただけで嬉しいのよ、ほんとにありがとう」

 流石の誠也も母に釣られて涙を零す。この時誠也は人生で初めて親孝行が出来た感じがしていたのだった。すると姉が現れる。

「誠也、あんた少し成長したみたいだね、母さんはあんたの名を口にしない日は一日も無かったのよ、これからは絶体に母さんを悲しませるような事はしないでよ、もししたら私があんたを殺すわよ」

 そう言った姉の顔にも一滴の涙が流れている。この日親子三人は仲睦まじく夕食を食べお互いの近況などを語いながら時を過ごす。新しく植えていた庭の桜は三人の気持ちを優しく包んでくれるのであった。

 

 時を同じくするように翌日仕事を終えた誠也には朗報が齎される。修二は誠也に会って酒の席でそれを発表する。二十代後半にして早くも鳶の親方になった修二の喜びようは天にも舞い上がるような雰囲気を漂わす。誠也もそれを大いに祝福しふざけながら修二の頭を小突く。

「お前が親方かよ~、みんな付いて来るのか?」

「当たり前だろう、親方なんだから」

「そうだな、お前が何時親方になるのか一日千秋の想いで待っていたんだよ」

「有り難う兄弟!」

「兄弟か~、今の俺達には俺とお前の二人しかいないんだよな~、清政にも聞かせてあげたいよな~」

 修二は俄かに神妙な面持ちになった。

「誠也から知らせてくれよ、俺もあれからというものあいつには会ってないんだ、もうそろそろ手打ちしてもいいんじゃねーか?」

 誠也は己が放った言葉とは裏腹に修二以上の険しい表情を泛べる。

「修二よ、それだけは無理な話だよ、今のは冗談さ」

「そんな事ねーだろ、お前はそんな冗談を言う奴じゃねーよ!」

「悪かった、その話は止めよう」

 誠也が放った少し軽率でもあるその言葉に依って場は一気に静まり返った。するとこういう時のお決まりで親っさんが姿を現す。

「誠也、修二の言う通りだ、もう時効だろうよ、俺もお前達が仲たがいしたままでは楽隠居出来ねーじゃねーか、もうこれ以上心配させねーでくれよ」

 この親っさんの言葉は流石の誠也にも響いた。いかしそれを踏まえた上でも彼にはどうして良いかは分からない。清政と健太、先に筋を外したのはあくまでも向こうだ。自分に非があるとすれば先々の事を見通せなかった事。それ以外にはあり得ない。そうすると自分から手を差し伸べるような真似は到底出来ない。

 こういった誠也の世間から見れば硬い考え方は所詮は時代錯誤で今の世には通じないものなのか、それとも狭量なだけか。久さんといい誠也といい早熟した若者には他者を慮る精神に乏しいのか。色んな思惑が誠也の脳裏を過る。だが誠也はまだ彼等に対して寛容になる事は出来ない。この頑なな拘りが呈する形はどんな未来を作って行くのだろう。

 桜は未だ枯れず華やかに街を彩るのであった。

 

 

 

 

 

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