人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

上級国民って何? ~感情の必要性

 

 

 この件については触れるべきか否か大いに迷いましたが、やはり触れない訳には行きませんね。寧ろ触れる必要があるようにも思われるのですが。

 先日公判が行われた池袋暴走事故。飯塚被告は相変わらず眠たい事ばかり抜かしていたみたいですけど、この人は言うに及ばずこういう事件、事故が後を絶たない現代社会を憂慮せずにはいられません。本当にやり切れませんね........。

 

上級国民って何? 

 

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 上級国民(じょうきゅうこくみん)とは、一般国民とは違う上級の国民を表す、ネット上などで用いられている俗語(インターネットスラング)である。2015年および2019年に、新語・流行語大賞の候補になった。 

 最初の用例として確認できるものは佐々木惣一によるものである。1916年大正デモクラシーの際に憲法学者の佐々木が『立憲非立憲』の中で「門地や職業に依て限られた範囲の国民」を「上級国民」と名付けた。

 とあります。昔の身分制度が強いられていた時代でもあるまいし、現代社会に華族や貴族、伯爵や男爵、子爵などが存在するのか? 亦こんな俗語を広めてしまった国民性にも疑問を感じる所です。真の上級国民なるものは皇室だけと思いますけどね。

 どれだけの勲章や名誉、功績があっても品行方正、温厚篤実、それに見合った素晴らしい人柄、人間性が無ければとてもじゃないですけど上級国民などとは呼べないし、はっきり言って今の政治家にもそういう立派な人は見受けられませんね。

 何も聖人君子のような大袈裟な事を言うつもりはありませんが、少なくともこの飯塚被告は上級どころか精神的な意味合いでは超下級国民と言っても過言ではないでしょう。

 仮に上級であるとすれば尚更、「上の者が姿勢を正さずして下々を律する事など出来よう筈もない」と思うのですが。川に例えてみても上流が濁っているのに下流が綺麗な訳ないんですよね。そういう意味では自分はやはりトップダウン、縦割り社会も大事だと思います。そしてそれに服従するだけではなく対抗する下々の志、心意気、心根、こういう意志が噛み合って初めて真の理想的な社会が生まれると思います。

 自分の経験でも悲しいかな今までお世話になった目上の人にも尊敬出来るような素晴らしい人物は余りいませんでした。得てして人の上に立つような人はそういうものかもしれませんが、こんな愚痴を言っている時点で自分も所詮は狭量なんでしょうね。ならばお前がそうなればいいだろ、と言われてもそんな力も持ち合わせていない自分には何も出来ません。結局は負け犬の遠吠えなのでしょうか(笑)

 

喜怒哀楽の必要性 

 この事故についてはもう一つ言いたい事があります。それは人間が誰から教わった訳でもなく生まれながらに持ち合わせた喜怒哀楽、この四つの感情の重要性です。

 世間ではよく怒と哀はなるべく表現しない方が良いなどと自分に言わせて貰うと眠たい事を言っている人がいます。実際にそう言われた経験もあります。そこまでして喜と楽に逃げたいのかと思ってしまいます。 特に現代社会ではもはや喜すら忘れただひたすら楽だけを追い求めているようにさえ感じます。言うまでもないですがこの「喜」というワードは喜ぶという意味ですが、感謝なんですよね。ただ喜ぶだけ嬉しがるだけで感謝しないのは筋が通らないと思いますね。

 

 

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 で、この記事なんですが。自分も日曜日はサンジャポ観ていました。そこでこの事故について触れていたのですが、大半のタレントが飯塚被告に憤りを感じ憤慨している様子には自分も大いに共感しましたね。

 そんな中、爆笑の太田と杉村は一応被害者遺族の心中を察しながらも冷静になる事を頻りに訴えていました。

 自分はこのコメント自体に憤りを覚えましたね。確かに言っている事にも一理はあると思いますが、この現状でよくそんな事が言えるなと思いました。無論太田は世論に対して冷静になるよう促したのでしょうけど、この事故では何人もの方々が被害に遭い大切な最愛なる家族を喪っているのです。こういう時は遺族だけではなく我々他人も一丸となって怒り、共に悲しむべきだと思いますね。そうする事でしか被害者や遺族の心を癒やす事は出来ないのではないでしょうか。

 太田は法に血が通ってはいけない、感情的になってはいけないなどと言っていましたが、「反省の色が見えない」と己が感情を表す裁判官もいくらでもいますし、そもそも憲法や法律を作ったのはあくまでも人間です。神様やAIが作ったものなどではありません。そうなると勿論そこには人間としての感情が含まれているのですよね。

 そして冷静になるという事は必ずしも感情的になる事を否定するものでもありません。冷静になって感情論を訴える事も可能です。そもそも人間の口から発せられる言動には多かれ少なかれ感情が含まれているのです。依って太田のこの「冷静になる必要がある」という発言自体が既にして感情の表れでもあるんですよね。

 であるとすれば何故もっと遺族の方に寄り添うような事を言えないのかと不思議に思えて来ます。

 カッコ悪い話ですが自分も傷害事件で被害者になった経験があります。こういう事は実際に経験した人でないと分からないかもしれませんが、悲嘆に暮れた人間の気持ちはとてもじゃないですが言葉などでは言い表せない凄まじい、それこそ怒と哀に充ち溢れた感情に支配されます。遺族の方の今の心境は発狂寸前、いや発狂しているでしょう。自分ならテレビでこんな温(ぬる)い発言をしている人を見れば怒り狂うでしょう。人一人の命はめちゃくちゃ重たいものだと思います。

 太田は冤罪というワードまで口にしています。まずこの事故で冤罪はあり得ないと思いますが、百歩譲って冤罪で、飯塚がアクセルを一切踏まずに勝手に車が暴走し出したとしても飯塚被告が何人もの人を傷つけ殺した事には何ら違いは無いのです。自分は法律以前の話だとも思います。それなのに未だに無罪を主張するこの人の神経は理解不能です。最終的な判決の結果に関わらずこの先も誠心誠意謝罪する事は無いでしょう。

 感情を失った人間は言わば歌を忘れたカナリヤ、牙を失った野生の動物で正に思考は停止し精神をも去勢された生ける屍ではないでしょうか。知性、感性、理性、品性と共に喜怒哀楽、この四つの感情も重要だと思います。感情的になる事=悪い事、みたいな温(ぬる)~い風潮こそが危険なモラルのような気もします。

 要するに法律以前にもっと人間の心情を斟酌してやれよと言いたいですね。お笑い芸人としては自分はさんま、ダウンタウン松本、そして太田は好きですけど、太田の思想信条みたいなものは嫌いですね。

 

 という事でまたまた縷々講釈を垂れ流してしまいましたが決して上からものを言うつもりでもありません。自分の主観に過ぎないかもしれませんが、あくまでもアホながらにも誠心誠意綴ったつもりです。

 今日はメロンの日らしいので久しぶりに美味しいメロンでも食べたいですね 😉