人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

早熟の翳  最終話

 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。とは言うもののこの時の誠也の足取りは余りにも重い。彼等との訣別、自分自身の人生観、色んな想いが錯綜する。ついさっき腹を割って話をする気になっていた筈がいざ足を踏み出すと身体が思うように進んではくれない。こういう心境はいくらヤンキーの王道を歩んで来た誠也にも少し躊躇いを投げかけて来る。

 彼のそんな鬱蒼とした想いすら笑い飛ばすかのように桜は未だ散り行く姿を見せず、その行く手を燦然と照らしてくれる。誠也は公園のベンチに腰を下ろし一服して気持ちを静めていた。

 鳥の囀り彼の心を癒やし春の柔らかいそよ風は辺りを和やかにしてくれる。一片の桜の葉が誠也の頬に華麗に舞い降りて来る。まり子はこの桜が大好きだった。昔デートしていた時も桜の葉が二人の気持ちを包んでくれた。この前作ってくれた桜ごはんの事も思い出す。桜の花言葉として精神の美、優美な女性というのがあるが彼女の存在は正に桜そのもののような気さえする。二人の間には桜は欠かせないものであった。

 

 煙草を1本吸い終えた誠也はまた足を進める。一服し終えた彼の足取りは心なしか軽くなったように思える。向かう先は当然清政の自宅であった。

 誠也の実家からは電車で一駅分の距離にある清政の自宅は今やは堅気になったとはいえ如何にもヤクザの家と言わんばかりの物々しさが漂う豪邸で、玄関には未だにカメラが付いている。作動しているのかまでは分からないが誠也はそのカメラに一瞬目をやり徐に呼び鈴を鳴らした。

「はい」

「こんばんは、誠也ですけど、清政君に会いたく訪問させて頂きました」

「どうぞ」

 そのあくまでも礼儀正しい声の主は母御さんに相違ない。誠也は恐る恐る扉を開け中に入る。優雅な庭を横目に進んで行くと母御さんが微笑を浮かべながら部屋に案内してくれた。

 しかし案内されたその部屋は清政の部屋ではなくだだっ広い和室であった。床の間には勇ましくも雅やかな滝の水彩画の掛け軸と3本の刀が飾られている。峻厳さを漂わす部屋に清政の父が入って来た。父親は引退したとはいえその風格は未だ現役さながらで、物を射るような鋭い眼光は周囲を威嚇する。取り合えず誠也は挨拶をする。

「お久しぶりです、突然の訪問にも関らず親分自らのお出まし痛み入ります」

「おう、ほんとに久しぶりだったな~誠也君、俺はもう親分ではねーけどな」

 父親は笑いながらそう答えた。更に誠也は続ける。

「この前の一件ではいくら仕事上の話とはいえ、出しゃばった事をしてしまい申し訳ありませんでした」

「何の事だ? 借金の話なら謝らなきゃいけねーのは寧ろこっちだよ、誠也君のお陰で大分まけて貰ったからな」

「そう言って頂けると幸いです、で、今日伺ったのは」

「ちょっと待て、清政の事だろうけど、あいつは相変わらずのガキのままだよ、あれからも幾つかの組を頼って行ったんだが何処でも使い物にはならず俺も困ってんだが子供には違いないし、どうすればいいのか苦労するよ、でも今日こうして誠也君がわざわざ来てくれたからにはあいつも喜ぶに違いねー、俺はただ久しぶりに誠也君と話がしたかっただけなんだ、おー、清政を呼んで来てくれや」

 そう言って清政を呼んでくれた父親は気を遣ってくれて部屋を出て行く。誠也は丁重に挨拶を済まし窓外の庭を眺めていた。

 やがて清政が入って来る。二人は初め何と言葉を掛けて良いものか分からなかったが小鳥の鳴き声が緊張を解してくれた。

「可愛い鳴き声だな~、しかしこの庭凄いな、羨ましいよ」

「俺は毎日聴いてるからそうでもないけど、確かに有難いな」

 すると母御が酒を運んでくれる。

「誠也君、今日は寛いで行ってね」

 優しく声を掛けてくれる母御は父親同様誠也に対し好意を持っているらしく、その笑顔は益々二人の間を和やかにさせてくれる。久しぶりに清政と酌み交わした酒は旨かった。こういう時酒ほど人間の気持ちを落ち着かせてくれるものは無いような気さえする。気持ちが和らいだ清政はこう言うのだった。

「誠也よ、俺が悪かった! この通りだ」

 頭を下げる清政に誠也は言う。

「いや、どっちが悪いとか言う話でもねーさ、俺も拘りが強過ぎたのかもな」

「だがな誠也、俺はやっぱりヤクザを辞める事は出来ない、生まれついての極道の血がそれを許さねーんだよ、いくら俺みたいなドチンピラでもな」

「なるほど」

「でもお前が言うように健太はどう見てもヤクザの柄じゃねー、あいつは堅気にしたよ、これで勘弁してくれねーか?」

「分かった、お前にはお前の生き方があるし、俺もこれ以上は何も言わなねー、今日は思い切って来た甲斐があったよ」

「そう言ってくれると有難いよ、また兄弟分だな!」

 二人は改めて固めの盃を酌み交わした。堅気とヤクザの心の盃とはいえ、この峻厳さに充ちた格式の高い和室で酌み交わす盃はさながら本職のヤクザの盃の儀式のような情景を漂わす。そんな場所で交わした盃を裏切る訳には行かない。二人はそう誓うべくこの盃を一気に飲み干しその誓いを己が胸中へと深く蔵(しま)い込むのであった。

 

 陽が暮れかけた頃の庭はまた違う美の姿を現す。鳥に代わって啼き出す虫の少し甲高い声は辺りに自然の美を提供してくれ尚、人の気持ちに勇気まで与えてくれる。その美しい鳴き声を堪能した二人は更に話に花を咲かせる事が出来、思い出話にこれからの話、笑い話もあれば後悔、反省を促すような話、冗談話など様々な話題は一向に尽きない。

「誠也、お前はほんと優しい奴なんだな、俺なんかには勿体ないよ」

「何言ってんだよ兄弟、俺だってお前の存在は有難いよ」

 この二人が醸し出す光景は微笑ましくさえ感る。そんな時、新たなる呼び鈴が広い敷地全体に谺(こだま)する。その主は健太であった。少し酔いが回った二人は健太の到来を喜び、久しぶりに外に飲みに行く。玄関先に佇んでいた健太は誠也の顔を見て思わず俯いてしまった。そんな健太にも誠也は優しい声を掛ける。

「いいからもう何も言うな、ほら飲みに行くぞ!」

 

 

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 健太は二人に促されるまま歩き出す。少し薄暗くなって来た所で誠也は後ろから何か音を感じた。最初小さく感じたその音は今では誠也の身体全体に響き渡る。

 鋭いナイフで突き刺された誠也の背中には夥しい鮮血が流れている。深紅の血は地面に流れ堕ち誠也の身体を覆い尽くてしまった。清政は愕きの余り健太を思い切りぶん殴った。健太はその場に倒れ込む。誠也は渾身の力を振り絞り健太の身体を引き寄せる。

「おい健太、やるんならもっと気合入れて来いや、これぐらじゃ俺は死なねーぞ」

 健太は既に泣いていたが事ここに至ったからには己が真意を告げずにはいられない。

「誠也君、お前は何でそんなに優しいんだよ、何でそんなに賢いんだよ、俺達はあれからというもの実に悲惨な人生を歩んで来たんだよ、金もない、仕事もない、高校時代に初めて付き合い出した彼女もそんな俺に愛想を尽かして逃げて行ったよ、それに引き換え誠也君は順風満帆この上ない人生を送って来たじゃねーか、早熟過ぎるよ、俺達とあんたの中にそれ程の差があるのかよ! 」

「差なんてねーさ、自分の事を早熟と思った事もない、俺もお前の同じだよ、ただ俺は俺自身に負けた事は一度もねー、お前らは負けたのかもしれねーな、己自身にな」

「確かに俺は何時も誠也君に憧れていたよ、じゃあ何で俺みあいなヘタレに構ってくれたんだよ? 今になってそれを恨むんだよ」

「なぁ健太よ、俺はお前をヘタレだなんて思った事は一度もねーよ、お前の優しさ、純粋さバカ正直さは寧ろ俺を勇気づけてくれたんだよ、だから俺はお前が好きだったんだ、俺らが歩んで来たヤンキーの世界にはそれが有難く思えるんだよ、肩ひじ張り続けて生きて来た俺らにはな」

 この誠也の正直な気持ちに偽りは一切感じられない。健太も清政も我を忘れ泣き続けている。その涙は誠也が流している血の海に一滴の波紋を泛び上がらせる。

 誠也の想いが健太に通じなかった事は嘆かわしい限りではあるが、それを悔いても始まらない。誠也はこの期に及んでも尚自分の生き様を省みようとはしない。だが対極に位置する誠也と健太の生き様、この二つの心が歩み寄る事は出来ないのだろうか、そんな筈は無い。でもそれを解決出来なかったのは誠也の非でもある。

 誠也は生まれて初めて己が下手打ち恥じた。そして改めて健太の顔を見つめる。もはや声を出すのもやっとの誠也には僅かな力しか残っていない。その中でも微笑を浮かべながら言う。

「健太よ~、お前にやられたんなら俺も本望だよ、ありがとな」

「誠也くーん!!」

 周囲一面に轟く健太の声はまるで暴走族が好んで使う直管マフラーのような凄まじい轟音を響かせる。

 夜映えする桜は絶妙な青白さを称えながら、あくまでも美しく可憐で精悍な姿を保ち続けていたのだった。

                                

                                   完

 

 

 

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