まほろばの月 二章
繋ぎ役を任された清吾は各地に散らばる一党に連絡を入れ段取りを告げる。親分の阿弥が率いる東京を皮切りに名古屋、大阪、広島、福岡、宮城といった順番で仕事に着手する。無論地方には阿弥自らが出向く。それまでに入念な、いや完璧な下調べをしておく事を指示する清吾。
名古屋支部で働く波子は仕事の趣旨、つまり阿弥の意向を素早く汲み取り今回の仕事には実にハリキっていた。気が逸って仕方がない、彼女は何時も以上の素早い動きで店の内情に探りを入れ皆と共に計画を練り上げる。後は親分の到来を待つばかり、しかし久しぶりに仕事を同じくする清吾の事は心配でならなかった。
阿弥が提起したから丁度十日、全ての段取りが決まった。的に掛けられた店は東京が10軒、地方はそれぞれ5軒。何れも悪評高いトップクラスのぼったくりバーで決行日時は東京が今夜で名古屋が翌日、大阪が明後日と連日立て続けに取り行い、深夜2時から明け方までの間に迅速に事を済ませる。やり方は店主を襲い金やカードを奪う、店に金庫がある場合はそれも悉く奪い尽くす。何時も通りのシンプルなやり方であった。
街路に佇む色鮮やかな紅葉は可憐な中にも憂愁を漂わす。この日表の仕事を終えた一行は気持ちを切り替え、徐に隠れ家に集結する。彼等の顔は昼間とは全くの別人のように見える。鋭い目つきで強かに辺りを警戒するような仕種は正にこれから犯罪に手を染めんとする殺気に充ち溢れているが、世論はどうあれその崇高な志には決して悪意などは微塵も無く、寧ろ純潔な魂を秘めている。いくら窃盗集団であるとはいえこの矜持に依って一同は阿弥の下に心を同じくして仕事に勤しむ事が出来たのだ。
阿弥が口を切る。
「行くか」
「へい!」
この一言に依って一行は動き出す。お決まりの黒ずくめの装備に身を包んだ一行は車に乗り込み目的地に赴くのであった。
まずは一軒目、深夜2時過ぎに着いたその場所から店の様子を窺う。まだ灯りが点いている。だが直ぐ様店の女の子らが帰って行った。それから敢えて5分待ちもう店終いする事を確信して一行は押し入った。
兵は神速を持って尊しと成す。阿弥を先頭に押し入った一行は素早く灯りを消し店主に一撃を加え羽交い絞めにし、携帯電話を奪った後、ナイフを突きつけ脅しの文句を浴びせる。
「金とカードを出せ、金庫はあるのか?」
「何だお前ら!?」
「いいから早くしろ! 騒ぐと命は無いぞ!」
すると奥から屈強な物々しい男二人が出て来て暴れ出す。一行はそれにも全く動じず一瞬にして二人も店主と同様に羽交い絞めにして身動きが取れない状態にする。
その華麗なやり口に圧倒された男達は観念して金とカードを差し出した。金庫には僅か200万円しか入っていなかった。阿弥は言う。
「いいか、絶体誰にも言うんじゃねーぞ、そしたら警察にもお前らの悪行は黙っておいてやる、そしてこれからは真っ当な商売をするこった、分かったな!」
その後三人の男を気絶させた一行は素早く車に乗り込み次の的へと足を運ぶ。こんな時でさえ阿弥は爆竹を鳴らす事を躊躇わなかった。その爆音は店を嘲笑うようにけたたましく鳴り響いていた。
こうして次の店、次の店と一行は僅か1時間半、一軒当たり約10分の速さできっちり10軒の店を襲い仕事を成功させる。何時もの事ながらそのやり方は実に見事であった。
だが阿弥は全く達成感に酔いしれる事もなく
「明日は名古屋だ、気合入れておけよ!」
と檄を飛ばすのであった。
翌朝も快晴で秋の装い満ち足りた山々は優雅に聳え立ち、街には快活な表情を浮かべファッショナブルな出で立ちで陽気に歩く人々が微笑ましく映る。
清吾は家業である土建業の仕事で汗をかいていた。昼休みにみんなと語らっていると一人の職人がネットで見たニュースの話を口にする。
「おいこれ見ろよ、ぼったくりバーに強盗侵入だってよ、凄いな~、いくら取ったんだろうな、でもこんな店なら誰も同情なんてしねーよな、いい気味だぜ」
「そうだよ、はっはっは~」
清吾は彼等の話題には口を差し入れなかったが、腹の中では自分達のした行為は間違ってはいなかっただと改めて確信する。だが何時までもこの話題を訊いているのも心苦しくなった清吾は違う話をし始める。
「ところで昨日の野球、巨人は強かったな~、あのピッチャーは流石だよな」
「そうだな、あの人のお陰で巨人は今年も優勝かな」
こんな在り来たりな会話で己が気持ちを紛らわすのも裏の稼業を持つ一味には結構重要な事で彼等には正に文武両道、知勇兼備な才覚が必要とされていたのだった。
しかし、
「で、清吾よ、お前何時になったら結婚するんだ? もういるんだろ? 隠すなよ」
仕事仲間がたまに言うこんな問いにだけは何時も動揺してしまう清吾。彼はいざ女の話になると口を噤んでしまい顔を赤くさせてしまう。そして
「お前はほんとに正直な奴だな、バレバレじゃねーか」
とみんなに笑われる事に依って自分も愛想笑いをする。こうして気持ちを誤魔化すのであった。
だが今夜は名古屋で波子と会わねばならない。電話ではしょちゅう話している清吾も実際に会うとなると嬉しいやら悲しいやらと心は搔き乱される。まして裏の仕事となれば尚更失敗は許されない。しかしいくらプロの窃盗集団とはいえ己が惚れ抜いた女と会い平静を装っていられるものなのか。久しぶりに波子と一緒に仕事をしなければならなかった清吾はプロらしからぬ動揺に襲われていたのだった。
そして表の仕事を早終いした清吾は1週間の休暇を貰い、他のメンバーも同様にして名古屋に向かう。夕方前に新幹線に乗り込んだ一行は霊験あらたかな富士のお山を遠目で眺めながらこれからの仕事が成就する事を心の中で祈願する。富士はあくまでも雄大にして壮大な威風堂々たる姿を彼等に見せつけていた。
清吾も『そうだ、俺も一々葛藤していてはダメだ、この富士山のように堂々としていなければ』と己が自身に言い聞かせていた。
夕方7時前に名古屋に着いた一行は各地にある隠れ家に赴く。そこには既に名古屋支部のメンバー達が準備万端、車や道具は勿論、一行の食事の用意まで済ませて待っていた。
「阿弥姐、お久しぶりです、手筈は整っております」
と挨拶をする者。阿弥はみんなの顔を見て
「おう、久しぶりだったな、今日は頼むぜ!」
と隙のない様子で声を掛けた。
名古屋には阿弥と同じく紅一点、美しい姿を漂わせる波子がいる。波子も阿弥に勝るとも劣らない美形でその麗しい顔と容姿は男だらけの組織の中で一際輝いて見える。ただ一つ阿弥との決定的な違いはその大人しくて控えめな性格であった。
こんな女性が何故窃盗集団になど入っているのか。それは阿弥と清吾しか知らない過酷で悲惨な生い立ちから発するものであったが、この波子もまたみんなと同じく阿弥の心意気に惚れ込んで一味に加わった一人であった。
一同は旧交を温めるようにして語り合いながら食事を済ませる。そして仕事の段取りの話を詰めて行く。この間清吾と波子は一度も顔を合わせずに黙々と訊いていた。阿弥はそんな二人の様子を怪訝そうに見つめる。察しの良い二人は当然阿弥に見られている事にも気付いている。それでも二人は無論、阿弥も何も言わずにじっとしていた。
上弦の月はその張り詰めた姿を清吾と波子、そして阿弥の思惑になぞるようにして天高く現わしていた。この緊張感は彼等にどう影響して来るのであろうか、清吾はこの時ほど月灯りが鬱陶しく思えた事は無かった。
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