人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まほろばの月  十章

 

 

 阿弥が正月を名古屋で迎えたのには一応の理由があった。一つは一刻も早く名古屋入りし仕事に専念したいという気持ちと、もう一つは東京に居れば何時まで経っても英二の事が忘れられない、その未練をいち早く払拭したいという彼女なりの切実な願いであった。

 無論英二の事を忘れられる訳など無いし忘れたくも無い。だが、まだ志半ばな状態でその事を引きずって行く事は、これから一大決戦に挑もうとしている阿弥にとっては余りにも危険だからである。その為にも名古屋では是が非でも下手を打つ事は出来ない。阿弥は十二分に策を練り、東京では英二が清吾を密偵に使っていたように名古屋では既に波子に隠密行動を執らせていたのだった。

 熱田神宮で初詣を済ませた阿弥は子分達と別れ、一人で波子に会っていた。波子は清楚な服装で正月らしい晴れやかな顔つきをして阿弥に挨拶をする。

「親分、あけましておめでとう御座います、今回謹慎を解いて下さって本当に有り難う御座います、本年も宜しくお願いします」

 阿弥はそんな波子の明るい表情を見て安心していた。

「おう、おめでとう、こちらこそ宜しくな」

「親分」

「何だ?」

「此度の頭(かしら)の御不幸誠に持って残念です、謹んでお悔み申し上げます、そして頭の分までこれまでより一層の活躍をしたいと思っております」

「お前、何でその事知ってんだ?」

「実は清吾に繋ぎを入れたのは私なんです、病院で患者に異変が起こり、只ならぬ脅威を感じた私は矢も楯も無く彼に電話して、現場に急行するよう頼みました、で、頭が名古屋に来ていない時点で察しが付きました、頭は今までも名古屋入りした時真っ先に私に繋ぎを入れてくれていたのです」

 阿弥は改めて英二の思慮深さを知ったような気がした。

「そうだったのか、なら隠しても仕方ねーな、英二の分まで頑張ろうぜ」

「はい、親分、その事は一家で隠し通せるものでも無いと思います、寧ろ正直に知らせた方が良いかと思われるのですが、差し出口を叩いて申し訳ありませんが」

「分かった、お前の言う通りだよ、あたいもまだまだだな」

 そう言って阿弥は軽く笑った。やはり阿弥は英二の死に依って大きく成長したのであろうか、以前の阿弥からこの時点で波子をカマシ上げ、破門にさえしていたであろう。だがこの寛容さはどうした事か、自分自身でもまるで別人のような感じさえする。死しても尚、一家に多大なる影響力を及ぼすその存在感、一死報国、英二が残してくれたものは余りにも偉大であった。

 波子が調べ上げた詳細は清吾のものと類似していた。ヤミ金の被害者は実に多数に渡り、彼女が勤務する病院の患者の中にまで居た。酷い場合は病院にも追い込みに来ていたらしい。彼女の功に依ってヤミ金業者の事務所は言うに及ばず、隠れ家にしている架空会社や連中がよく行くバーや遊び場、更には裏社会での人脈等、いくら彼女が才女であるとはいえその成果には目を見張るものがあった。阿弥は言う。

「お前、よく調べ上げたな、流石だよ」

「有り難う御座います、でも親分、本題はこの先にあるのです」

「と言うと?」

「奴等のバックに控えるのはヤクザだけではないみたいなのです」

 阿弥には戦慄が走った。ヤクザよりも大きい存在といえばあれしかない、そう思うと怒りが込み上げて来る。想定していたとはいえその事を現実問題として訊かされる事は阿弥にとっては何よりも酷な話であった。

「察しの通りです、政治家です、親分の大嫌いな.......」

「山友会と政治家ね~、世も末だなこりゃ」

 しかし行く道は行くしか無い。この時阿弥は正に一世一代の勝負に出る腹を括っていたのだった。

 

 種類の分からない鳥が飛んでいた。その鳥はこの寒い冬空の中でも勇ましく飛び回り、雲の隙間から差し込む光芒に向かって一心に舞い上がって行く。越冬燕とは言うがこの季節、名古屋に燕がいる筈もない。だがその姿は阿弥の目には韋駄天の如く速く飛び回る燕以外の何者でも無かった。

 この燕に限らず、鳥達は、あらゆる動物は、虫は、植物は、そして人間は、生きとし生けるもの全ては何処から生まれ何処に向かって生きて行くのだろう。鶏と卵の論争も然る事乍ら、あらゆる生命は何処かから生まれ、何れは死んで行く。それこそ自然の理(ことわり)なのかもしれない。だが阿弥が今思っている事はそんな物理的、科学的な事では無い。

 何故生まれるのか、何故死んで行くのか、そして何故思い悩んでまで生きて行く必要があるのか、といった少し稚拙にも思える精神的なものであった。生命の誕生を有とするならば、死は無なのか、無と有、この二つの事象が織りなす事柄や関係性、亦それに至った根本的な意味、考えるだけ無駄にも思える物事の理とは一体何なのだろうか。

 そこまで神経質でもない阿弥ではあったが、英二の死に依って何かが変わったような気がしていた。自分が生まれて来た意味や、本懐を成し遂げようとする志、それらに立ち向かう事は阿弥に与えられた責務なのだろうか、いくら阿弥が数奇な人生を歩んで来たとはいえ自分を特別な存在などとは思いたく無い。とするならばこれらの事象は万物に与えられた宿命のような気もする。

 想い耽っていた内に何時しか鳥の姿は消え失せ、薄曇りだった空は更に曇り、雨がぱらついて来た。

「じゃあな波子、今回は急がねーから探索の方宜しく頼むぜ」

 と言い置いて阿弥は隠れ家に帰って行った。波子には親分の後ろ姿が何処となく優しく見えた。結局清吾の事は何一つ口にしなかった阿弥の心境はどうだったのだろう。阿弥が未だ英二の事を想い続けている事だけは確かだった。

 

 東京で留守居役を命じられていた清吾は取り合えず被害者の名簿を頼りに借用書を気取られぬよう各々のポストに投函して回っていた。悪い癖だけは未だ治らない。その成果のほどを眺めていたら自分がやって来た事が如何に世の為人の為になったかが窺い知れる。或る者は歓喜の声を上げ、或る者は安堵し涙を零す。そんな様子を確かめる事こそが彼等の唯一の楽しみであったと言っても過言ではない。清吾の心は充実感で充たされていた。

 だがその気持ちは長続きしなかった。彼が目にした光景は実に訝しい。ポストから郵便物を抜き取った家の者は足早に立ち去る。後を追いかけて行く清吾は男が路地に差し掛かった所で足を蹴って、柔道でいう小内刈りのような技で地面に叩き伏せ互いの顔を見ぬままに問いただした。

「それを何処へ持って行くんだ? 正直に言わねーとただでは済まさねー」

 男は何も言わない。清吾は更に男の首を締め付け脅しを掛ける。

「これ以上黙ってるとマジでやるぞゴラ!」

「分かった、待ってくれ」

「さっさと言えよ!」

「本部に持って行くんだよ」

「本部って何だ!?」

ヤミ金業者の本部だよ」

「本部は名古屋だろうが!」

「あれはカモフラージュだよ、山友会の本家が東京なのにアガリの大半を担ってるヤミ金が名古屋な訳ねーだろ」

 しくじった。清吾は人生で最大の過ちを犯したのだった。確かにその可能性はあった。この前東京の砦ともいえる事務所を襲い一応は成功したが奴等が報復して来ないのはどう考えても解せない。敢えて場所を離すという作戦もある事はあるが、七大都市に名を連ねる名古屋のような目立つ都市に本部を構えるというのも甚だ滑稽にも見える。

だが得体の知れぬこの男を逃がしては更なる悲劇を生む事にも成りかねない。清吾は急いで親分に繋ぎと取り指示を仰ぐ。

 阿弥は言った。

「殺せ」

 清吾は阿弥の指示を疑った。

「ですが親分、一家の掟はどうするんです!?」

「いいか、そいつはどうせ山友会のチンピラだ、殺した所で誰も悲しまねー、生かしておけば何するか分かんねーぞ、お前だって危ない、殺せ、直ぐに帰るから」

 清吾は逡巡したあげく思い切って男に天誅を下した。男の身体からは夥しい血飛沫が吹き上がる。初めて人を殺めた清吾はその凄惨な情景を何時までも眺め、こう思うのであった。

 所詮は同類、俺もお前も何れはこうなるんだ、後か先かってだけの話だよ、俺も何れはそっちに行くから安心しなって。

 今宵、悪天候で月は姿を見せない。清吾の暗鬱な表情は月灯りにも照らされぬまま淋し気に、孤独に佇むだけっであった。

 

   

 

 

 

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