人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

有無の日 ~天神の日

 

 

          五月晴れ  久しく映る  山並みよ(笑)

 

 いやいや、鬱陶しい天気が続く中、久しぶりに晴れ間が差したような気もしますが、それはそれで陽射しが眩しいと(笑) マスクを着けてその上サングラスまで掛けて外を歩くのは不審者に見られるのではないかと懸念してしまいます(笑)

 という事で(どういう事やねん!)、最近怠っていた記念日特集ですね。こっちも疎かにしてはいけません。今日も色んな記念、行事があるみたいです。そこで自分が気になった事を幾つか挙げて行きたいと思います。

 

有無の日 

 平安時代中期の第62代天皇村上天皇(926年(延長4年)~967年(康保4年))の命日。

 村上天皇は、急な事件のほかは政治を行わなかったことに由来する。「有無の日」の「有無」は「ありなし」と読む。ただし、記念日を制定した団体や目的などは定かではない。

 村上天皇は、名が成明(なりあきら)で、第60代醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経の娘、中宮・藤原穏子(ふじわら の おんし)。946年(天慶9年)に第61代朱雀天皇の譲位により践祚(せんそ:天皇の地位を受け継ぐこと)、村上天皇が即位した。 

 


 とありますね。この頃は天皇統帥権があった訳ですから政(まつりごと)を司っていたのは天皇や公家、公卿(くぎょう)という事になるのですが、 それも一興、これも一興で大した事が無い限り政治を行わなかったというのも有りかなと思いますね。

 言い方を変えれば当時はそれだけ平和で、そこまで躍起になって政治を行う必要も無かったのかなとも思えます。それに引き換え現代社会は気忙しいですね~、いくら時代が違うとはいえもっとのんびり出来ないものでしょうか。こういう考え方をしてしまう自分は既に世捨て人なのでしょうか(笑)

 そんな無気力な自分でも神経質な一面もあって、どんな事でも少し掘り下げて考えてしまう癖があります。

 この「有無」というワードを見た時思い付く事はやはり「有形無形」ですね。有形無形とは読んで字の如く形が有るものと形が無いものというそのまんまの意味を示す訳ですが、この無と有、二極の事象は必ずしも相反するものでは無く一対のものと思います。だからこそこの四字熟語に成っている訳で、もっと掘り下げて仏教的な観点なから見ると「諸行無常」「色即是空」という言葉にも類似しているとも思えます。

 何が言いたいかと言えば無と有は決して別物では無いという話ですね。無があるから有が存在するといった二極の原理では無く、無の中にも有があり、有の中にも無があるという事です。

 もっと噛み砕いて言えば、形の有るものと形の無いもの、これは「目に見えるものと見えないもの」と置き換える事も出来ると考えられます。これらを同等に見て行かなければならないという意味です。具体的な事象では人間の外見と内心が典型的な例だと思います。

 無論人間だけに限った話でもありませんが、人の心というものは形であって形でないような微妙な位置にあると思います。この決して目には見えない心を大事にしなくてはならない。逆に言うとしっかりと形を成している外見が如何に素晴らしいものであっても中身である心が明け透けであっては何にもなりません。勿論その逆も然りです。

 つまり、自分は無と有は正に二極一対であると考えます。話は戻りますがそうした場合、何も無いからといって政を疎かにしていた村上天皇のやり方にも疑問は生まれて来ます。そんな惰性で政治を行っていたからこそ、後に武士の台頭があったのではないでしょうか。

 それは現代社会にも通ずる事でこれだけ問題が山積する現状を慮るに、相変わらず物事の上辺だけしか見ようとしない現代日本人の民族性は今のグローバリズムには真逆なものだと感じます。西洋化したのは市場や外見だけで肝心の内心、精神構造は何時まで経っても古典的な日本主義のまんまなんですよね。一体日本は何処に向かっているのかと思ってしまいますね。

 ま~またまたアホな自分の浅はかな私見を晒してしまいましたが、気に障ったなら申し訳ありません^^

 

シーチキンの日 

 静岡県静岡市駿河区に本社を置き、缶詰やレトルト食品、パスタ、パスタソースなど様々な食品の製造・販売を手がけるはごろもフーズ株式会社が制定。

 日付ははごろもフーズ株式会社の創業日である1931年(昭和6年)5月25日から。

 シーチキンの美味しさ、様々な料理に使える汎用性をさらに広く知ってもらうことが目的。記念日は2021年(令和3年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

 シーチキンは、マグロやカツオを油漬け、または水煮にして缶に詰めた商品で、同社の登録商標である。販売開始は1958年(昭和33年)で、日本国内でシェア5割以上を占め、ツナ缶の代名詞として多くの人々に愛されている。

 名前の由来は、マグロが海の鶏肉(チキン)と呼ばれていることから。原料となる魚は、ビンナガマグロ・キハダマグロ・カツオである。カツオを使用したものは「シーチキンマイルド」と呼ばれる。

 製品ラインナップとして、ビンナガマグロのかたまりタイプ「シーチキンファンシー」や、細かくほぐしたタイプ「シーチキンフレーク」、ジューシーでやわらかい「シーチキンL」、カツオを大豆油と独自の調味液で調味した「シーチキンマイルド」、オイル無添加で糖質も0gの「サラダシーチキン」などがある。

 


  とあります。自分もシーチキンは大好きで良く食べます。パンに載せて食べてもよし、野菜に混ぜてもよし、そのままご飯のおかずにしてもよしと、正にオールマイティーな食材であると思います。

 このシーチキンにもピンキリがあって、贅沢を言う訳ではありませんがやはり安いものは味もイマイチですね。でもシーチキンファンシーは美味しいけど高いです。だから自分は何時もシーチキンLを買っていますけど、博打で負けて金欠な時はこれすら高いと思ってしまいます、情けない話です 😢

 それにしても1931年(昭和6年)からこのシーチキンがあったとは凄い歴史ですね。今年でちょうど80年ですか。恐れ入ります 😆

  

 

 

 

天神の日  

 「天神様」として信仰される菅原道真(すがわら の みちざね、845~903年)の誕生日が旧暦6月25日、命日が旧暦2月25日であることに由来して、毎月25日は「天神」の縁日である。

 新暦に移行した現在も毎月25日が縁日となっている。1月25日の一年で最初の縁日は「初天神」または「始め天神」、12月25日の一年で最後の縁日は「終い天神」と呼ばれ、菅原道真を祀る全国各地の神社(天満宮・天神社)には多くの参拝者が訪れる。また、1月25日には「初天神祭」、2月25日には「梅花祭」が行われる。

 天満宮の中でも福岡県太宰府市にある「太宰府天満宮」と京都市上京区にある「北野天満宮」は有名であり、全国天満宮の総本社とされる。「初天神」など祭りが行われる日には、境内や沿道に食べ物・植木・骨董・衣料品などの露店が多く並び、賑わいを見せる。

 また、大阪市北区にある「大阪天満宮」では1月25日に「初天神梅花祭」や「うそ替え神事」、2月25日に「祈年祭・余香祭」、7月25日に「天神祭」が行われ、25日の縁日に多くの祭事が行われる。 命日の2月25日に由来して、2月25日は「道真忌」となっている。

 


 とありますね。この全国にある天神さん、日本は神道の国と呼ばれるだけあって凄いですね。やはり日本は古典的主義で通す方が良いのではないかと思ってしまいます。真のグローバリズムとは何なのでしょうか、和洋折衷とは難しいものですね。日本という国は特別な国だと思います。

 で、この天神というワードが持つ意味も様々で、実に多岐に渡る天神が存在します。

 ・日本で皇室や古代の有力豪族の祖先とされる神々。天神(あまつかみ、てんじん)

  。天津神とも。地祇(くにつかみ、ちぎ)に対する。 詳細は「天神地祇」を参照。

 ・天を司る神。 詳細は「天空神」を参照。

 ・菅原道真の神号天満大自在天神の略称、或いはそれを祀る神社の通称。 詳細は

  「天神信仰」および「天満宮」を参照。

 ・日本の仏教における天上界の神々のこと。サンスクリット語のデーヴァ、デヴァタ 

  ー(Skt. Deva, Devatā)の別訳。梵天帝釈天など。 詳細は「天部」を参照。

 ・中国思想での天の神。万物を主宰する最高神としての帝(みかど)。道教では地上

  の人々の行為を監視し、その善悪の裁きを下す神。あるいは老子を神格化した老

  君。 詳細は「天帝」

 そして全国にある地名と。それぞれの天神がほんとうに崇高で素晴らしいと思いますが、その中でも自分が興味あるのはやはり日本神話に於ける天神と、仏教の天界、そして中国の天帝ですね。

 それぞれに気の遠くなるような歴史があり、神々しいまでの輝きを放つ天。この太古の昔から天と称されて来たものとは一体何なのでしょうか、根本的な話なのですが天とは地球上だけの話なのでしょうか、それとも宇宙全てを指すものなのでしょうか。

 それこ冒頭に書いた無と有の話に引き込まれそうな、いくら考えても答えの出ない迷路に落とし込まれてしまう感じもします。

 ま、自分のようなアホが無理に考えた所で苦しくなるだけなのでこの辺にしておきますが、物事の成り立ちというのは実に神秘的だなと思います。

 

 以上、今日5月25日の記念日特集でした 😉