人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まほろばの月  十二章 

 

  絵に描いた餅、水に映る月。真実を掴もうとする事自体が所詮は無理な話かもしれない。波子への疑いが完全に晴れた訳ではないが、今宵の綺麗な月に依って心が洗われた阿弥はこれ以上の詮索は無駄だと思い、名古屋の子分達を全員連れて東京に帰った。

 もし裏切者がいるとしても一緒に居れば何れは分かるだろうといった、阿弥にしては少し打算的な思案だった。それよりも清吾の身の上が気に掛かる。一行は仕事を終えた翌日の昼前に東京へ向かった。

 だが油断は大敵である。阿弥は新幹線の中でも警戒を怠らない。その鋭い眼光は一家全員に向けられ、彼女の威を怖れる子分達は一言も喋ろうとしない。その只ならぬ雰囲気を察した名古屋支部支部長である裕司は阿弥に対し甘言を弄して来た。

「まぁまぁ親分、そういきり立っていては皆も怯えるばかりで仕事にも差支えが出て来ます、取り合えずビールでも飲みませんか」

 阿弥は差し出されたビールを受け取りはしたが飲まなかった。

 この裕司という男も英二が育てた子分の一人で清吾動揺、一家でも一目置かれる存在であった。だがその器量、裁量は清吾とは違い、異例の早さで名古屋支部を任さるに至った。名実共に一家の幹部になった彼はこれまでも大いに成果を上げ、英二なき今では阿弥に次ぐナンバー2の地位に就いていたのである。

 それは阿弥にとっても頼もしい限りで、彼に全幅の信頼を寄せていた阿弥は次の頭(かしら)に推そうとも考えていたぐらいであった。阿弥は少し表情を緩めて彼に訊いた。

「昨日の成果はいくらだった?」

 裕司は意表を突かれたような顔をして答えた。

「あ、金庫の方は全部で5000万円です」

「通帳を見るからには殆どは東京へ送金してるしな~、それにしても少なねーな~」

 阿弥の言に依って更に動じる裕司。阿弥には彼の活舌の悪さが気になって仕方なかった。

 富士の山は何時見ても美しく壮大で、彼等に勇気を与えてくれる。その想いを胸に決戦に挑む一行の姿はあくまでも凛々しく、雄々しい勇者に見えるのであった。

  

  東京に着いた一行は真っ先に隠れ家に向かい、改めて策を練る。親分の帰還を一日千秋の想いで待っていた清吾は阿弥の顔を見るなり涙を泛べながら言うのであった。

「親分、俺、俺」

「いいから落ち着けって、お前の気持ちは分かってる、男のくせに一々泣いてるんじゃねーよ」

「すいません、ですが、自分は取り合えず自首しようと思っています、でないと一家にも類が及ぶ可能性がありますし」

「お前はほんとバカだな、そんな事したらもっと危ないんだよ、お前、察で黙り通せる自信があるのか? どうせお前の事だから気取られるような間抜けな真似はしてねーんだろ? だったら何も心配せず何時も通りにしてろ」

「分かりました」

 阿弥は仕切り直してから改めて清吾に語り掛ける。

「しかし困ったな~」

「何がですか?」

「どうせならそいつの跡を着けてからやるべきだったな、今のままでは証拠が何もねーだろ」

 「確かにそれはぁ、でも山友会に決まってますよ、大方のヤミ金業者は潰した訳ですし、奴等が行く所といえば山友会本家しか無いですよ」

「そうとも限らねー、奴等のルートは二重三重四重にして厳重に固められてる筈だ、それは裏社会に生きる者としては当たり前の話だ、そこを切り崩さねー事には埒が明かなねーぞ、いいか、これから総力を持って調べ上げるんだ! いいな!」

「へい、親分!」

 皆はその場に屹立し、返事をした後一気呵成に動き出す。その様子はまるで今まで微動だにしなかった星が一瞬にして流れ出すかような流星群の美しさを醸し出す。子分達が星とすれば親分は月なのか、阿弥は波子だけを傍に置いて他の者達全てに任務を課せたのだった。

 そんな阿弥の計らいを波子は少し訝っていた。

「親分、私に何か?」

「いや、特別な話でもねーんだが、昨日の事でお前に謝りたくてな」

「そんな滅相も無いです、そんな事されたら私は恐縮してしまって何も出来なくなってしまいます」

「そうだな、悪い、あたいもヤキが回ったかな」

 この時波子には阿弥の哀愁の中漂う真の優しさのようなものを感じるのであった。

「だがな、言いたい事はそれだけじゃねーんだ」

「と仰いますと?」

「お前んとこの裕司だよ」

支部長が何か?」

「これはあくまでもあたいの推測に過ぎねーんだがな、あいつは怪しい、だからお前に頼みたいんだ」

「どうすれば良いので?」

「取り合えず、あいつを尾行してくれ、あいつの事だから隙を見せるような下手は打たねーだろうが、念の為だ」

「分かりました、では早速」

 そう言って波子は裕司の跡を追い出した。阿弥は彼女の至誠一貫、忠実な心根が大好きであった。しかしそれとは裏腹に裕司が謀反人では無いとも信じたい。

 この相反する心持は時として人を錯覚させる。波子に命じた阿弥の行為は言わば名を捨て実を取った訳なのだが、それはあくまでも阿弥が親分であるという立場から発するものであり、彼女が普通の一般的な女性であったならそいは言い切れないであろう。

 何故ならば今の彼女はあくまでも親分としての立場から命じただけに過ぎないからだ。これが普通の一人の人間であったなら裕司の事を疑いはしても波子に跡を着けさせるような真似自体出来ないし、自分でもそこまでの事はしないだろう。だが得てして人間という生き物は疑い深いものでもあると思うのである。それは日常の生活でも起こり得る事で、いざ人間関係となれば尚更である。   

 例えば親しい間柄であってもその場その場で疑っていまうような環境は往々にして起こる。しかし親しい間柄であるがゆ故にそれをナーナーで済ましてしまう事もある。これこそが人間の温(ぬる)い、その場限りの似非ヒューマニズムではあるまいか。真に絆のある間柄であればはっきりと異を唱える勇気もあって然るべきである。それをも蔑ろにするのであれば、それこそ馴れ合い仲良し倶楽部になってしまい、一切の情は見せかけだけの軽い関係になってしまう。

 阿弥は己が立場と一人の女性である事を混同してしまったのだった。それは即ち一家を束ねる親分という立場の人間には有るまじき行為で、言うなればその立場に甘んじてしまったのだ。何が阿弥の失敗かと言うと同じ女である波子に命じた事が最大の過ちであったのだ。相手は名うての強者で名古屋支部の長でもある。そんな男をいくら才女であるとはいえ波子のような線の細い女に着けさせたのでは却って危険を招くようなものだ。

 後悔先に立たず、阿弥は急いで清吾に繋ぎと取り、自分自身も動き出す。『頼むから波子が無事でありますように』逸る想いは一層阿弥の足を急がせる。

 確かにヤキが回ってしまったのかもしれない。阿弥はそんな自分の不甲斐なさを省みる間も無くただ波子の跡を一心に追いかけて行く。その姿は親が子を心配に想う優しさに他ならない。

 阿弥はこの時初めて我を悟ったような気がしていた。自分は親分である前に一人の人間なんだと。

 

 

 

 

 

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