まほろばの月 十五章
「清吾、港に行け」
「へい、分かりました」
真っすぐ隠れ家に帰ったのでは他の子分達に動揺を来たすと憂慮した阿弥には、港で裕司を始末する腹積もりが既に出来ていたのだった。清吾も波子も阿弥の気持ちは察していた。しかし阿弥の只事ならぬ真剣な眼差しに戦慄する二人は、車中では一言も口を開かずに息を飲んで佇んでいた。
ただでさえ寒い冬の夜、吹き荒れる海風を遮るものが何も無い港は底冷えする寒さだ。そんな中でも冴え冴えしく映える月だけは未だその美しさを保ったまま、一行の足元を照らし続けていてくれる。車外に投げ出しされた裕司に一発蹴りを入れてから阿弥は言った。
「もう酔いも醒めただろ、でもお前の目にはあの月も歪んで見えるだろうけどな」
裕司は土下座をして縋り付くように阿弥に懇願した。
「親分すいませんでした、もう二度としません、ですから許して下さい、この通りです」
阿弥はもう一発蹴りを入れる。
「馬鹿かてめーは、物事には許せる事と許せねー事があるんだよ、お前も男なら腹を決めろ、だがその前に全部白状して貰う、お前はあいつらと何処まで深く付き合っていたんだ、おー!?」
「それは......」
「さっさと謳えよゴラ!」
「はい、奴等は大した事は知りません、自分はただ金を渡しに行っただけです」
「まだそんな眠たい事言ってんのかゴラ、あたいとあいつら、どっちが恐いかとことん教えてやろうか? おい清吾、ドスだ!」
「へい親分!」
阿弥は裕司の首にドスを突き付けた。
「分かりました、言います、言いますから」
「さっさと言えっつってんだよ!」
「奴等は何もかも知っています」
「何もかもって何だ、何処までだ!?」
「親分の事、一家のヤサ、今回のヤミ金襲撃の件、頭(かしら)の事です」
阿弥は溜め息をついた。自分とした事がなんて情けない様だ、やはり女親分ではダメなのか、本懐を成し遂げる事は出来ないのか。しかし逡巡している場合ではない、今回の下手打ちは余りにも大きい過ぎる。一刻も早く手を打たねば取返しが付かない事になってしまう。阿弥は言葉を続けた。
「お前、いくら渡したんだ? 英二の死もお前の仕業なのか?」
「名古屋支部の貯えは殆ど渡しました、約3億、頭の事も自分が知らせました」
「やっぱりかぁ~、で、何で裏切ろうと思ったんだ?」
「それは奴等が頭を消したがってる事に気付いたからです、今の時代頭みたいな任侠道を通すような人は通じないんです、だからこそあの人も組を追われる事になったんですよ、分かるでしょ?」
阿弥は裕司を更に蹴り上げ、殴り続けた。
「うるせーんだよ外道が! 裏切者はお前だけか? おー!?」
「はい、今の所は」
「他の奴等も巻き込む腹だったのか」
「何れはそうしようと......」
阿弥は裕司にドスを渡した。
「これ以上訊く事はねー、お前も輝夜一家に身を置いていた盗賊の端くれだ、これで自刃しろ」
裕司は腫れ上がった顔で涙を流しながら必死に懇願する。
「親分、許して下さい! 全部謳いましたし、これからは改心しますから、後生です! 許して下さい!」
そこで波子が初めて口を開く。
「親分、命だけは助けてやって下さい、私は裕司さんにもお世話になった身です、彼にもいい所はあるんです、ですから私に免じて」
「ダメだ、裕司、早くしろってんだよゴラ! 出来なねーならあたいがやろうか?」
「分かりました、親分、お世話になりました、御武運を祈っています、では」
観念した裕司は己が腹を突き刺し、内臓を抉って見事自刃した。最期になってようやく筋を通す事が出来たのだ。彼の身体から出る夥しい血の海に月が映っている。真っ赤な血の海に映る月はまるで燃えているように見える。それは阿弥の身体にも憑依し、志をを全うさせんとばかりに心を熱く燃え上がらせて行く。
阿弥は裕司の手からドスを引き抜き自分の小指を切り落とした。
「親分! 何なさるんですか!?」
「慌てんな、これはあたい自身へのケジメだ、今回の件も全てはあたいの不甲斐なさが招いた結果だ、これぐらいしねーとカッコつかねーだろ」
「親分!.......」
清吾と波子は泣いていた。何故ここまでして頑なに意地を通そうとするのか、彼女がそこまでして守ろうとするのは一体何なのか。彼女自体の矜持か、それとも優しさなのか。犯さず、殺さず、傷つけず。この掟は既に無きものになっていた。綺麗事で済まされないのはヤクザも堅気も盗賊も同じである。だがこの掟はそもそも綺麗事なのだろうか、確かに人は過ちを犯す生き物である、完璧な人間など存在しないであろう。しかし過ちにも限度はある。その限度を超えた時、人は裁きを受けなければならない。阿弥は裕司を殺し、そして自らをも裁いたのであろうか。
その答えは今生きている人間には分からないであろう。血の海に沈んだ月は今も尚その輝きを失わないまま、彼等の動向を見守り続けているのであった。
裕司の言った事が真実であるなら一家の再編は正に焦眉の急であった。三人は颯爽と隠れ家に立ち返り子分達に命じて引っ越しの段取りを始めさせる。常に周りを警戒して手軽にしてあった隠れ家には大した物は無い。一家は晩の間に引っ越しを済ませ、新しい場所へと移動した。
そこで阿弥は改めて皆に問うのであった。
「いいからお前ら、この輝夜一家には心が輝いていない奴は不要だ、あたいのやり方に文句があるならいくらでも言ってくれ、足を洗いたいなら今直ぐ辞めてもいい、それだけの金は渡す、その代わり裏切りは許さねー、そんな奴は地獄の底まで追い込んでやる、どうだ? 正直に言ってくれ」
異を唱える者は一人もいなかった。それどころか子分達は阿弥の手を見て涙を流す。
「親分、その手はどうしたんですか? 何でそんな真似を!」
「親分を裏切るなんて誰も考えていませんよ!」
阿弥も少し涙腺を緩ませていた。
「ありがとう、これであたいも吹っ切れたよ、これからは修羅の道が待ってる、気を抜くんじゃねーぞ!」
「へい、親分!」
その夜一家は改めて固めの盃を交わし、次なる策を練り出した。これ以上誰も失いたくないという阿弥の気持ちは自ずと一家の全員に浸透し、それを感じた子分達はその忠誠心を更に強化させる。輝夜一家は二人の構成員を喪った事で一皮剥けたようにも思える。阿弥は新たに清吾を頭(かしら)に任じた。新生輝夜一家の誕生だ。清吾は兄貴分だった英二の意志を継ぐべく全力で一家を、親分を補佐して行く覚悟を胸に誓う。
それにしても憎きは友仁会、そして金だった。金は人の心を揺れ動かす、そしていらぬ争いを招くものだ。此度の惨事も全ては金に起因している。だが英二についてはどうだろう。彼は昔気質のヤクザであったとはいえ、その力量は凄まじく、足を洗って一家に入った後も頭として十二分に才覚を発揮していた。とすれば寧ろ裕司や友仁会の奴等は、そんな英二の為人や天性自体を妬んでいたのではなかろうか。如何なる時代にあってもシノギが出来る、求心力もある英二は裏社会、いや一般社会でも真のインテリであったに違いない。金と人心のバランスほど難しいものは無い。よっぽど芯の強い人間でもなければ金が全く無い状態でそのメンタルを保ち続けて行く事は容易ではない。だからこそ輝夜一家は弱者達に目を向ける事を忘れてはいけなかった。
この資本主義社会の弱肉強食の中で敗者は必ずしも弱者では無い、弱者が敗者な訳でも無い。亦強者が何時までも強者のままでも無い。一家が救わんとしているのはあくまでも理不尽な経緯に依り弱者である事を余儀なくされた者達であった。それを偽善者や似非ヒューマニズムと呼ぶならそれでも良い。人の事を貶すんは誰でも出来る、猿でも出来る事だ。だがそれを実行して結果を出して来た一家の行いは決して半端な正義感などから生ずるものでは無い。
風花雪月。今宵の月はそんな一家の美しい情趣に共鳴するかのように、天高くその姿を映し出していた。阿弥は己が志を月に誓う。
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