人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

横浜港、長崎港開港記念日 ~オムレツの日

 

 

      春情に  別れを告げる  水無月よ(笑)

 

 

 いよいよ六月になってしまいましたかぁ~。いやはや本当に早いですね。この前正月になったばかり、この前節分、雛祭り、桜の開花、端午の節句、GWと思っていましたが。それがもはや6月、早くも夏を思わせる気候ですけど、また暑くなるのかと思うと嫌になって来ます 😅 でもそんな愚痴ばかり零していてはいけません。暑い夏も正に花鳥風月そのものなのです。

 という事で(どういう事やねん!?) 恒例の行事、記念日特集です(笑)

 

横浜港開港記念日・長崎港開港記念日  

 1859年(安政6年)のこの日、前年1858年に締結された日米修好通商条約により、それまでの下田・箱館(現:函館)のほか、神奈川(現:横浜)・長崎の港が開港した。  この条約は当時の第14代将軍・徳川家茂アメリカ総領事タウンゼント・ハリスとの間で調印された14ヵ条からなるもので、自由貿易を求めるアメリカに対して日本は神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港を約束した。神奈川では、開港した横浜村の砂洲に波止場が設けられ、その背後に運上所(税関)や町会所が置かれた。

 

 とあります。文明開化、この頃から日本も国際化して行ったのでしょうけど、人間が硬い自分としては単に外国に飲み込まれただけであって国際化とは程遠いような気もします。特にこの後の明治維新、その維新の獅子達は日本を変えたいという一心で尽力し、必死に戦い、中には命を落とした方もおられます。

 そんな彼等が命を懸けてまで夢見た日本の未来がこの現状と考えた場合、自分にはどうしても疑問が残ります。無論先の事など誰にも分からないのですが、あの獅子達は今の日本を見て真に笑顔を浮かべる事が出来るのでしょうか。これは戦争で命を落とした英霊の魂達も同じ話なのですが。

 ま、硬い話はこれぐらいにして、この開港記念日の「開港」というワードにも自分は一々疑問を抱いてしまいます。港を開くと書いて開港。諸外国と貿易を始めたという意味合いは分かるのですが、その港(海)は大昔から現存する訳で、この時作った港でも無い筈です。だとすればその港は最初から開いているのではないでしょうか? これは屁理屈なのでしょうか?

 これも硬い話ですね(笑) 余り深く考えないようにしましょう^^

 

裏切りの日  

 1582年(天正10年)のこの日(旧暦)、本能寺の変で、織田信長明智光秀に裏切られ、本能寺に宿泊しているところを襲われ、自害した。

 中国地方攻略中の羽柴秀吉から応援要請を受けた信長は、自ら出陣することを決め、側近の者と京都・本能寺に宿泊した。明智光秀も出陣を命じられ丹波亀山城を出発したが、進軍の途中で道を変更し本能寺を襲撃した。襲撃を知った信長は近侍の森蘭丸に誰の襲撃かを尋ね、光秀と聴くと「是非もなし」(是非も無い:仕方がない)と一言語り、自ら弓をとって戦ったが及ばず、自害したと云う

 

 とありますけど、これはいくら記念日とはいえ看過出来ない文言ですね。自分はてっきり今日という日に限っては誰かを裏切っても良いのかと思ってしまいました(笑)

 無論光秀が裏切りにもそれなりの理由があるのでしょうけど、やはり親分にヤマを返す事は人倫の道に反する事だと思います。でもそれに対し「是非もなし」と言った信長の度量も大きいですよね。

  この時の信長の心境は仕方がないという意味での是非もなしでは無く、寧ろ「それも一興、これも一興」という意味でこの是非もなしという文言を口にしたのではないかと自分は思っています。

 あと、この光秀、娘のガラシャの子孫に元総理の細川護熙さんやジャーナリストの細川珠生さん等、他にも結構居ますが、源氏の流れを汲む光秀の子孫という血筋は凄いですよね。改めて日本の歴史の凄さを感じます。

 それに比べて安倍、麻生の血筋など鷹が高が知れてると、いや、こういう事は言ってはいけません(笑)

 

路地の日 

 歴史と文化の町・長野県下諏訪町の「路地を歩く会」が、路地の良さを見直そうと制定。

 日付は「ろ(6)じ(2)」(路地)と読む語呂合わせから。同会は、かけがえのない路地を愛し、その風情を楽しみ、いつまでも残していこうと活動を続けている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

 路地とは、密集市街地に形成される狭い道のこと。下諏訪町は、かつては中山道甲州街道が分岐する宿場として栄えていて、裏道や路地が多い町であ

 

 とあります。自分は路地が大好きで何時も大通りを避け裏通りばかり歩いています。勿論後ろめたい事がある訳ではありません(笑) 単に裏通りが好きなだけです。

 ですがこの路地も今の日本には少なくなって来ましたよね。特に地元の神戸でも阪神大震災以降急激に再開発が行われ、昔の風情漂う下町の路地はかなり減ってしまいました。淋い限りです。この路地にも色んなパターンがあって、小京都のような路地もあれば、下町のガラの悪そうな裏通り、亦単なる建物の間にある路地と。

 震災以前の神戸にはこの小京都を思わせるような路地と胡散臭いガラの悪そうな路地がいっぱいありました。ですが一見ガラが悪そうに見える路地も実はその限りでも無くて、そこには人々の生活の場があり、触れあいがあるんですよね。だからこそ大通りではなかなか視界に入って来ない、たとえ入って来たとしても素通りしてしまう場合も結構あります。でも路地では落ち着いて話が出来るんですよね。

 そして下町のガラの悪さもあくまでも義理人情が裏付けとしてあるからこそ担保される事象だと思います。これが無ければ単に治安が悪いだけの何の芸もない街になってしまいます。

 権利を主張するには義務を果たさなければならない、という意味と全く同じだと思います。裏付けは絶体必要だと思いますね。

 他所の人は震災以降は開発され尽くした街並みを見て「あの辺も綺麗になっていい街になって良かったね~」とか言っていました。自分もよく言われました。腹の中では「何がええねん!」と思っていましたね。

 ながらスマホが主流になった今ではこんな下町の風情に感心がある方など少ないかもしれません。ですが少なくとも自分はこういう景観は大切にして行きたいと思う方です。所詮は時代錯誤な価値観なのでしょうか.......。

  

オムレツの日  

 東京都中央区日本橋室町に事務局を置き、環境にやさしい業務用鶏卵商品の研究・開発を行っている日本シュリンク包装卵協会(JSA)が制定。

 日付は6月2日を「0602」として「オ(0)ム(6)レ(0)ツ(2)」と読む語呂合わせから。栄養バランスが優れた卵で愛情を包み込んだ料理であるオムレツを通して、家族愛と健康を育む日としている。

 また、同協会ではオムレツが最も多く食されるという6月を「オムレツ月間」としている。美味しいオムレツを多くの人に食べてもらうこと、オムレツの良さを知ってもらうことを目的として、6月を中心にオムレツの普及促進活動を行っている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

 

 とあります。オムレツは美味しいですよね。自分も大好きです。家で作る事もありますが、安もんのフライパンでは卵料理は焦げてしまいなかなか上手に出来ないですね。ギャンブルに使う金はあってもまともなフライパン一つ買えない、本当に情けない限りです 😢 

 ですがオムレツに限らずこの卵さえあれば色んな料理が出来ます。冷蔵庫に大したものが無い場合でも焼き飯や、天津飯、オムライス、卵スープに卵かけご飯。卵というものは本当に有難い食材です。

 今晩は久しぶりにオムレツ作りに挑戦してみるかな~っと^^

 

 

 

 

 という事で以上、今日6月2日の記念、行事特集でした。蒸し暑く雲行きも怪しくなって来ましたが、午後もハリキッテ行きましょう 😉