まほろばの月 十九章
無事仕事を終えた阿弥だったがその顔に笑みは無かった。椎名が最後に吐いた捨て台詞が気に掛かって仕方ない。彼はこう言っていた。
「今回は流石に完敗だな、しかしお前らも長くは持たねーぞ、うちの親分は黙ってねーだろうな、それにあの御方も付いてる事だし、ま、せいぜい頑張るこったな」
阿弥は必死になって訊き出そうとした。
「あの御方とは誰なんだ!? 言えよゴラ!」
「流石にそれだけは言えねーな、何れは分かるだろうがな」
「お前、言いたい事はそれだけか?」
「もう一つある、お前、俺と一緒にならねーか? いい暮らしさせてやるぞ、でねーと俺がお前を殺る事になるかもな」
「お前にあたいは取れねーよ、それはお前が一番よく分かってるだろ」
「ふっ、そうかもな、マジで惚れたぜ」
椎名は意外にも潔く身を引き、子分達にも一切後を追わせなかった。最後に極道の意地を見せたのだろうか。だがそんな事はどうでも良い。問題はあくまでも阿弥が本懐を遂げなければならないという事だった。
友仁会から奪った金は数十億円と実に莫大な金額だった。流石は天下の山友会若頭だけの事はある。それは取りも直さず末恐ろしいヤミ金業者の実態でもある。阿弥は子分達に命じ、被害者に十分報いるよう念を押した。
各地から馳せ参じた四人の女構成員達にも地元へ帰るよう促す。すると彼女達は礼を口にしながらもこう訴えるのであった。
「親分、ここに残らせて下さい、親分は何かとんでもない事を考えているのではありませんか? 私達には分かります、それを一緒に成し遂げたいと思います、お願いです親分、私達も一緒に連れて行って下さい!」
阿弥は冷静に答えた。
「今回の成功は全てお前達の手柄だ、ほんとに有り難う、だが次の仕事まではまだ十分時間がある、取り合えずは国へ帰って骨休めしてくれ」
「親分.......」
彼女達は泣く泣く頷いた。いくら輝夜一家に身を置く者とはいえ、地方ではそれほど仕事は無い。彼女達には今度何時お呼びが掛かるのか分かったもんじゃない。一ヶ月後か一年後か、気の遠くなるような月日は彼女達をひたすら寂寥の境地へと誘うばかりだ。だが親分の言う事は絶体である。直美、沙也加、道子、仁美の四人の女達は阿弥の命に従い静々と帰って行くのだった。
それからの数日間は裏の仕事は一切せず、表の仕事だけに勤しむ一家であった。清吾は家業の土建業、直は清掃員、竜太は柄にもなく絵描きをしていて阿弥も居酒屋の店主に務める。一時店を休んでいた阿弥は常連客から何時ものダメ出しをされるのだった。
「阿弥ちゃ~ん、一体何時まで休むつもりだったのよ、俺達ここしか来る店ないんだよ! その辺の事もちょっとは考えてくれよ~」
阿弥は照れ笑いをしながら愛想の良い態度で答える。
「ほんとにすいません、これからはちゃんと経営しますんで勘弁して下さい、お礼と言ってはなんですが、今日は奢ります」
「それはまた随分気前がいいね~、じゃあお言葉に甘えてじゃんじゃん飲むかなっ!」
客達は気分が良くなったのか、それからは大いに飲み大いに食べ大いに語らい楽しい時間を過ごす。それを見ていた阿弥も快活に仕事に精を出すのであった。
夜11時過ぎ、阿弥が暖簾を下ろそうとする頃、行儀の良い客達は締めの話を興ずるかの如く世相について語り始めた。
「しかしあの政治家も大したタマだよな~、まだ閣僚にも成った事ねーのに資産は数十億だってよ、何処でそんなに稼いだんだ?」
「政治家って誰だよ?」
「決まってるだろ! 目黒だよ、目黒! 自照党の重鎮、目黒泰(やすし)だよ!」
この言は阿弥を戦慄させた。目黒泰、彼は阿弥の義理の父親にして阿弥や母を裏切った悪の元凶だったのだ。何故今にしてこの名前を耳にしたのか? 彼とはとっくに別れ、今ではその名を訊く事さえ汚らわしい限りだ。それが何故.......。
取り合えず阿弥は店を閉めた。奢ると言ったにも関わらずちゃんと金を払ってくれるお客さん達、阿弥はこの客達を心底家族のような想いで接してしたのだった。
そうこうしている間に時は過ぎ、2月中旬になった今では梅の花が慎ましくも美しく、寒さを堪える人々の心を癒やしてくれるかのように咲き始めていた。
桜に対して梅という花は何と謙虚な姿なのだろう。目に映る梅はあくまでも大人しく謙虚で静かに佇んでいr。だがその美しさは桜に勝るとも劣らない美を誇ってもいる。人間も本来はこの梅のように生きて行くべきではないのか、阿弥はふとそうした心境に陥ってしまった。しかし己が本懐を遂げるという志だけは失う訳には行かない。
彼女の一貫性は梅が齎す謙虚さに相反しているようにも思える。とすれば阿弥の心持自体に傲りがあるのか、己惚れがあるのか、阿弥はただそれに抗っているだけなのか。色んな思惑が阿弥に迫りかかって来る。でもここで折れてしまっては今まで付いて来てくれた子分達や英二にも申し訳が立たない。
阿弥は女だてらに粋がって飛ばした自分の小指を見つめ直した。『これはあたいが下手を打ったケジメなんだ、あたいが何時までも逡巡してたから裕司を改心させる事が出来なかった、英二もそうだ、全ては自分の半端な行いが招いた結果なんだ、だが決してこのまま終わるあたいでは無い、是が非でも本懐を成し遂げてみせる!』
この決心は梅の花を前にして尚燃え盛って来る。阿弥は今正に最後の戦いに赴かんとするのであった。
東京には波子が残っていた。あの四人を帰したのに波子だけは手元に置いておきたいという阿弥の気持ちは純粋なものであった。波子はあれだけの芝居をした後も相変わらず質素な面持ちで阿弥に対する。
「親分、いよいよ決行しますか!?」
「ああ、時は来ただろうな、この前店で客の話を訊いて確信したよ、目黒泰、あいつが全ての黒幕だ、あいつを殺らねー事には死んでも死に切れない、波子よ、お前も薄々感づいていたんだろ?」
「その話は病院でも訊いた事があります、親分の生い立ちを知っているのは英二さんと清吾、そして私だけです、だからこそ私も親分の志に惹かれ一家に加えて頂いたのです、もう行くしかないです!」
波子の勇ましい言は阿弥をも奮い立たせる。そしてその想いは形として現れる。
今宵の月は正に勇ましく弓を引き絞る上弦の月であった。その姿は阿弥達の願いに乗じるかのように更に鋭く地上を照らす。先にある的は恐れおののいて屈するであろう。
阿弥はそんな月に報いるべく、最期の戦いに臨むのであった。
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