人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まほろばの月  二十一章

 隠れ家に帰った阿弥は本格的な作戦会議を開いたのだが、そこでは思わぬ凶報が齎された。警察が本気で動き出したのだというのだ。確かに想定内ではあった。いくら一家が義の為にして来た事とはいえ、その行為はあくまでも犯罪である。今まで誰一人としてお縄になっていなかった事がおかしいくらいである。

 阿弥は改めて皆に警戒を怠らぬよう忠告すると共に、最期の仕事に対する意気込みを示した。

「そうか、いよいよい察が動き出したか~、だがあと一歩だ、ここまで来て下手打つ訳には行かねーぞ! 最期の仕事だ、十分気を引き締めて当たってくれや!」

 子分達は一同にして声を上げた。

「へい親分! 最期の仕事、是が非でも成功させますぜ!」

 その意気込みは隠れ家全体に響き渡り、今までに無かった程の熱気に包まれていた。

「で、どう動く?」

 まずは清吾が口を切った。

「取り合えず山友会を叩きましょう、友仁会が弱体化した今、もはや山友会を潰すのは造作もないです、奴等を潰せば目黒は自ずとその立場を失う事になるでしょう」

 波子が反論する。

「腐っても天下の山友会、そう簡単には潰せないわ、私は先に目黒を潰した方が良いと思われます、そうすれば山友会などは自然消滅します、真の敵はあくまでも目黒です、山友会など放っておいてもいいぐらいです」

 直や竜太は口を噤んだままだった。阿弥も目を瞑って思案に暮れていた。両者の意見は互いに尤もで甲乙告げ難い。一番の良策はその二者を一気に型に嵌める事なのだが、それは流石に難しい。となればやはり先に何れか一方を叩く必要がある。どちらから手を着けるにしても下手を打たない限りは何の問題も無いのだが、ローリスクハイリターンで仕事に当たる事こそが裏稼業に勤める者の常道で、先にリスクを背負ってしまえば挽回するのに一苦労しなければならない。

 友仁会を弱体化させた事で盗賊としての大儀は果たされた。これ以上無駄に本職の極道を相手にする事はリスクが高い。阿弥の本心は真っ先に目黒を討つ事だった。しかし清吾の策にも一理はある。外堀から埋めて行く事も重要ではある。 

 一同は大いに思案した。そこで再度清吾が口を切る。

「親分、先に山友会を叩く事は決して無駄な争いを巻き起こす訳ではありません、奴等を弱体化させる事は目黒を弱体化させるのと同じだからです、今のヤクザに仁義などはありません、力を失った山友会は黙っていても目黒を道ずれにする筈です、そうなればこちらからリスクを負ってまで目黒を追い込むような真似はしなくても済むのです」

 一同は頷いていた。確かに理には適っている。清吾の意見に反論するにはそれにも勝る理が必要だった。やっとこっさ阿弥が口を開こうとした刹那、波子がそれを制した。

「親分待って下さい、清吾、貴方の言う事は確かに理に適っている、でも理も嵩ずれば非の一倍とも言うわ、貴方は親分の真意を理解してる筈よ、それなのにこの期に及んで論理的な事ばかりを口にするのはおかしいわ、もっと心で話をして頂戴」

 正に究極の選択、阿弥にとっては名を捨てて実を取るか、己が名誉や矜持を重視するかという選択に迫られていた。子分達に何と言われようとも阿弥の真意は変わらない、でも子分の意見を蔑ろにする事も憚られる。子分達は阿弥の決断に委ねるしか無い。だがなかなか決を執る事が出来なかった阿弥は思案に苦しみながらも、夕方に見た滝行に励む僧侶の姿を思い浮かべた。

 彼は言っていた。無心になる事だと。無心、これほど簡単で難しい言葉も無いだろう。そもそも無とは何なのか、読んで字の如く何も無いから無なのである。人は生きている限り無になる事など出来よう筈もない。それなのにこの無を頻りに謳う仏教の世界は実に不思議な世界であるように思える。

 物事の道理を敢えて数字で考えた場合、無を0だと仮定すると0に何を掛けても0にしかならない事は言うまでもない。だが足し算や引き算は出来る。この足し算こそが今議論している子分達の意見である。とすれば引き算はどうなるのか。無駄な事を差っ引く思案も必要ではある。今無駄な思惑があるとすれば何だ、阿弥の為に心血を注ぎ必死に策を練ってくれている子分達の議論は無駄どころか有難い限りだ、となれば後は阿弥自身の思惑が邪魔をしている可能性も出て来る。

 阿弥は己が志、心意気、心根を見直し、それら全てを清算するかのように目を閉じて無に成ろうとした。

 

 

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 阿弥が瞑想し出してから数十分が経った。既に夜も更け、閑散とする隠れ家の周りには風音だけが微かに聴こえる。その風が草や花木を横切りやがて消えて行く。風が止んだ一瞬、阿弥は無を感じた。今だ、今こそ己が真意を告げる時が来たのだ。そう悟った阿弥は徐に目を明け、口を開く。

「みんな待たせたな、決心は着いた、あたいはやはり.......」

 その時玄関の扉がノックされた。その音は遠慮がちにも勇ましい響きを漂わせている。一体誰が今頃こんな所を訪ねて来るのか。阿弥に言われるまでもなく子分達は颯爽と玄関に立ち、警戒を強めた。直が一気に扉を開けた。子分達は訪問者に襲い掛かる。警察なのか同業者なのか、その人物は黒ずくめの衣装に身を包み、子分達に捕らえられながらも不敵な声を発した。

「流石は輝夜一家、厳重な警備ですな~」

 少し笑いながら言うその声は何処かで訊いた事のある男の声だった。阿弥は子分達に命じ、その男を解放させてやった。深々と被っていたパーカーを脱ぎ去った男は紛れもなく椎名であった。何故こいつがこんな所へ来たのかさっぱり分からない。何故この場所が分かったのか、何故たった一人で来たのか。取り合えず阿弥は自由に喋らせてみた。椎名は余裕のある面持ちで語り出した。

「親分さん、それは軽率ですぜ、俺達みたいな闇に生きる人間には無心になる事なんて出来ませんぜ、闇に堕ちた人間が成せる事は唯一つ、事を成就させる事だけなんだ、そこに要らぬ邪推や邪念が入っては本懐を遂げる事など出来る筈もねぇ、あんたは無心になんか成ってねーんだ、寧ろこの期に及んでまだ我を通すそうとしてるじゃねーか、それでは子分達の忠誠も報われませんな~」

 そう訊いた阿弥は我ながら動じてしまった。

「お前、ずっと訊いていたのか? よくこの場所が分かったな」

 椎名は全く狼狽える事なく流暢に言葉を続ける。

「東京で俺の知らねー事なんかねーさ、蛇の道は蛇と言うじゃねーか、あんたらの取る行動なんて俺らヤクザにとっても同じだよ」

「なるほど、で、何が言いたくてわざわざここへ来たんだ?」

「今更言うまでもねーだろ、俺はあの一件で破門になったんだ、これは俺の下手打ちでもあるから仕方ねーかもしれねぇ、だが山友会は俺の下に付いていた蛇草(はぶさ)という何の力もねー奴を後釜にしたんだ、あんなヘタレが頭(かしら)では山友会も長くはねーだろ、そこで兼ねてから言ってたようにあんたを貰いに来たんだ、いい加減俺と一緒になってくれよ頼むぜ~」

 子分達は一斉に椎名を殴り始める。椎名の顔は既に腫れ上がり、瞼は目も見えていないほど蒼く膨らんでいた。それでも椎名は話し続ける。

「凄まじい勢いだな、あんたらが俺の子分だったら俺もとっくに天下を取っていたかもな、だが、ここからが本番だ、今の条件を飲んでくれるなら俺は何でもしてやる、山友会五代目当代、待鳥恭介は俺の育ての親にして義理の父親でもある、俺以上にあいつの事を知ってる奴はいねーぞ、俺を破門にした事もあくまでも世間に対する目くらましで、俺の事を見棄てた訳じゃねー、だが俺らの世界はあんたらと動揺、一寸先は闇だ、いくら蛇草が頼りなくても何れは大きな存在になる可能性も否定は出来ねー、そこで俺とあんたが手を組めば正に鬼に金棒、恐いものなど無いという事だよ、分かるだろ? 俺はあんたの志が勝つのか目黒の野望が勝つのかを見届けたいんだ、それだけなんだよ」

 子分達は更に勢いづき椎名を攻撃する。そんな中、阿弥が意を決したように口を切り出した。

「やめろ! 清吾、ドスだ」

 清吾は進んでドスを阿弥に渡した。当然阿弥が椎名にとどめを刺す。これ以外には考えられない。ドスを受け取った阿弥はそれを椎名に差し出しこう言うのであった。

「お前、それでエンコ飛ばせや、あたいもケジメを付けて飛ばしたんだ、出来るだろ? これがあたいからの条件だ」

 阿弥の顔は既に静まり冷酷にも見える。椎名はドスを手にしてから言うのであった。

「なるほどね、それにしても欲張り過ぎじゃねーかな、俺から財産を奪い、策も頂き、その上指を飛ばせってかぁ~」

「出来ねーのか?」

「いや、そうは言ってねー、俺とて腐っても極道の端くれだ、負けは認めるし仁義がねー訳でもねぇー、あんたに惚れた事も確かだ、あんたがここで改めて誓いをしてくれたならお望み通りにしよう、なければその条件は飲めねーな」

 子分達は尚も攻めの手を緩ませない。

「お前勝手な事言ってんじゃねーよ! いい加減にしろよゴラー!」

「やめろって言ってんだろ!」

 阿弥の声は怒涛の如く谺(こだま)した。気後れした子分達はもはや抗う術を知らない。静まり返った空間の中、阿弥は色白な顔を一層白くさせて覚悟を決めたように口を切った。

「分かった、それでいい」

「親分!」

 もはや子分達の意見は宙を空回りするだけであった。椎名は小指に包帯を強く巻きつけドスの尖端を床に落とし、己が指を斬り捨てた。床には夥しい鮮血が流れ落ち椎名は痛みを堪えながらも阿弥の顔を凝視している。阿弥は子分に命じる。

「氷だ!」

 その命令は阿弥の本意だったのか。現前として流れ出る血だけが真実を映し出す。その血の色は一行の胸底深く浸透して行き澄んだ心をも穢して行く。澱んでしまったその心は月の大らかさで持ってのみ癒されるのであった。

 

 

 

 

 

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