まほろばの月 二十三章
竜太は一晩留置所に泊まる事になりその後も執拗な尋問を受けていた。だが口の堅い一家のメンバーは堕とす事は至難の業で、警察の取り調べも苦戦を強いられていた。
そんな竜太に刑事は言う。
「流石と言いたい所だが、いい加減吐いてしまえよ、被害届も出てるし、お前の顔を見たという証言もあるんだ、これだけでも十分な証拠だよ」
竜太は尚も余裕綽々な態度でこう答えた。
「誰だよ? 俺の顔を見たというのは? 読んで来いよ、それに指紋も残ってねーだろーよ」
「確かに、指紋は一切残って無かったよ、流石は輝夜一家、完璧な仕事だよな、だが目撃者は本当に居る、状況証拠だけで起訴する事も出来るんだぞ」
「へ~、じゃあしたらいいじゃんか」
「ま~そう邪険になりなさんなって、今回の場合、ヤミ金の被害者も沢山いる事だし、俺達もあいつらには手を焼いていたんだ、だからお前が正直に白状すれば警察も検察も裁判所だって手心を加えるって言ってんだよ」
「ふっ、その手には乗るかよ」
こんな具合で取り調べは遅々として進まなかった 。
隠れ家では連日作戦会議が開かれていた。竜太の事を知った阿弥は椎名を問い質した。
「お前じゃねーだろーな?」
椎名は全く狼狽える事なく答えた。
「な訳ねーだろー、まだ疑ってんのか?」
「いや、そういう訳じゃねーけどさ」
「恐らくはヤミ金業者の三下が謳ったんだろ、そっちは俺がカタ着けてやるって」
「そうか、ありがとう、頼むぜ」
「おうよ!」
椎名に如何わしい点は一切無かった。椎名の言う通り末端の手下が口を割ったんだろうが、竜太が顔を見られたかまではぐ疑問である。考えられる事があるとすれば東京ので最期に襲った事務所で英二がやられた時、何人かのメンバーの顔が見られた可能性はある。しかしそこまではっきり見られた訳ではない。それなのに何故だ。裕司以外にも裏切者がいるというのか、ただ警察が優秀なだけなのか。釈然としない阿弥であったが、これといって打つ手は無かったのだった。
「竜太の事は取り合えず椎名に任せて、仕事の段取りを決めて行こう、竜太もそう簡単にくたばるタマじゃねー、あいつを信じるんだ」
一同は阿弥の言に従い仕事の作戦会議に集中し出した。まず椎名が先陣を切った。
「前に言ったように山友会は俺に任せろ、既に子分達にも言い含めてある、待鳥の親っさんは未だに俺の事を警戒してない、ここ(一家)の者を数人でも付けてくれれば金を奪いあの親っさんを拉致する事など朝飯前だ、阿弥達は時を同じくして目黒を襲うんだ、窮地に陥った二人は互いに助けを求めるだろう、そこで二人を敢えて会わせて、後はあんた(阿弥)の思う通りにやってくれ」
阿弥は他のメンバーにも意見を訊く。
「何かあるか? 椎名に反対する奴は?」
反論する者はいなかった。椎名の策は尤もで、この通りに事が運べば正に一石二鳥、一挙両得、これほどの良策はない。だが果たしてその通り事が運ぶだろうか、余りにも出来過ぎてはいまいか。しかし対案は出て来ない。阿弥は決を執った。
「じゃあ決まりだな、椎名の策で行く!」
そんな中、清吾は終始口を開かず、何か落ち着かない様子だったそんな彼を訝った阿弥は皆を帰した後、二人っきりで清吾を問うのだった。
「お前、何かあったのか? 顔色悪いぞ」
清吾は思い切って阿弥に助言を求めた。
「親分、以前自分が破門になってた時、水面下で動いていた事は御存知ですよね?」
「ああ、それがどうした?」
「あの時最初に力になってくれた美子というバーの女は自分の知り合いなんです」
「まさかお前!」
「そうなんです、彼女は自分の事を知っています、勿論顔も」
その一瞬、阿弥は清吾をぶん殴りたくなった。何故こいつはこうも馬鹿なんだ。いくら清吾の働きが功を奏したとはいえ、その内情がバレてしまっては本末転倒である。阿弥は歯を食いしばって怒りを抑え、彼に凄絶な言を与えた。
「やれ」
清吾は戦慄し汗を流しながら必死に許しを請うた。
「お願いです、彼女まで手に掛けるのは自分には出来ません、それに彼女が謳ったとも限りません、こればっかりは勘弁して貰えませんか、代わりに自分が死んでもいいです!」
阿弥は顔色一つ変えずに言い放つ。
「誰が謳ったとかどうでもいいんだよ、そんな事まで調べ上げるのは無理だ、問題はお前がその女に知られてるって事だ、お前に出来ねーのなら他の誰かにやらせる、椎名でもいいぞ」
「分かりました、あいつにやらせるぐらいなら自分がやった方がマシです」
「よし、明日中にやって来い」
「分かりました」
清吾はしゅんとした面持ちで立ち去った。阿弥も心では泣いていたのだ。これ以上の生殺与奪は耐えがたい、だが竜太の事を想えばこうするしか道は無かったのだ。断腸の思いになっていたのは寧ろ阿弥の方だった。今の彼女には己が本懐を遂げる志でしか精神を保つ事が出来なかったのでだろうか.......。
夜が更けた頃、隠れ家に一人残っていた阿弥は懐から一枚の写真を取り出し、切ない独り言を呟くのだった。
「お母さん、天国で元気してるかい? あたいはここまで来るのにかなりの時間が掛かってしまったよ、悪事に手を染め何人もの人も殺した、でもあたいの想いは唯一つ、あいつを殺って母さんのとこへ行く事だけなんだよ、その為ならまだ罪を犯す事になるだろう、人倫の道を外してる事は百も承知してる、でもそれしかねーんだよ、母さんの苦労に報いるのは、そしてあたいの腹を収める方法は!」
目黒と別れてからというもの母は病躯に鞭打ってまで阿弥の面倒を見て育て上げてくれたが、苦労が災いしてその後直ぐ他界してしまった。生来気の強かた阿弥は絶望のどん底に堕とされたがその怒りは当然目黒に向けられた。世間では逆恨みと言われるかもしれない阿弥の感情は歪んだ感情なのだろうか。
最愛の者を喪った時人は得てして哀しみの余り人を恨んでしまう激情に襲われる事がある。それは取りも直さず正直にして純粋、誠実にして篤実なその想いは人間が誰から教わったものでもない、生まれながらにしてその身に備わった喜怒哀楽、この四つの感情の怒と哀に当たる。
この感情を露わにする事が悪とするならば人間そのものが悪ではないのか、何故天はこんなにも面倒くさい、こんなにも道に迷う、手に負えない人間という生き物を生んでしまったのだろうか。阿弥はそんな些か稚拙にも思える感情に我を任せ今まで生きて来たのであった。たとえそれが母の真意ではないとしても。
阿弥は母の写真を懐に蔵(しま)い、幼い自分を省みるかのように微笑を浮かべて空を見上げる。
月は何時ものようにその優しい採光を阿弥に投げかけるのだった。
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