人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まほろばの月  最終章

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 初志貫徹。今正に阿弥の本懐は成し遂げられた。積年の恨みであった目黒は阿弥本人の手に依って葬られ、ヤクザの大親分待鳥さえも抹殺された。この事は或る意味素晴らしい功績で、輝夜一家は一躍ヒーローになったといっても過言ではないような気もする。

 まだ胸の高鳴りが抑えられない阿弥ではあったが、3月下旬の海風は冷たくも清々しく、その場を鎮静化させる漂いがあった。

 阿弥は二人の外道を蹴り堕とした海面に向かって唾を吐いた。

「ぶくぶく腹だけ肥えやがって、この豚野郎どもがっ!」

 一同に歓喜の声は無かったが、静寂の裡にも阿弥が思いを遂げた事に対する喜びは自ずと一人一人の表情が物語っていた。椎名が無言で阿弥の肩を優しく叩く。そして一行は粛々と車に乗り込み立ち去るのだった。

 車中で阿弥が初めて口を開く。

「椎名よ、今度ばかりは流石に察も直ぐに動き出すだろうよ、腹括っとかねーとな」

 それでも椎名は悠然とした面持ちで答える。

「そうなるだろうな、ま、全ては成り行きさ」

 今まで何度となく警察の世話になって来た椎名には法の裁きなど取るに足りないものなのか、それともまだ策があるのか、或いは阿弥に出された条件を充たせた事で舞い上がっているだけなのか。何れにしても椎名のこの余裕は阿弥を落ち着かせる役割だけは果たしていたのだった。

 隠れ家ではささやかながら祝宴の準備が整っていた。椎名が連れて来ていた3人の子分達を除いた7人だけの、正にささやかな祝宴だった。皆が席に着いた所で阿弥が改めて謝意を表した。

「みんな本当に有り難う、これまでやって来れたのは全てみんなのお陰だ、やっとこの日が来たんだ、あたいもこれで楽隠居出来るしみんなにも元の世界に戻って貰いたい、今日で輝夜一家は解散だ、有り難う、思う存分飲んでくれ!」

 一同の中には既に涙を泛べている者もいる。阿弥が一家を起ち上げてから早や10年余り、この歳月は長かったようで短くも感じる。厳しい阿弥ではあったが、時には優しく、時には苦しみや喜びを分かち合い、何時も常に子分達の事を気に掛けてくれていた。だからこそみんなも阿弥に着いて来たのだ。そんな想い出を振り返ると自ずと涙してしまうのも無理はないだろう。一同は心地よく酒を飲み始めた。その時椎名が真剣な眼差しで場に水を差した。

「ちょっと待ってくれみんな! これは本当に最期の晩餐なのか!? 俺にはどうも解せねー、さっき現場での沈鬱とした様子は分からねーでもねが、お前ら全然嬉しそうじゃねーじゃねーか! 特に阿弥、お前が一番悲しそうだぞ、まだ俺に何か隠してるんじゃねーか!?」

 子分達は一斉に椎名に喰いかかった。

「昨日今日入って来たばっかのお前に何が分かるんだよ! あー! 親分は元々こういう御方なんだよ、こんな席をお前の余計な邪推で穢すんじゃねーよ!」

「お前らに訊いてんじゃねーよ、阿弥、お前に訊いてんだよ、どうなんだ!? 俺と一緒になるのが嫌なだけなのか?」

 阿弥は徐に口を開いた。

「何言ってんだよお前、あたいが約束を破るような奴に見えるか? そんな安っぽい女じゃねーよ」

「そうか、それは言い過ぎたな、だがそれならもっと明るくしたらどうだ」

「まだ気持ちが落ち着いてねーだけだよ、いいから飲めよ」

 椎名はまだ言い足りない様子ではあったが、阿弥の目の輝きを信じて大人しく飲み始めた。それからは一同の気も収まり、皆意気揚々として酒に興じていたのだった。

 

 

 酒宴が始まって1時間半ぐらいが経っただろうか。この頃になるとみんないい感じでほろ酔い気分になり笑顔で談笑し、歌い、舞い始める者もいる。そんな中、波子は阿弥に酌をして1枚の絵を手渡した。阿弥はその絵を観て大いに喜んだ。

「これはまさか!」

「そうです、竜太が描いた絵です」

「やっぱりそうか、あいつ留置所の中でまで描いてたのか......」

「それをどうしても親分に渡してくれって言っていました」

「あいつの絵も伊達じゃねーな~、これは最高の土産だぜ!」

 椎名までが近寄って絵を観る。

「何だこれ、月か、確かに綺麗で巧い事描いてるけど、何か大袈裟に見えるな」

「それがいいんだよ、これはあたいが思ってた以上の傑作だよ」

 波子は阿弥が絵を堪能したのを見届けた上で更に言葉を続ける。

「それともう一つ.......」

「うん?」

 その刹那阿弥の身体には凄まじい痛みが込み上げて来た。鋭いドスの尖端が阿弥の腹に突き刺さっている。波子はその刃を一旦そのままにして阿弥の顔色を窺う。一同は驚愕し慌てふためく。椎名が波子を素手で殴り飛ばし怒声を上げた。

「テメー何してんだゴラァァー!」

 阿弥じは椎名を制し、波子に語り掛ける。

「ここで来たのか、ふっ、あたいもヤキが回ったかな」

 椎名は尚も阿弥を気遣いドスを抜こうとした。

「いいから退がれ!」

 波子は涙顔になって優しく喋り出す。

「親分、本当にすいません、でも親分もこの後こうするおつもりだったんでしょ、私には分かっていました、だから」

 阿弥も既に泣いていた。

「これでいいんだ、だが何故先に動いた? あたいが自刃するのを見たくなかったのか?」

「その通りです、親分自らが命を絶ってしまっては皆困惑し、悲しみは何時までも消えないでしょう、たとえその真意が分かったとしても」 

「なるほど、流石は波子だ」

「そしていくら世直しであるとはいえ、今まで殺めた人の数は多過ぎます、特に美子さんまで手に掛けた事は取返しの付かない失敗です、一家の掟は何処へ行ってしまったんでしょう、こんな事は許される筈が無いのです」

「確かにな」

 春秋に義戦なしというが、輝夜一家のして来た事などは所詮ただの戦に過ぎなかったのか。世間にはそう見られても仕方ないのかもしれない。それは即ち偽善にも繋がって来る。だが世に蔓延る悪を根絶やしにしたいという思想や行為自体が偽善や己惚れであるならば、この世に真の善など存在するのだろうか。真実など無い世の中では人は何を信じて生きて行けば良いのだろうか。

 普通の生き方をして来た人ならここまで深く考える事もないかもしれない。だがこの一家、特に阿弥のような特別な人生を歩んで来た人間には真実が知りたかったのだ。それは波子とて同じだった。

 阿弥は意を決したように波子に言葉を投げ掛けた。

「もういい、これ以上泣くな、後は自分でするから」

 そう言った阿弥は自分の手で懐中深くドスを刺し込み、最期の力を振り絞って声を上げた。

「いいか、お前ら、あたいみたいにはなるなよ! 是が非でも生きるんだ! 分かったな!」

 子分達に椎名までもが泣きじゃくりながら返事をした。

「へい、親分! おやぶーーーん !」

「阿弥よ、お前こそが真の親分だよ、カッコつけやがって!」

「いい子だ、それでいい、それにしてもこの月は綺麗だな~、正にまほろばの月だよ、こんな綺麗な月を見ながら死ねるなんて贅沢な話だよ、竜太、清吾、波子、そしてみんなも、ありがとうな~」

 阿弥は逝ってしまった。波子も阿弥に続くように自刃した。享年31歳の阿弥に若干25歳の波子であった。

 

 佳人薄明とは言うが、この二人の美女が夭折してしまう事は始めから定まった運命だったのだろうか。

 隠れ家の外には月下美人の花が今宵の満月に照らされ美しくも儚く、切ない表情を泛べて、慎ましくも凛とした佇まいで咲いていたのだった。

 

                                   完

 

 

  

 

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