人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

約定の蜃気楼  六話

 

 

 就寝前の祈祷を終えた真人は部屋に戻り床に就く。静かな修道院は彼を安眠させるのに十分だった。熟睡中の真人ではあったが久しぶりに夢の世界に誘われる。それは彼の今までの人生を振り返るような過去の経験が物語る夢であった。

 真人は高校生の頃から交際していた智子という女性と二十歳過ぎに結婚したのだった。それは傍から見ても実に仲睦まじい夫婦で身内は勿論、職場の人達や同級生、世話になった学校の先生、近所の住民と、大勢の人達からに祝福を受けていた二人の姿は何時も光り輝き、みんなの希望であった。

 二人は何処へ行くのにも常に一緒で、綺麗な景色を見ては共に感動し、面白い事があれば共に笑い、亦苦難に遭遇すれば共に悩む。人生の全てを共感、共有する事が出来る二人は正にお似合いのカップルだったのだろう。そんな二人の行く手には一切の翳は無く、そのほのぼのとした愛らしい生活ぶりにはメルヘンチックな漂いさえあった。そしてそれこそが二人の描いていた、夢見ていた人生でもあった。

 しかしそんな微笑ましい生活は長くは続かなかった。二人が25歳になった頃、智子は病気で急逝してしまったのだ。それも腹には子を宿した状態で、更に医者の誤診で。

 これで自暴自棄になるなという方が無理を感じる。真人は病院で智子の遺体を何度も揺さぶり甲高い声で泣き喚きながら思い付く事全てを訴えた。そして医者の胸倉を掴み罵倒した。だが死んでしまった者が蘇る筈もない。真人は悲嘆に暮れ、とてつもない絶望と失望のどん底に叩き堕とされたのだった。

 真人のこういう暗然たる想いには日にち薬さえ効かない事は言うまでもない。彼はその後仕事も手に付かなくなり退職を余儀なくされ、放心状態の日々が何ヶ月も続いていた。そうして今日に至った訳なのだが、ここで二つの不可解な点もあった。それは何故このような蜃気楼の町に引きずり込まれたのかという事は言うに及ばず、智子はあれだけの苦痛に苛まれながらもあくまでも朗らかな顔つきで死んで行った事だった。

 その事は彼女の死と同等に真人を苦しめた。確かに人の悪口など滅多に口にしない智子ではあったが、これだけの劣悪で悲惨な状況に瀕しながらも決して笑顔を絶やさなかった彼女の精神構造は一体どうなっているのだろうか。智子といえども一人の人間には違いない。それなのに何故そこまで淑女のような、いや、神様仏様でもあるような姿を保ち続ける事が出来るのか。智子は自分の死を悟った事に依って神にでも成ったのだろうか。考え出せばキリの無いこのような問答はそれこそ生きている人間には一生掛かっても理解出来ないであろう。

 真人はこの夢の津続きだけは二度と見たくないと思っていたのだった。

 

 悪夢ともいえる讃嘆たる夢から覚めた真人はカーテンを開け、窓外の景色を眺めていた。今日も良い天気だった。燦然と輝く陽射しは地上の全てを明るく照らし始め、その光に依って朝の到来を感じた人や動物や植物、更には既存の物までもが眩しそうに眼を開け、太陽の姿を確認する姿は喜怒哀楽の喜、即ち感謝に他ならない。蜃気楼の町と呼ばれるこの町にもそれらの事象は現存していて、真人にはそれが唯一安心出来る材料でもあった。

 そんな矢先、修道院には一人の訪問者が現れる。その者は少し大きめの声で景気の良い挨拶をしながら清々しい表情で真人の前に参上したのだった。

「久しぶりね、どうだった? 元気してた?」 

 何日ぶりだろう。瞳は相変わらずの明るい面持ちで真人に会いに来たのだった。真人の心には一瞬懐かしさが込み上げて来たが、是非にも及ばないといった感じで瞳に相対する。 

「何の用だい?」

 瞳はそんな真人の不愛想な態度にも動じる事なく朗らかな表情のまま答えた。

「元気そうじゃない、安心したよ」

「たまに来るとか言っておきながら、あらから何日経ったんだ? 俺は物じゃないんだぞ」

「やっぱり淋しかったのね、貴方こそ相変わらず正直でなによりよ」

 真人の気持ちは何時も見透かされているようで、何か負けたような気にさえなってしまう。そこで真人は初めて本意ではない冗談を口にするのだった。

「別に、淋しい事なんか無いさ、ただ俺がもしここに居なければあんたの方が淋しがるんじゃないかと思って今まで大人しくしてたんだよ」

 瞳は内心安心していた。だがその時もう一つの感情も明らかに芽を出しつつあったのだった。

「なるほどね、それだけの余裕をかませるという事はそれだけ貴方が成長したって事ね、いいわ、合格よ、じゃあ行きましょうか」

 昨日の司祭といいこの瞳といい何かにつけて合格という言葉を使う。やはりこの町の人達は俺の事を試してでもいるのだろうか、これは試験とでも言うのか。些か釈然としない真人ではったが、久しぶりの瞳との面会でもある。また以前のように楽しい想いが出来る可能性もある。そう思った真人は彼女に同行し、胸を弾ませながら歩き出すのであった。

 

 朝の陽射しは未だ衰える事なく地上を明るく照らし続けていてくれた。その陽気に小躍りするように鳥達は可憐にも勇ましく天高く舞い上がり、風にそよぐ樹々は自然の雄大さを人に教えてくれているようにも思える。そんな中、道中で瞳が最初に口にした事は真人の気持ちを和ませた。

「貴方の人生はこれからよ、司祭にも言われたでしょうけど、過去は過去、今貴方の前には大きな転機が来たのよ、勿論貴方の過去を軽んじる訳でもないわ、それはそれとして貴方の胸に置いておいて、これから始まる明るい、輝かしい未来を夢観るのよ、その決心はもう貴方にもついてる筈よ」

 確かにその通りではあった。昨晩の夢はもう見たくは無い。これからが大事なのだ。だがこの瞳が自分に一体何をしてくれるというのだ、また町を連れ回すだけか、それとも家に泊めてくれるのか。何れにしてもこの先の事は真人には全く読めない。でも何か理屈抜きに良い予感はしていた。それは単なる漠然としたものではなく、寧ろ具体的ではっきりとした形を成すようにも思える。

 修道院を出てから数分が経った頃、瞳は例の湖で足を停めた。真人は立ったまま彼女の手を握り、こう伝えるのだった。

「もういい加減自分を欺くのは辞めにしないか?」

 瞳は真人の前で初めて狼狽えた。額には汗までかいている。

「一体何を言い出すのよ? 何を根拠にそんな訳の分からない事を?」

 真人は尚も悠然とした佇まいのまま湖を遠目で眺めながら言った。

「お前、俺に気があるんだろ? 俺もある、でなければいくらこの怪しい町の住民であるとはいえ俺をそこまで良くしてくれない筈だ、違うか?」

 今度は瞳が言葉を失ってしまった。これは善意が徒になってしまったのだろうか、だが真人の言は或る意味的を得ていた。瞳やこの町の住民が見透かしていたように真人もまた、瞳達の心を見透かしていたのだった。それを察知した瞳は思わず正直な気持ちを告げようとした。しかしこの町には決して揺るがせには出来ない鉄則があった。

 その事を熟慮した瞳はまたしてもその場を繕うように、真人を不思議な力で封じ込めようとしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

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