人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

約定の蜃気楼  十一話

 

 

「そうです、そのままじっとしていなさい、餓鬼達は決して貴方の身体に触れる事は出来ません、何も怖れる事はありません」 

 この神々しいまでの威厳に充ちた綺麗な声の主は一体何者なのだろうか。真人はその指示に従い、身体を仰向けにして微動だにせずその場に横になっていた。

 餓鬼達は一斉に真人の方へ駆け寄って来る。さっき話していたシュードラだけはそれを傍観していた。腹を空かせていた餓鬼達は旨そうな食料だと言わんばかりに目をギラつかせながら、何か鋭利な尖った骨のような武器を手にして真人の身体を削ぎ始めようとした。

 その刹那真人の身体からは凄まじいまでの金色の光が放たれ、眩しさのあまり目を覆っていた餓鬼達の身体はみるみる内に溶け始めた。

「うわぁぁぁー、何だこれはー! 身体が溶けて行くー! 止めてくれー!」

 真人を襲おうとした餓鬼達は完全に消滅してしまった。光は消え真人は身体を起こした真人はさっきまでとは違う目の前の世界の異変に気付く。そこでシュードラが語り掛けて来た。

「合格ですね、貴方はやはり普通の人間では無いようです、餓鬼達に襲われる事を覚悟した貴方の潔さこそが貴方を救ったのです、もし少しでも抗ったりすれば忽ちにして貴方は喰い殺されていたでしょう、これこそがこの世界での試練だったのです」

 真人はシュードラに礼を言って帰ろうとした。さっきの天の声といい光といい、あれはシュードラに依るものだったのか。彼は真人のそんな思いを感じながらも何も口にせず、ただ真人の行く末を見守っているのだった。

 

 またしても真人は瞳の到来を待たずして次なる試練に赴こうとした。その頃瞳にも僅かな暗雲が立ち込めて来ていた。

 瞳は真人の事を然程心配してはいなかったものの、自ら案内役を買って出たのは既に彼女の中に芽生えていた真人への恋心に他ならなかったのだった。それは以前真人が言っていた愛の告白と初めて口づけを交わすもっと前の、彼がこの町に来た最初の日に遡る。

 あの日、祭りで女人の列に加わって牛車を引いていた瞳は真人の姿を遠目で眺めながらも淡い恋心を抱いていた。それはこの町には男が少ないという事実も然る事乍ら、真人には何か深い縁を感じるからであった。それが故に彼を一日だけ家に泊めたのだが、その時瞳はこの町の二人の長から忠告を受けていたのだった。

 男性の長である湖の長老は瞳に対し

「お前もいい歳じゃから男友達の一人や二人いたっておかしくはないんじゃが、あの男だけはダメじゃぞ、分かっておるとは思うが」

 修道院の司祭は

「貴女は既に恋をしていますよね、その気持ちは分からないではないですが、御存知の通りこの修道院はおろか、この町では異性との交際はしてはいけないという掟があります、それも外の世界から来た者とは尚更で、もしそんな事をすれば貴女はその力を失ってしまうばかりか命さえ奪われてしまいます、今一度その事を肝に銘じて下さいますようお願い致しますよ」

 二人の忠告は今更言うまでもない古の時代からこの町に伝わる厳しい掟であった。それを瞳は既に2回も破ってしまったのだ。1回目は真人を家に泊めた事。2回目は一方的だったとはいえ口づけを交わした事。それは取りも直さず真人の罪でもある。3回目の禁を犯した時その者は有無を言わせず抹殺されしまうのだ。

 その事を十分理解していた瞳にはその禁を犯す勇気までは無かった。となるとそれでも未だに真人を慕う彼女の心情はどういうものなのだろうか。真人に一方的に自分を連れ去って欲しいと思うのか、このままさっさと試練を全うして目の前から消え去って欲しいのか。

 錯綜する想いは真人と離れ離れになっている今こそ強くなって来るのが分かる。瞳も真人と同様に葛藤していたのだった。

 

 

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 餓鬼道の汚らわしい雰囲気から解き放たれた真人は遙か彼方に聳える天界を夢見て歩いていた。無論この先にまだもう一つの試練が待ち構えている事は言うまでもない。あと一つ、地獄道、これを突破出来れば元の世界に戻れる筈だ。やとこさこの長かった試練ともおさらば出来る。そう思った真人の足取りは自ずと軽くなり、最期の試練である地獄道へと突き進んで行く。

 前方に燃え盛る火山のようなものが見える。あれこそが地獄道に違いない。そう感じた真人はそこへ急行するのだった。

 地獄道とは言ったのもだ。この灼熱の火山はそこに居る全てのものを溶かしてしまうような勢いで赤々と燃え盛っている。こんな所に落とされたらひとたまりもないだろう。真人はその火山を怖れながらも一歩づつ足を進めて行く。すると火山の麓で門番をしている人がまるで鬼のような形相で真人を制止し、強い語気で叫びながら凄んで来た。

「お前かぁー、この町に送られて来た男はー! よくここまで来れたなー! ここは見ての通り地獄道じゃー! ここからは一歩も出られんぞー! あーはっはっはー!」

 今更そんな脅しに屈する真人でも無かったが、ここではどんな試練があるのかはまだ分からない。門番に促され先に進む真人。ひたすら山を登り辿り着いたその場所は正に地獄絵巻を呈するような表現のしようのないこの世の地獄だった。そこでは見るも無残な、罪人のような見窄らしい姿の人々が鬼達に依って次々に火山に落とし込まれている。この者達は前世でどんな罪を犯したというのだろうか。その表情は恰も己が罪を認めた上での諦めの表情にも見える。

 真人はそんな彼等の様子を見ながら自分はどう立ち回ったら良いかという事だけを考えていた。生前の彼が犯した罪とは何だろう。思い当たる事といえば最愛の妻だった智子を死なせてしまった事ぐらいなものか。他にも無意識の内に蟻を踏み殺してしまった事や、害虫とはいえその命を奪ってしまった事と細かい事を言い出せばきりが無い。

 取り合えずこれといった大罪を犯した覚えのない真人は粛々としながらも堂々とした面持ちで前に進んで行き、火山の前に差し掛かった。するとそこで罪人を先導していた鬼の一人は真人に対しまたしても強く言葉を放つ。

「何だお前、その不遜な態度はー!」

 真人はそんな鬼に対し一向に怯む事なく毅然とした態度で答えた。

「私は生前大した罪は犯しておりません、もし他に何かあるのであれば甘んじてそれを受け入れ、その責め苦に耐えたい存じます」

 鬼は一瞬たじろいで真人の生前の履歴を改めていた。確かに真人が言うように大した罪は犯していない。それなら何故彼はこのような所へ送り込まれて来たというのか。鬼達は疑念を抱きながらも真人の顔を何度も振り帰り見つめていた。

 決断を迫られた鬼達はこの地獄道の長であ邪鬼に教えを乞うのだった。邪鬼はその禍々しい顔つきで真人の前に現れ勇ましくも口汚い物言いで烈しく言葉を放つ。

「お前何を言っとるんだ! 罪の無い人間などおらぬわ! ここに来た人間どもはその火山に堕とされるだけなんだ、潔く観念してこの先にある無間地獄に堕ちるがいいわー!」

 真人は餓鬼道で学んだように潔く落とされる事を覚悟した。すると邪鬼の背後から更なる怖ろしい鬼が出て来た。その鬼の姿を見た他の鬼達は一瞬にして大人しくなり、頭を地面に擦るようにしてその鬼に対し平伏すのだった。

「鬼神様ーへへー」

「ですが何故鬼神様がこのような場所へわざわざお出ましに?」

 口々に媚び諂う鬼達に対し鬼神は腰に携えた槍を一閃し咆哮する。

「うおぉぉぉー! コラー、お前ら、何をしとるんじゃー! この御方はここに来るべき御方では無い、まだ死んではいないではないか! 早々と出て行って貰うのじゃー! うおぉぉぉー!」

 鬼神の咆哮に依って一気に大人しくなってしまった鬼達は己が仕事も忘れたように取り乱し、取り合えず真人を地獄道の外へと誘う。真人は振り返りながら鬼神に合格認定を頂こうと叫んだ。鬼神は未だ勇ましい雰囲気で真人に対し、いやその場全体に

「合格じゃぁぁぁー!」

 と怒号を鳴り響かせるのだった。真人はそれさえ訊ければ良かった。

 身も心も溶け落ちてしまいそうな灼熱地獄。ここから脱する事が出来た真人には少し冷たい風が吹いて来て、暑く火照った身体を優しく冷ましてくれる。晴れ晴れとした想いで元の世界に帰ろうとする真人。

 その時一人の女性が背後から近づいて来る。瞳であった。瞳は珍しく切ない表情を泛べながら、真人にその身体を投げ出すようにして凭れ掛かって来るのだった。

 

 

 

 

 

 

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