人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

約定の蜃気楼  十二話

 

 

 久しぶりに会った瞳の珍しい仕種に愕いた真人であったが、彼は気の向くままに彼女を自分の身体で休ませてやり、優しく髪を撫で互いにその切なさを共有していた。

 その後こんな地獄道に長居は無用と感じた真人は瞳の身体を起こし、取り合えず歩き出した。二人は何処へ行くとも考えないまま足に任せて歩いていた。道中瞳は全く口を利かない。そうして二人が辿り着いた場所はこの町で真人が初めに訪れた例の幻想的な湖だった。

 閑散とした雰囲気を漂わすこの湖の様子も相変わらずだったが、全く人気の無いこの場所こそが今の二人にひと時の安らぎを与えてくれる事も事実ではあった。二人は湖畔にあるベンチに腰掛ける。湖の遙か彼方に視点を置いて瞳に語り掛ける真人の表情もまた憂愁に充ちていた。

「瞳、どうしたんだ? さっきから何も喋らないみたいだけど」

 瞳は髪をかき上げ、まだ一抹の不安を抱えたような面持ちで答える。

「貴方こそこれで全部の道から合格認定も頂いたというのに、ちっとも嬉しそうじゃないじゃないの、これで元の世界に帰れるのよ」

 真人もまだ蟠りが解けないような、少し怪訝そうな顔で答えた。

「確かにその通りだけど本当にこれで全部合格した事になるのかな、どうも吹っ切れないんだよな~」

「何で?」 

「俺は畜生道修羅道、餓鬼道、そして地獄道と、この四つの道で合格を頂いた事には何ら疑念はないんだが、人間道と天道では何もしてない気がするし、本当にこれでこの町から出て行けるのか? 瞳も言ってたじゃないか、六つ全ての合格認定を貰った人はまだ誰もいないと」

 それを訊いた瞳には戦慄が走った。この真人という男は何故そこまで勘が良いのか、亦何故もっと楽観的な発想が出来ないのか。真人の言う事は正解だった。それを今更隠し通せるものでもないと踏んだ瞳は思い切って真実を伝える。

 「流石ね、貴方の言う通りよ、貴方はまだ全ての道で合格していないのよ」

 真人はやっぱりかと言わんばかりに少し項垂れるようにして頭を掻きむしった。考えられる事とすれば人間道と天道、この二つの道で真に合格していない事になる。だが何れにしても今まで経験した、壮絶な試練であった畜生、修羅、餓鬼、地獄の四悪道に比べればあとの人間、天の二善道を突破する事は簡単ではないのか。真人も少し疲れていたのか、ふとそういう短絡的な発想に転じてしまうのだった。

「という事は俺はまだこの町からは出て行けないという事か......」

 瞳は少し角度を変えて訊いてみた。

「そんなに早くここから出て行きたいの?」

 真人はそんな瞳を訝しんでみたが、それも尤もな話でもあった。

「いや、そういう訳でもないけどさ、ただこれまで以上の試練が待ってるとなるとそれはそれで怖いような気もしてさ」

「なるほどね、でも私は貴方を信じてるわ、この先の試練にも絶体に打ち勝つ事が出来ると思うのよ、大した根拠はないけどね」

 根拠のない自信。これほど軽薄で脆弱な言葉も無いだろう。だが裏を返せばそれはこの上なく頼もしく、便利な言葉でもあるように思える。真人は瞳の想いに懸ける事にした。些か短絡的な発想だが今の真人にはそれしか無かったのだ。それを成し遂げずしてここから出て行けたとしても悔いが残るのは明白である。

 そんな意を決した表情を浮かべる真人の顔を見ていた瞳はまた切ない雰囲気を漂わすのだった。

 

 

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 真人の決心を祝うようにして鬱蒼としていた湖の濃い霧は晴れ、燦然と輝き始めた陽射しは辺りを明るく照らし出し、それに釣られるように姿を現す虫や鳥達。今更言うまでもないこの自然の力、自然の理こそが万物を目覚めさせる生命の源である。

 そんな大自然の恵みを受けた森羅万象あらゆる生命は、その恩恵に報いるように意気揚々と己が姿をめい一杯広げて宙に舞い上がる。それは真人と瞳とて同じ事で二人は気が晴れたような明るい表情を浮かべ湖を眺めるのであった。

 湖はあくまでもその威風堂々たる姿を保ったまま幻想的な中にも美しい水面を現す。水面から一匹の小魚が飛び跳ねる様子が見えた。すると背後からはなにやら地面を這うような足音が聞こえて来る。二人は後ろを振り返った。

「よう晴れたの~、これで今日も大漁じゃろうてぇ」 

 その声の主はあの爺さんだった。この湖にしてこの町の番人でもあるようなこの老人は一体何をしに来たのだろうか。真人が初めてここにやって来た時は釣りなんてしていないと言っていた筈だった。それが大漁とはどういう事なのか。摩訶不思議なこの老人を前にして真人は改めて問う。

「お久しぶりですご老人、貴方は以前会った時、釣りなどしていないと言ってませんでしたか? それが今日は大漁とは些か解せないのですが......」

 老人は少し怒ったような顔つきで真人に答えた。

「お前さん、そのご老人という言葉止めてくれんかの~、わしにも列記とした名前があるんじゃよ、虎泰という名前がな~」

 真人はそれを思い出した。

「そうでした、花火師の虎さんですよね、申し訳ございませんでした」

 この間瞳は二人のやり取りを静観していた。

「やっとこさ思い出してくれたか、やれやれ若いもんは短慮でいけない、わしは何も魚を釣るとは言ってないぞ」

 真人はまた怪訝そうな表情で訊き直した。

「それなら一体何をもって大漁などと言っておられるのですか?」

 虎泰は尚も悠然とした態度を崩す事なかったが、少しだけ顔をしかめて落ち着いて答える。

「お前さんはこれまで一体何を学んで来たのかな? わしの診る所では初めてここで会った時と何も変わっていないようじゃがな~」  

 真人はこの老人の余りの貫禄に気後れしていた。この人は本当にただの花火師なのか。その威厳に充ちた風格、その落ち着きよう、その聡明さを漂わせる眼差し。どれを取ってもただ者には見えない。まるで真人が揶揄われているようにも見える。だがそれこそが被害妄想である事は真人本人が一番良く理解している。

 正にこの町にしてこの老人。この面妖な雰囲気は真人がこの町を訪れた時と些かも変わっておらず、寧ろその光景は今にして改めて真人に深い闇を感じさせる。これ以上苦しむ事を怖れた真人は瞳の手を握り湖から逃げた。出来る限りの速足で逃げた。

 瞳は何も言わずに付いて来る。老人はそんな真人の姿を見て

「やはり若いもんは軽挙妄動じゃな~」

 と独り言を呟いた。真人にはこの老人の考えている事は分かっていた。自分が軽んじて見られている事も。それでも逃げに転じた真人の思惑はどうなのだろうか。ただ鬱陶しかっただけ、ただ怖かっただけ、或いはただ安らぎの地を求めただけなのか。それも違うような気もしないでもない。

 だとすると一体何なのか。それを考える暇もないほどに走り続け、疲れ果た二人は何時しか瞳の家に辿り着いていた。そこで真人はどさくさに紛れて瞳の身体に触れて行くのだった。

 瞳はそんな真人に抗う事なくその身を預けようとしたのだが、その時瞳にも天のこえが聴こえて来るのだった。

「貴女にはまだやり残した事があるでしょう、それを果たさない限り貴女は無論、真人にも決して倖せは訪れません、今直ぐ戻るのです、あの湖に」

 それを訊いた瞳は真人の手を振り解き、或る術を使って二人して湖に戻るのだった。まだあの湖には何かがあるのか、それが最期の試練なのか。真人にはまるで分からない。しかし瞳の真剣な表情はそれを理屈抜きに真人に投げ掛ける。

 真人は今一度腹を括り直し、新たなる試練に赴くのであった。

 

 

 

 

 

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