人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  四話

 

 

 さゆりと母が異口同音に投げ掛けた言葉は英昭を悩ませるのに十分だった。さっきまでは平静を装っていたが、いざ自室で独りになるとその哀しい、やるせない想いは自ずと胸に込み上げて来る。過去を振り返る事が特段嫌いでもなかった英昭は横になり、追憶に浸って行った。

 それは遡ること9年前、英昭が8歳、小学2年生の夏の出来事であった。今も昔も夏は暑いものだ。この年も日本は厳しい猛暑に見舞われ、外に出ると目の前の景色は陽炎のようにゆらゆらと歪んで見える。

 強く照り輝く陽射しの下、蝉達は煩いほどに勇ましく啼き続け人々は汗を拭いながら日々の生活に勤しむ。学校の授業を終えた英昭は家に帰り、夕食までの間家の傍で近所の人達と共にキャッチボールなどをして遊んでいた。

 すると見慣れない真っ白い鞄を手にした父親が英昭に近づき、こう告げるのだった。

「病院に行って来るから、お母さん達に言っておいてくれ」

「うん」

 英昭は何も考えずにただ返事をした。この父の言は普通に考えても決しておかしい点は無い。だがまだ幼かった英昭にも何処か理屈抜きに引っ掛かるものはあった。それが何なのかは分からないまでも。そしてこれが父との最期の会話になろうとは誰が予想出来よう。結局その日、父は帰らなかった。

 その後父の安否を心配した母や祖母(父の実母)は思い当たる場所全てに電話を掛け、亦足を運んで探しまくる。警察にも届けを出したが父の行方は一向に掴めない。母達は英昭に訊く。

「お父さんと会ったの? 何処に行くと言ってたの?」

 少しづつ事態の深刻さに気付き始めた英昭は恐る恐る口を開く。

「病院に行くと言ってたけど、見た事ない白い鞄を持ってたよ」

 無論今までお世話になった病院にも片っ端から連絡を入れていた母を祖母は溜め息をつくばかりだった。

 

 それから三日後、家には一本の電話が掛かって来た。それは両親の田舎である九州は長崎の諫早駅からであった。駅員によると父は駅のホームで吐血して倒れていたのだという。その後市内の総合病院に運ばれた父は一命は取り留めたものの、昏睡状態が続いていた。

 それを訊いた祖母はその厳しい性格を露骨に表し、半ばヤケになっていた。

「何をしてるんだろうね~あの子は、このまま死んでしまったらいいんだよ! あの親不孝者が!」

 罵声を浴びせるような祖母だったがその頬には既に涙が流れていた。母はただ項垂れている。そんな中でも英昭は学校に行かねばならない。みんなの前では一応明るく元気に振る舞う英昭ではあったが、幼い彼にもやり切れない想いはあった。今にして思えばこの頃から英昭は翳のある子供になってしまったのではあるまいか。それを責める事は酷である気もするのだが。

 その後も事態は悪化の一途を辿る。父が家を出てからちょうど一週間が経った頃、学校には親戚の伯母が急いで駆け付けた。伯母は只ならぬ形相で

「英昭ちゃん、お父さんが危篤よ、今直ぐ行こう!」

 この時英昭は担任の先生を話をしたのかすら覚えてはいない。伯母に促され颯爽と家に帰り車に乗って空港へと向かう。そこには英昭と伯母、伯父の三人が居て、母達は一足早く出発していた。

 車の中では誰も口を利かない。その沈黙は尚更三人を不安にさせる。こんな時に限って高速道路も渋滞している。負の連鎖とは正にこの事か、ようやく空港に着いた時空には一基の飛行機が悠然と飛び立つ姿が見えた。

 それを確認した伯母と伯父は口を揃えて言うのだった。

「ああ、行ってしまった.......」

 その飛行機は本来乗ろうとしていた便であった。

 

 

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 次の便は2時間後であった。母達は今飛び立った飛行機に乗っていたのだった。この2時間の間に事は起こる。やっとこさ飛行機に乗り長崎に着いた一行は病院へと向かう。そこで英昭が目にした光景は実に凄絶で、彼の心は更なる悲しみを経験する事になる。一行が病院の傍まで差し掛かった時烈しくも悲しく、耳を劈くような怖ろしいまでの強烈な雄叫びのような声が聴こえて来るのだった。

「ああああぁぁぁぁーーーーー!! お父さぁぁぁーーーーーん!! 何でぇぇぇーーーーー!!!」

 母の泣き叫ぶ声は病院の外にまで鳴り響いていた。こんな声を聴いたのは生まれて初めてだった。英昭は身を震わせながら中へと入って行く。

 父は死んでいた。人の死に初めて相対した英昭。それも父親。その死に顔はあくまでも蒼白く無表情で、それでいて安らかにも映る。父は僅か40年の人生に悔いは無かったのだろうか。この時の英昭にはそこまでの憂慮が無かったとしても自ずと顔に出る想いは正直なものでただただ泣き喚く英昭。哀しい想いはその場にいた人間だけではなく天にも通じる勢いを感じる。このような時に人が発する言葉には何の意味も無かったのであった。

 

 まだまだ先がある訳なのだが、ここで一旦区切りを付けた英昭にはそれなりの考えがあった。こんな状態でさゆりに会っても嫌われるに違いない。そう思った彼は来たるべくデートについて思案し出す。そして徐に財布を手にして中身を改める。高校生のデートには十分な資金が入っていた。

 余裕を感じた英昭は窓を開け外の景色を眺める。そこには既に陽も堕ちた夜の、綺麗な景色があった。秋の夜長は人の心を多少なりとも優雅にさせる。有難い夜に報いるべくデートに備える英昭。彼の思惑は正に純粋無垢そのもので、少なくともギャンブルなどに打ち興じる浅ましい人間が抱く邪(よこしま)な気持ちでは無かった。

 自らが導いた明るい道は自ずと英昭を安眠させるのであった。

 

 翌日登校した英昭は何時ものように大人しく振る舞い、真面目に授業を受けていた。2時間目の国語の授業を終えた後、休憩中に同級生の彰俊が喋り掛けて来た。

「おい英昭、お前最近あっちの方はどうなんだよ? 儲けてるんだろ?」 

 この質問は今の英昭にとって実に鬱陶しい、邪魔な問いであった。それでもさゆりと仲を憂慮した英昭は冷静に答える。

「ま~ぼちぼちだけど、ここ数日は行ってないけどな」

「そうなのか......」

 その同級生は何か淋しそうな面持ちで去って行った。これも訳が分からない事象でもある。恰もギャンブルの話だけをしたかったような彰俊。彼は一体何が訊きたかったのか、義正と同じように英昭に無心でもしたかったのだろうか。類は友を呼ぶとはいうが今の英昭にとっては正にこんな交友など欲してはいなかった。それは取りも直さず英昭自身の日頃の行いに起因する事は言うまでもない。揺れ動く気持ちは年齢に関係なく人の心に浸透して来る。

 それを払拭する事が出来るのはやはり明るい将来、未来だけなのか。過去を清算する事など誰にも出来ない。だが過去を省みて未来に繋げる事は出来る。今の英昭にはそれしか道は無かったのである。こうして何とか一日の授業を終える事が出来た英昭は、もはや恒例行事であるかのようにさゆりに近づいて行く。

 校門を出た後わざとゆっくり歩き出すさゆり。そこに追いついた英昭は気取られる事なく彼女の後ろからそっと肩を叩き、前に出て揶揄うようにして姿を現すのだった。

「ヤッホー!」

 さゆりはそんな英昭の登場をまた愛想笑いをして一緒に歩き出す。例の公園に立ち寄った二人はそこで腰を下ろし話を始める。秋の夕暮れ時は相変わらず黄昏れ時を十二分に演出してくれる。

 この時二人はほぼ同時に思う事があった。自分達は本当に愛し合っているのかという事を.......。

 

 

 

 

 

 

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