人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  七話

 

 

 パーンパパパパパパパーン。

 軽快に、高らかに鳴り響くファンファーレは如何にも今から一大競走が始まるかのような大袈裟な雰囲気を辺り一帯に漂わし、観客達の心は更に昂奮して行く。 

 第一回秋華賞、レース場に姿を現した騎手達は各々の馬に跨り颯爽と返し馬に赴く。その可憐な雄姿に魅了された一同は歓声を上げて応援する。天高く響き渡る歓声に共鳴するように二つに割れた雲間からは眩しいまでの光芒が差し込み、光輝く競走馬の毛艶は美しさを増す。これには流石のさゆりも感動したようでその表情は多少なりともうっとりとしてた。

 そんなさゆりの肩に手を添えレース場を遠くに見つめる英昭。この時の彼の表情はあくまでも一人の純粋無垢な好青年といった感じに見える。今の英昭なら.......とふと思うさゆり。二人の心の争いはこの一瞬だけ止んだような気がした。

 そうしていよいよゲートが開かれた。勇ましく走り出す競走馬は騎手を背に乗せただ前に突き進む。人馬一体とはこの事か。人と馬、この二者が映し出す美しくも精悍な姿は、恰も戦国時代の騎馬武者のような勇敢な心持を人々に見せつけるようだ。

 力強くターフを踏みしめながら走る馬の轟音は迫力に充ち、恐れを成した鳥達は思わず翼を広げて飛び立って行く。鳥だけではない、虫や魚、土に樹々、あらゆる生命が甲高い声を上げて動揺する姿が目に見えるようだ。さゆりが感動するように英昭もまた声を出さずにはいられない。

「行けぇぇぇー!」

 この声に敏感に反応したさゆりはまた英昭の顔を見つめていた。そして競走馬達は次々にゴールしてレースは終了した。

 結果は1着が本命の2番の馬であったがヒモ(2着)に大穴の5番の馬が入って来た為、馬連ではかなりの配当が見込める。この時英昭は心の中でほくそ笑んでいた。僅か500円分しか買っていなかった馬券が的中してしまったのだ。

 もし隣に居るのが男友達であったなら英昭は大はしゃぎして歓喜の声を上げていただろう。しかし今居るのはさゆりという聡明な女性で、ギャンブル嫌いな彼女の鋭い洞察力を怖れた英昭は必死の思いで平静を装っていた。

 だがそんな英昭の努力も虚しく、さゆりは一瞬にして英昭の芝居を見抜くのであった。

「貴方、馬券当たったんでしょ?」

 それでも英昭は体裁を繕って笑って誤魔化す。

「何言ってんだよ、馬券なんて買ってもないし」

 するとさゆりは英昭を試すような、或る策を思い付いた。

「私、正直な人が好きなの、嘘つきは大嫌いよ」

 己が真意がまだ分からないまでも、さゆりに嫌われる事を怖れた英昭はありのまま正直に答えるのだった。

「ああ、察しの通りさ、当たったよ、でもたった500円だぜ! これでも俺が悪いのか!?」

 さゆりは落胆して溜め息をついた。その表情からは憤りというよりも寧ろ憐み、哀びん、憂愁と決して明るくはない気持ちが感じ取られる。

「やっぱり貴方は嘘つきよ、初めから正直に言っていたなら私もここまで動揺する事は無かったと思うし、貴方も大喜びする事が出来たのよ、残念ね......」

 さゆりはそう言い置いて帰ってしまった。

「おい、待てよ!」

「もうお別れよ」 

 その余りにも冷たいさゆりの表情は英昭の足を踏み止まらせてしまった。それにしても何故ここまで自分の事を嫌うのか、たった一度嘘をついただけではないか、それがそんなに悪い事なのか、彼女はそれほどまでに潔癖なのか。英昭の気持ちは何時になっても整理がつかない。

 レースが終わりまだ数分の出来事であった。一時晴れていた空にもまた雲が立ち込めて行くのだった。

 

 

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 的中馬券を2枚(2百円)買っていた英昭は一瞬にして数万円という大金を手にする。しかし今の彼に喜びの笑みは無かった。

『さゆりはちゃんと安全に帰る事が出来ただろうか、明日から学校でどういう風に立ち回ればいいのだ、俺は一体どうすればいいのだ』暗鬱な表情を浮かべる英昭は下を向いたまま競馬場を後にして例のオケラ街道を歩き出す。

 オケラ街道とは言ったものだった。今の英昭には高校生には十分な金があったにも関わらずその内心は完全にオケラ同然で、足取りも実に重い。だがこの帰り道はあくまでも下り坂であって体力的には然程疲れない。重い足取りながらも次々に人を追い越し進んで行く英昭。傍から見れば収支はプラスのように見える彼の姿、これこそが若さの特権なのかもしれない。英昭は行き道で目にしていた閑静な住宅街に佇む綺麗な樹々だけを目の保養にして歩き続けるのだった。

 

 寄り道をせずに真っすぐ家に帰った英昭には更なる試練が待っていた。この日パートが休みだった母は軽い買い物をした他は一日中家で家事に勤しんでいた。

「おかえり~」

 優しい母の声は返って英昭の心を曇らせる。行先すら告げていなかった英昭は

「ただいま」

 という言葉だけを発して家に入る。そしてダイニングルームのドアを開けた時、そこに並べられていた豪勢な夕食に愕く英昭。いくら日曜日とはいえ何故ここまでの料理が並べられているのか。自分の馬券的中を祝ってくれるとでも言うのか、冗談にもそんな事は思えない。ならば何なのか。英昭は取り合えず自室に上がり財布を蔵(しま)って窓を開け、深呼吸をする。その後横になって今日一日の出来事を思い出しながら独り呟く。

「さゆりは今何をしてるんだろうか、まだ怒ってるのか、俺には愛想を尽かしたのか、これからは赤の他人になってしまうのか、そして豪勢な夕食が意味する事とは.......」

 想いに耽る英昭はこのまま眠りに就きたいとまで考えていた。徐に時計に目をやると時刻はまだ午後6時ちょうど。時間を持て余す事を憚られた彼は一冊の本を手に取り読み出す。タイトルは『美しいパノラマ』この本を読み出そうとした瞬間に母が声を掛けて来る。

「夕飯出来たわよ~」

 母の声に誘(いざな)われるままに階段を下りて行く英昭。この足取りさえも重く感じる。ダイニングに赴いた英昭に快活に語り掛ける母。

「今日は御馳走よ~」 

 英昭はこの時ほど母の言葉が怖く思える時は無かった。自分の様子を見守る母を憂慮して繕った明るい面持ちで料理に手を着け始める英昭。それを眺める母。今二人の間には目に見えない切ない空気が漂っている。それに気付いてか気付かないのか母は何気ない表情で口を切り出す。

「どう、美味しい?」

 優しい眼差しを向ける母に対し英昭はまたもや芝居を演じるのであった。

 

 

 

 

 

 

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