甦るパノラマ 九話
拍手で迎えられたさゆりは皆にチヤホヤされながらも相変わらずの冷静沈着な様子で自分の持ち場へ戻る。殆ど息も切らせてはいない。本人よりもテンションの上がっていた同級生が笑顔で語り掛ける。
「さゆり凄いじゃない! また速くなったんじゃない? 女子ではno.1間違いなしね」
女子達で盛り上がっている中に恐る恐る近づいて行く英昭。彼もまた自分の高揚感を抑え切れない一人であった。
「お見事!」
訊き覚えのあるその声に振り向いたさゆりは以前として落ち着いた様子で済ましていた。英昭は次の言葉に迷いながらも正直な想いを投げ掛けてみた。
「まだ怒ってんのか? 俺が悪かったよ、それにしてもさゆりがこんなに足が速いとは全然知らなかったよ、正に知勇、いや才色兼備だな」
この瞬間さゆりは少しだけ微笑んだように見えた。だが未だ何も答えてはくれない。
「放課後あの公園で待ってるよ」
とだけ言い置いてその場を立ち去る英昭。さゆりは返事をしなかったが、その横顔には何故か安心を覚える英昭だった。
その後も順調に体育の授業を終えた一同は教室に戻り最後の授業を受ける。ギャンブル好きな英昭は数字には結構強く、何ら苦にする事なく数学の授業を熟す。だがその数字も時としては人を悩ませる要素を多分に含んでいる事も事実である。
真面目に授業を受けながらも英昭が考えていた事は確率論であった。自分がギャンブルで勝つ確率、そして今後もさゆり仲良く付き合って行けるかという確率。ギャンブルはまだしも己が恋路までをも数字に表そうとするのは邪道と憚られたが、どうしても考えずにはいられない。
今の予想ではさっきのさゆりの笑みを加えるとまだ縁が切れていない方が四分六で勝っていた。一見自分に都合の良い解釈にも思えるが、その前向きな精神を軽視するのは些かな軽率であるようにも思える。英昭はそれ以上深く掘り下げて考える事はせずに放課後に向けて胸を弾ませるのだった。
一日の授業を終え、学校を後にする事、また彰俊が声を掛けて来た。
「おーい、英昭、待ってくれよ!」
昼休みには彼との話に専念していた英昭だったが、今となっては彼の存在が少し鬱陶しくも感じられる。
「悪い、ちょっと急いでるんだ、また明日な!」
身勝手ながらも英昭はそう言って彰俊を体よく遠ざけた。彰俊は淋しそうに帰って行く。公園までの道中英昭が考えていた事はさゆりの事だけだった。
公園に着いた時、沈みかけた陽は辺り一帯に秋らしい夕暮れ時を演出し、地面に落ちた無数の木の葉は色鮮やかな絨毯を作っていた。その上を少し遠慮しながら歩いて行きベンチに坐る英昭。まだ見えないさゆりの姿を思い浮かべながら遠くを眺める彼の表情は淋しさの中にも清々しさを漂わせる。風に舞う落ち葉に合わせるようにして目を移した時、さゆりは現れた。
相変わらず静々と歩く彼女は公園に入った後も敢えて英昭には目を合わせず、傍まで来て何も言わずに突っ立っていた。
「坐れよ」
微笑を浮かべて優しく語り掛ける英昭に対し、それでも坐ろうとはしないさゆりの心境は計り難い。英昭は一片の落ち葉を手に取りこう言った。
「見てみろよ、綺麗だよなこの葉っぱ、まるで今の俺達みたいじゃねーか?」
さゆりは軽く微笑んで答えた。
「何がどう私達みたいなのよ? 訳が分からないわ」
「やっと口利いてくれたな、ありがとう、自分でも良く分からないけど綺麗だけど切ないっていう感じかな?」
「ふん、尤もらしい事を言うのね」
満更間違ってもいないと言いたかったのか、さゆりの表情は若干緩んで来たような気がする。そして徐にベンチに坐るさゆりは英昭と同じように遠くを見つめて黄昏れ出すのであった。
言っても学校に近いこの公園の周りの道には、登下校する同じ学校の生徒や先生達の姿もちらほら見える。一見逢引きのように見えるこの二人の行動も周りの状況から察するには大っぴらなもので既に気付いていた者がいたとしても全くおかしくはない。
それを警戒する事なくあくまでも自然な様子で一緒にいる二人の姿も堂々としたものだ。その毅然とした態度ではさゆりの方が勝っていたようにも思える。
一時沈黙していた後、今度はさゆりの方から喋り出した。
「ところで貴方、足は余り速くはないのね」
意表を突かれた英昭は思わず反論する。
「そりゃ、さゆりよりは遅いさ、お前何かやってたのか?」
「だらしない男ね、女に負けて悔しくないの?」
「悔しくない訳でもないけど、俺はたださゆりの足の速さを素直に褒めてるだけだよ、それに俺にだって負けてはいない事もあるしな」
「何よ?」
「それは.......」
「言えないじゃない」
「人情だよ」
「ふ~ん」
「無論人情というのには愛情も友情も色んな情けが含まれてあるんだよ、俺はそれだけは誰にも負けてないと思ってるよ」
「なるほどね」
さゆりは決して褒めるような事はしなかったが、堂々と言い切った英昭の表情を見て心の中では少し認めてもいた。別にそれを誇る訳でもない英昭は訊き直した。
「で、何かやってたの?」
「私は中学生の頃陸上部だったの、他にも水泳も習ってたし、空手もやってたわ」
「凄いな! それで普通の女の子とは少し違って見えたんだな、なるほどな~、でも何で高校では部活動に入ってないんだ? 勿体ないような気もするけど」
さゆりは少し俯いて考えた後、徐に顔を上げて答えた。
「私、群れを成す事が余り好きじゃないの、だいたい分かるでしょ」
そう言われれば確かにそんな感じにも見える。それは英昭とて同じで、人と絡む事を余り好かない彼もはっきり言って人脈は薄い。だからこそ二人は付き合う事になったのだろうか。真意は分からないまでも互い共通点は少なからずあった。
そうなればその行く末も正に二人の気持ち、行いに委ねられて来るだろう。だが互いの性格が似通っている場合、自然と口数が少なくなって来るようにも思える。そんな中で恋路を発展させて行く事は難しい。何かサプライズが必要なのだ、気の利いた面白いサプライズが。
女性に不慣れな英昭にはそんな良案など思い付く筈も無かった。さゆりはどう思っていたのだろうか。相変わらず口数の少ない二人は遅々として盛り上がる様子を見せない。純愛というにはまだほど遠い二人の仲は、ただ秋の黄昏れにだけに依って保たれていたのか。それも実に淋しい話だ。発展を願う英昭の気持ちは空回りする一方で、純粋な気持ちは返って彼を焦らせる。
言葉を思い付かなかった英昭は無言のままさゆりの唇に触れて行こうとした。てっきり拒むと思われたさゆりだったが、何ら抗う事なく唇を重ねて来る。
やはり俺の予想は当たっていたのだ。昂揚感で溢れる英昭の心は熱くなり口づけは些か長く続いた。さゆりの厚い、甘美な唇は英昭を快楽の境地へと誘い、嫌な事など全てを忘れさせてくれる魔法のような力を感じる。
目を瞑ったまま辺りなど一切気にしなかった英昭だったが、その時風が止んだにも関わらず、樹々が揺れるような、怪しい音を感じる。その音は直ぐに消えた。
長い口づけを終えた後、英昭はさゆりの顔を見つめて訊いた。
「今、何か音がしなかったか?」
「別に聞こえなかったけど?」
この期に及んでも毅然とした態度を崩さないさゆりの様子は英昭にも頼もしく思える。自分も男らしくならなければならない。そう決心する英昭の様子もまた僅かながらも凛々しく映るのであった。
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