人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  十三話

 

 光陰流水の如し。高校に入学して早や3年という歳月が経った今、英昭はいよいよ卒業の時を迎える。まだ寒さの残る3月上旬ではあったが、1、2月をやり過ごした事で少しは気が楽になっていた。

 桃の花を見上げながら思う事はその美しい佇まいと、この3年という歳月が表す懐かしさと、これから将来に向けての抱負だった。

 ぼんやりと眺めていた英昭の目には木の梢に停まった一羽の蝶の姿が映る。冬の間は幼虫として身を竦めていたであろうこの蝶は春の陽射しを感じ取り、その可憐な姿を目一杯広げて晴れやかに飛び回っている訳だが、果たして本当に嬉しいのだろうか。嬉しくないといえば嘘になるかもしれないが、真に嬉しいかといえばそれも言い切る事は出来ないようにも思える。

 人という生き物が他の生命よりも繊細であるかは分からないが、この蝶にも二元論の狭間で葛藤する事は時としてあるのではなかろうか。そう仮定した場合、今のこの蝶や樹々、あらゆる生命は何を想い、何を訴えようとしているのだろうか。

 ふとそんな細かい事に心を奪われた英昭であったが、眼前に拡がる綺麗な光景は彼をそこまで深く悩ませる事も無かった。梢から飛び立つ蝶の姿を確かめてから足を進める英昭。その足取りは軽くもなければ重くもない、あくまでも自然体に見えるのだった。

  卒業式では言い方は悪いが校長先生や他の先生達から尤もらしい言葉が述べられ、それを訊きながらそれこそ尤もらしい表情で屹立する生徒達。その中には涙している者もいれば泣き笑い、或いは澄ました表情を浮かべている者もいる。

 英昭の顔つきは至って冷静で多少涙腺が緩む場面があたっとはいえ決して涙を浮かべる事は無かった。目を移すと彼以上に冷静沈着な面持ちで坐っている者がいる。

 さゆりは終始そういう雰囲気を保っていた訳だが、無論白状な思いがさせる非情な思惑に依るものでは無い。彼女の気持ちは英昭こそが一番良く理解していた。上からものを言う訳でもないが、簡単に言うと二人にはこの三年という歳月の中にもそこまでの心を揺さぶるような思い出が無かっただけの話なのだ。言い方を変えると一々一喜一憂している他の生徒達が滑稽に見えない訳でもない。亦逆に言うと大した思い出を作れなかった二人が哀れにも思える。

 二人の出会いは正に青春そのものと言っても過言ではないのに、そこまでの感動を齎さなかったこの結果はどう見るべきなのか。真に心を通わしていなかった見せかけだけの恋愛、或いはまだそこにも到達し切れていないだけ。それらを省みる悔恨の念。

 何れにしても決して白状でもない二人が形だけとはいえ感動を表すさなかったこの式には余り価値を見出せない。それこそ身勝手な言い方ではあるが正直な気持ちを翻す事は至難の業である。式を終えた二人は同級生達との会話もほどほどにして静々と帰途に就く。無味乾燥とは言わないまでもその様子に冴えは無かった。

 だが二人にはその後があった。約束も無く例の公園に立ち寄る英昭。今日こそは来るだろう、いや来なかったらおかしい。確信するように自信満々で彼女の到来を待つ英昭。今の彼はさゆりと二人で会う事でしか卒業した証を得る事が出来なかったのだった。

 

 

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 公園にも春の到来を喜ぶ色んな樹々の浮き立つような心持が窺われる。先んじて花を実らせた桃に対し桜は少し焦りながらも悠然と己が咲き乱れる頃合いを見計らっている。沈丁花は梅、桃、桜に勝るとも劣らない美しい薄紅色を称え乍ら芳醇な香りを放ち続けてくれる。それに魅了された英昭は思わず木の下に赴き子供のような感じで我が身を浸透させて行く。

 樹の色香に酔いしれる彼はまた思う事があった。やはり人間よりも植物の方が良い。何がどう良いのかまではまだはっきりと分からない。だが理屈抜きにそう思う彼の心に同化するようにしてその姿を包み込んでくれる大らかな樹。その優しさは小規模ながらも神々の優雅にも厳かな、悪戯にも精妙な、計り知れない力を感じさせてくれる。

 そんな雰囲気に没頭する英昭の下にいよいよさゆりが姿を現した。彼女は英昭を見るなり口を切った。

「何してんの?」

 相変わらずのそっけない彼女の言い振りには少し淋しさを感じる所でもあったが、恥ずかしかった英昭は直ぐ様ベンチに戻り平静を装って答え始める。

「おうさゆり、やっぱり来てくれたんだな」

「だから、一体何をしたての?」

「何って、見ての通りさ、この木の恩恵に授かっていたのさ」

「ふ~ん」

「何だよ、おかしいか?」

 さゆりは少しだけ首を傾げてから答える。

「貴方ってやっぱり変わってるわね、普段からギャンブルなんかに嵌ってる癖にそういう粋な慣習もあるのね、似合わないわよ」

「そんなにおかしいか?」

「別に、ただそんな貴方もいいかなってふと思っただけかな」

 そう言ったさゆりの顔を神妙な面持ちで見つめる英昭。その手は彼女の身体に触れ、その唇は自然と彼女の唇に重なって行く。これこそが人間に於ける自然の理なのか。全く拒む様子を見せないさゆりは自分からも積極的に攻めて行く。それを感じた英昭も彼女に負けじと振る舞う。この間実に1分以上、長い接吻は今の二人には倍以上に感じられたに違いない。その甘美な味に酔いしれた二人にこれ以上の言葉は要らなかった。

 公園を後にした二人は何処へともなく姿を消して行く。二人だけの卒業式。これは公園に屹立する美しい樹々だけにしか分からなかった事象であるかもしれない。その一部を垣間見た公園。もしこれが人間であれば由々しき事態である。しかしあくまでも自然であるこの景色に見取られた二人に悔いは無かった。

 たとえこの後二人がどういった物語を作ろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

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