甦るパノラマ 十四話
二人だけの卒業式。真の卒業式。その日に交わした初めての契りはこの3年間の高校生活の集大成を飾るような烈しくも甘美な形を彩り、二人の愛の着地点でもあったのか。そう解釈してしまうのも些か虚しい気もするのだが、少なくとも一つの節目であった事には違いないだろう。
それが真の愛なのか、勢いだけのものなのか。聡明なさゆりが勢いだけで他人に靡く訳がないと確信していた英昭は今一度彼女の顔を見つめながら呟くのだった。
「良かったな」
さゆりは少し照れながらも相変わらずの毅然とした態度で答える。
「そうね、良かったわ」
そして顔を見合わせた二人は徐に笑すのだった。愛に理屈など要らないと言えば尤もらしくも聴こえるのだがそれだけで良いとも言い切れない。愛し合う理由と言えば硬く感じるがそこに多少なりとも理を求める事も事実ではあり、亦それこそが人間の弱さのような気もする。
有形無形。この二つの形が織りなす真意とは何なのか。揚げ足を取る訳ではないが無という言葉がある以上それにどんな言葉を付け足した所で無ではないのか。しかし無形という言葉がある以上は決して真の無ではない筈だ。然るに無と有。この二つの事象はあくまでも一つの形を表すものであって互いに主張するもの、共通するものがあるとも言える。
即ちこの二つは決して別物ではないという解釈も出来る筈なのだ。だとすれば実際に契りを交わした二人の所作は無に属するのか有に属するのか、或いは同じものなのか。何れにしても契りを交わしても尚釈然としない今の二人の気持ちはそこに起因するように思える。それを確かめようとしたのはさゆりも同じだった。
「ところで貴方、そんなにギャンブルが好きなの?」
英昭はある程度は覚悟していたまでも、この期に及んでそんな事を訊いて来る彼女の思惑に少し怪訝そうな面持ちで答えた。
「知ってたんだな、やっぱり女の勘は凄いんだな、母にも言われてたんだよ」
「そうなの、私も絶対に辞めてとまでは言わないけど、ただ何故そこまで嵌るのかなって思ってね」
「そればっかりは自分でも分からないよ、それこそ理屈じゃないような.......」
「もし私とギャンブルどっちを取るかって訊かれたらどうする?」
英昭は即答出来なかった。焦った彼は汗までかいている。それを見ていたさゆりは微笑を浮かべて言うのだった。
「そんなに真剣にならなくてもいいって、貴方の気持ちは良く分かったわ」
何がどう分かったのだろう。英昭は彼女の朗らかな表情を見て裏をかかずに良い方に解釈した。それが単に前向きな考え方なのか、思慮が足りなかったのかまでは分からないまでも。
そうして二人は別れて家に帰って行く。学校での卒業式と同様、この逢瀬にも切ない、儚い漂いは十分にあったのだった。
家に着いた英昭はまともに母の顔を見れなかった。その後ろめたさはギャンブルの比では無かった。
「ただいま~」
「おかえり」
何時ものように声を掛け合う二人ではあったが、英昭の何処となくぎこちない様子を訝った母は少し心配になり炊事の手が疎かになってしまった。まだ何か隠しているのか、この卒業式という晴れ舞台を終えてまで。それでも敢えて英昭の部屋に上がるような野暮な真似はしない。粛々と料理を作る母はその憂慮も込めて、それを超えて行くような心持で御馳走を作る。その音を訊きながら部屋で独り黄昏れる英昭。彼の心もまた揺れていた。母に全てを打ち明けるべきかを。
部屋でさゆりとの事を考えていた英昭はさっき別れたばかりの彼女ともう会いたくなっていた。でも流石に今から会いに行く訳には行かない。その手にはまだはっきりと彼女の身体の感触が残っている。それは英昭を安心させながらも焦らせる。
高校生活は終わったのだ。もう学校に通う事は無い。となると二人きりで会う機会が増えるようにも思えるが互いに進路の違う二人がそう簡単に会えるのだろうか。思い出だけにはしたくない。だが愛を確かめるのにあれ以上の方法があるのだろうか。逡巡する英昭はギャンブル同様、自重する事を考えた。そうする事でしか自分の気持ちを保つ事が出来ないのだ。不器用な感じもする彼のこの想いはやはり十代という若さ故の純粋無垢な思慮に依るものなのか。そんな中、
「ご飯出来たわよ~」
母の声が聴こえて来た。英昭は恐る恐る階段を下りて行く。その一歩一歩に気持ちの動揺が感じられる。ダイニングへ赴いた彼の前にはまたまた豪勢な料理が並べられていた。それを見て愕く英昭。
「また凄い御馳走だな~、大袈裟じゃないのか?」
母はそんな息子の正直な顔を見て安心する。
「さ、食べましょう」
「頂きます」
食欲旺盛だった英昭の様子はさっきまでの陰鬱な雰囲気を一掃してくれた。目を覆う山海の幸はまるで二人の前に大自然の大いなる恵みを見せつけているようだ。その恩恵に授かる事が出来る人の立ち位置はこの上なく有難く感謝の念に堪えない。
自然の恵みというものは味覚だけではなく視覚、聴覚、触覚、嗅覚といった五感。更には意識、末那識、果ては阿頼耶識といった仏教の唯識論にまで影響して来る勢いを感じる。その力は人間の迷いを払拭、或いは浄化させてくれるほどの強い力でもある。
ひたすら明るい表情で食べ続ける英昭の姿こそがその露骨な表れでもあった。
「美味しいな~」
息子の嬉しそうな様子を眺めながら安心する母。これとて当たり前のようにも思えるが、この時の母には尚更喜ばしい情景でもあった。そして英昭が食事を終える頃、その胸の内を訊こうとする母。その表情はあくまでも優しく、我が子を愛する親の情けを含んだ問いかけであった。
「卒業おめでとう」
「ありがとう」
「で、今日何があったの?」
英昭は腹を括って答えた。
「うん、実は彼女が出来たんだよ、前に言ってたろ」
「そんな事訊いてないわよ、出来たら連れて来るとは言ってたけど」
「そうだったな、ようやく出来たんだよ」
「で、何時連れて来るの?」
「まだ休みはあるんだし、そう急かすなよ」
「分かったわ、別に急かしてる訳じゃないけどね」
急いていたのは英昭だけであった。そう言って母に反論する事に依って己が気持ちを落ち着かせていただけなのだ。それは当然母にも伝わっていた。
今年でちょうど40歳になった母は息子が言うのもおかしいかもしれないが実に綺麗な女性で、さゆりに勝るとも劣らない洞察力も馬鹿には出来ない。
英昭は度々思う事があった。何故こんな綺麗な母を残して父は逝ってしまったのか。いくらギャンブルに現を抜かしていたとはいえそれは余りにも勿体ないとも思える。例え方は悪いかもしれないがそれは今の英昭にとっても反面教師にもなる事は確かだ。そこまで憂慮するのも些か早計にも思えるが、遠き慮りなければ必ず近き憂いあり。先々の事を軽視していては現状すら覚束ない。これは如何に若い英昭とて十分理解出来る事であって母に対し親不孝するつもりなどは全く無い。
しかし逆に言うと理も嵩ずれば非の一倍。余り理屈に囚われていてもそれは返って逆効果を招きかねない事も事実ではある。
所詮成るようにしか成らないと言ってしまえばそれまでなのだが、それこそ淋しい、哀しい話でもある。その狭間で葛藤し続ける人間とは一体如何なる生き物なのか。答えは考えれば考えるほど答えから遠ざかってしまうような気さえする。しかし考えずにはいられない。とにかく理屈抜きに居今の英昭にはさゆりの存在が必要不可欠であった。
春の陽気は桜の開花を待たずして万物に安らぎと焦りを同時に告げようとしていた。その自然の恵みに対し負けじと振る舞う人の所業は己惚れなのか、正直な気持ちの表れなのか。それを確かめる事こそが生きる証であるようにも思える英昭であった。
こちらも応援宜しくお願いします^^