人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

保守と革新  ~選挙に見る無常感

 

 

          移り行く  空の景色も  無常かな(笑)

 

 

 もはや梅雨も明け外の景色もすっかり夏一色になりましたね。無論それはそれで良い事なのですが、暑い夏の到来と短い春にも色んな想いを巡らしてしまう自分がいます。

 そこで昨日行われた兵庫県知事選。自分の地元兵庫県という事で注目していたのですが、その結果については個人的には残念で仕方ありません。

 またまた硬い話で恐縮なのですが政治に見る今の日本の世相と言いますか、そもそも世の中、人間、森羅万象とは一体何なのかといった訳の分からない話をして行きたいと思います(笑)

 

兵庫県知事選

 

news.yahoo.co.jp

 

 本来選挙や政治の話をするのはタブーでモラルに反する行為だとも思えるのですが、そこには現代日本人の政治には無関心な国民性が見え隠れしているような気もしないではありません。そういう意味ではたまにぐらいはしても良いような気さえします。

 という前提で話をして行きたい訳なのですが、まず何が残念かと言うと維新が兵庫県までをも乗っ取ってしまった事です。主観としては大阪だけでやっていて欲しかったです。とはいえ他の候補者も確かに頼りないという感じはしていました。

 何故自分が維新を嫌うかと言えば一応の理由があります。まずは国政に於いては維新は大して活躍していない事。大阪では力もありますし色んな問題点を改善して大いなる成果を上げて来とは思いますが胸を打つような事ははっきり言って何もありません。そして同じ関西でも大阪と兵庫では文化が全然違うのです。

 今回知事になった斎藤さんは神戸出身との事ですがその辺はどうなのでしょうか。端的に言うと兵庫が大阪に飲み込まれてしまうような危機感さえ感じてしまうのです。考え過ぎかもしれませんが、自分にはそう思えてなりません。

 国政に於いても維新ははっきり言って自民党に金魚の糞のように付き従う親衛隊でしかありません。それでいながら維新とか大層な名前を掲げている事自体にも疑念を抱かずにはいられません。維新の開祖である橋下氏でさえも今の維新は変わってしまったと嘆いているぐらいです。

 余り文句ばかり言っているとヤバくなるかもしれませんが、自分は別にどうなっても構いません。とにかく維新は好きにはなれないというのが本音です。

 とはいえ決まってしまったものはどうしようもありません。現実から目を反らさずに生きて行かなければ仕方ないですね.......。

 

保守と革新 

 政界ではよく保守、革新、リベラルとかいう言葉が用いられていますが、ここで自分が言いたい事は政治だけではなく、それを個人の人生観、思想信条という観点から掘り下げて行きたいという話です。

 

 まず保守とは何なのか? 

 従来からの伝統・習慣・制度・考え方・新機軸などを穏健に尊重し維持するため、改革や革命などの革新に反対する社会的・政治的な立場、傾向、思想などを指す用語。

 と定義付けられています。

 

 革新とは? 

 新たに革(あらた)めることを意味し、既存のものをより適切と思われるものに変更することを意味する。

 とあります。

 

 リベラルとは?

 自由、自由主義です。

 

  政党毎にこの保守派、革新は、リベラル派などというレッテルに近いものが掲げられているような気もしますが、そんな事はどうでも良いのです。問題は個人の思想、価値観が多様化(実は昔から)された時代に何故未だに徒党を組んで同じ色に染め上げようとするかといった風潮、亦は文化で、そこにこそ人間の弱さを感じる訳なのですが、そんな事ばかりしているから何時になっても日本人は真の自由を手にする事が出来ないのだと思います。

 無論政党政治をしている訳ですからそうなるのも当然で、人間一人では何も出来ません。ですが人間一人の力も侮ってはいけないとも思います。これは政治だけではなく自分達一般人の人生に於いても十分に言える事で、例えば学校もそうです。やたらと班という組織を作り、その輪の中で行動させる。それを完全に否定するものでもないのですが、一つの輪というものを作り上げてしまえばいくら素晴らしい能力があってもそこでは活躍出来ない弱い者も出て来るのです。亦イジメに繋がるケースもあります。無論その人にも非はありますが、日本という国はとにかく輪の中で恰も動物を育てるような言わば飼育を未だにしている訳です。

 全体主義といえばそれまでなのですが、もっと個性を伸ばす個人主義も必要かと思います。要はそのバランスが重要と思える訳なのですが。

 

 そこで持論としては政治もこの個人主義をとって政党など無くしてしまって法案も政策も個人で発案してそれに対して各々の賛否を問うというシンプルなやり方が一番良いのではないかと常々思っていました。そうなると輪の中で生じたクソ下らない柵(しがらみ)なども自然と消えてしまう訳です。

 ま、自分のような凡人の浅はかな思慮ですけど(笑)

 

 政党単位での思想信条などは詳しく知りませんが個人的に見て行くと同じ政党の中でも保守、革新、リベラル、色んな方がいると思います。自分ははっきり言って保守的な人間なのですが、何もそれだけが理由で今回の選挙結果を悔やんでいる訳でもありません。

 

からの無常感 

 今は世界的に見てもヤバい国もまだまだありますけど、一応は殆どの国が治世です。そんな中で真に革新派が必要なのでしょうか。いくら今の日本が見せかけだけの平和ボケとしても治まっている状態をわざわざ新しくする必要性が自分にはどうしても理解出来ません。細かい改善点はいくらでもあるとは思いますが。

 例えばオバマ元大統領が掲げていた「チェンジ」これ自体は十分理解は出来るのですが、未だに黒人差別などがある事自体がおかしな話で、それを軽視する訳でもありませんが、それを改善出来たとしても自分は大して感動もしません。

 ならば何もしないで良いのかという極論でもありません。となれば何をすれば良いのか。それはこの状況を守るという事に尽きると思います。下手に刷新しようとすれがそれは反ってせっかく治まっているものを搔き乱すだけの逆効果を招きかねません。それでは正に本末転倒という事になって来ます。

 話は変わりますが天皇の血筋は正に万世一系です。この悠久の歴史は本当に素晴らしいです。勿論今は天皇統帥権は無い訳なのですが昔はありました。この永の素晴らしい歴史に負けないぐらいの不変的な素晴らしい政治をして欲しいというのが自分の本音です。

 春から夏に変わった気候同様、仏教でも世の中に不変のものは存在しないと言われていますが、だからこそ人の心だけでも不変の力強さ、筋の通った一貫性を保って行きたいと思うばかりです。これこそが無駄な足掻きなのでしょうか、己惚れた考え方なのでしょうか。遙かに聳える山々には不変の神々しさを感じはしますが。

 人は世に連れ、世は人に連れ。結局は時代に流されて生きて行くしか道は無いのかもしれませんが、流される事なく流れて生きて行く事が出来ればそれに越した事はないと思うばかりではあります。

 自分でも何が言いたいのかよく分からなくなって来ましたが、要は諸行無常という事ですかね。

 とにかく何とか生きて行く事にします 😉