人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  二十話

 

 

 英昭はこんな形でしかさゆりと会えなかった自分を恥じた。都会の喧騒は彼の陰鬱な心持を更に曇らせる。大勢の群衆で溢れる帰宅ラッシュ時の忙しい駅前に、まだ世に擦れていないさゆりの純粋で淑女のような気品を漂わす綺麗な姿は少し浮いているようにも見える。彼女は英昭に近付いて来て徐に口を開き出した。

「久しぶりね、何処行くの?」

「何処ってこれから帰る所だよ」 

「ちょっとつき合ってくれない?」

「あ、ああ、いいけど」

 二人は取り合えず近くにあった居酒屋へ入った。そういえばさゆりと酒を飲むのは初めての経験だった。

「乾杯」

 控え目ながらもそう声掛けをしてビールを飲み出す二人。さゆりの飲みっぷりの良さに愕いた英昭は思わずこう言った。

「酒強いんだね、俺よりは大分強そうだな~」

「バイト先でたまに付き合いで行くのよ」

「なるほど、俺も同じようなもんだけど、出版社だったよね、将来どうするの?」

 さゆりは少し俯いて考えていた。未だに昨日の事を一切口にしない英昭の心境はどんな感じなのだろうか。もう忘れているだけなのか、明るく振る舞っているだけか。それとも始めから気にもしていないのか。

 たかだが電話の話なのだが、自分から始めて掛けた電話に出てくれなかった、折り返しすら無い。この事はさゆりとしては少々気を悪くする、そして彼の事を憂慮するに足りる事象であった。

「昨日は遅くに電話してごめんね、もう寝てたでしょ?」

「え? 電話?」 

 まさか電話すら見て無かったのか。打算的な考え方ではあるがもしそうだとすれば彼はまだ自分の事を想っていてくれるに違いない。でもそれはもう一つの心配事を決定させてしまう事にもなる。

 英昭は急いで携帯電話の着信履歴を確かめた。するとさゆりからの着信は確実にあった。俺とした事がなんてドジを踏んでしまったんだ、いくら凹んでいたとはいえ電話ぐらいはどうにでもなった筈だ。情けない.......。

「さゆり、本当に悪い! 昨日は疲れてて早くに寝てしまったんだよ、そして今日も結構忙しくてさ、ほんとにごめんな」

「別にそんなに謝ってくれなくてもいいいけどさ」

 事を急いてはいけないと思ったさゆりは明るい面持ちで飲み食いしながら色んな話題に花を咲かすのだった。高校時代の話は勿論、英昭と知り合う以前の中学時代、小学時代に更には幼稚園時代の話。そして今の大学での事やバイト先での事等。彼女がこれだけ積極的に話をする事は今までには無かった。そんなに気分が良いのであろうか。こればかりは他人には分からない。特に小学生の頃、同級生の男子と遊んでいる時にその子を泣かした話は結構面白かった。やはりさゆりは気も強いのだ。それでいて控え目な所ががまた良い。

 気が強くて運動神経も良く、知性にも富んでいる。さゆりに欠点があるとすれば何なのだろうか。英昭同様少し人嫌いな節も見受けられるがそれも大した欠点には見えない。だが完璧な人間など存在しない筈だ。

 その欠点を確かめたいという意味でも英昭は改めてさゆりに興味を惹かれる。それに対して欠点だらけの英昭は何とも情けない限りである。敢えて長所を上げるとすれば人の好い、いや好過ぎる、見せかけだけの優しさぐらいか。

 物事には加減があって少な過ぎてもダメで多過ぎてもダメな気もしないではない。行き過ぎた人の好さは反って人を傷つける事にもなりかねない事は言うまでもない。然るにそれは人が悪いという解釈さえ出来ると言っても過言ではない。

 似ているようで似ていない、似ていないようで似ている。そんな二人の間柄を慮るのは至難の業であるとも言えよう。少々酔いが回って来た二人はまるで幼い子供に戻ったかのように明るく朗らかな表情を浮かべ合い、快くも微笑ましい姿を現すのだった。

 

 

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 窓際の席に着いていた二人は窓外に目を向ける事が多々あった。都会の只中にあって駅前の忙しい雰囲気には大した情景も無い訳なのだが、目に映る人々から感じる事は何故そんなに急いで行動するのかという事と何処となく切なく見える所だった。

 英昭は目線を上に移し遠く空を眺めた。鴈(がん)か鴎か、はっきりとは分からないが数羽の鳥達が遙か彼方に消え去って行く姿が見える。

 人間関係に対して動物関係とでも言おうか。この鳥達の間にも色んな思惑があるのだろうか、ましあるとすればどんな思惑なのだ。真実は分からないまでもその飛び行く姿はあくまでも美しく一切の心の翳を見せない。些か短絡的ではあるが、そういう意味ではやはり動物や植物の方が人間などよりは精神面では遙かに勝っているようにも思える。無論一概には言えないまでも総体的に見ても決して間違った考え方ではないような気もする。

 それに対して少なくともあらゆる感覚、機能が発達しているにも関わらずそれを十分に発揮する事が出来ない人間とは何とも愚かな生き物ではあるまいか。

 天には天の、地には地の悩みがあるとも言うがどう考えても人間は愚かで滑稽に見えて仕方ない。それを感じる英昭こそがその典型例であったのかもしれない。彼はこの期に及んでも昨日の負け分を取り戻す事に執着していたのだった。さゆりとの出会いに喜びながらも。

「で、これから何処に行くの?」

 さゆりはまた同じ質問をして来た。その真意は当然英昭にも理解出来ていた。それでも尚言葉を繕う彼はどうしようもない愚者である。

「だから家に帰るんだって」

「ふ~ん、今ちょうど7時よ、まだ少し早いんじゃない?」

「いや、母は待ってくれてるからな、心配掛けたらダメだろ?」

「貴方本当に私が好きなの?」

「何だよ今更?」

「答えてよ!」

「好きに決まってんじゃん」

「それなら今日はとことん付き合ってくれないかしら?」

「今も一緒に飲んでるじゃんか、まだ何処かに行くのか?」

「それでもいいよ、貴方に任せるけど、取り合えず私に付き合ってくれない?」

 英昭は大いに迷った。いっそこのままホテルに行くのも一つの手ではある。でもどうしても負けを取返したい。俺は一体どうすればいいのだ。逡巡している内にさゆりは次の言葉を浴びせて来る。

「貴方と行った競馬場の事覚えてる?」

「勿論さ」

「あの時の詳細まで?」

 返事が出来ない。さゆりが言わんとしている事は十二分に分かるのだが、それでも自分の中に芽生えてしまった邪な想いはどうする事も出来ない。無論さゆりを蔑ろにするつもりなど全く無い。どちらかを取らねばならない。正に究極の選択だ。

 そうこうしている間にも時は刻々と進んで行く。英昭は痺れを切らして口を切った。

「悪い、やっぱり家に帰るよ、もういい時間だしな、今日は俺が出すから」

「そうね」

 さゆりはその一言だけを言い置いて先に店を出て行く。英昭が勘定を済ませて外に出た時、既にさゆりの姿は無かった。愛想を尽かされたのか、これで絶縁なのか、全てが終わってしまったのか。些か大袈裟な言い方だが満更間違ってもいないだろう。

 英昭はさゆりの面影を胸に秘めたまま勝負に挑む。客観的に見るとまず負けるのは明らかである。それでも足がそっちに進む。

 精神と肉体が分離してしまったのだろうか。もはや今の英昭には鳥達の美しい姿でさえも目に映らなかったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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