人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  二十二話

 

 

 英昭が社会人になってから早や3年という歳月が経った。22歳になった今その生活は更に荒み、劣化の一途を辿っているように見える。もはや彼はまともな人生を歩む気すら無くしてしまったのだろうか。勤務態度も悪化し無断欠勤する日も多い。始めの内は母に対して繕っていた嘘でさえも今では全くつかなくなり、堂々とギャンブルに興じるその様は実に救い難い完全な依存症の姿であった。

 ギャンブルの収支がプラスならまだしも明らかに大幅なマイナスである。それどころか消費者金融からも数百万円という借金をしており、そのうえ母からも無心をするような自堕落な日々が続いていた。

 女手一つで育ててくれた母に対し親孝行をしたいという気持ちまで失ってしまったのだろうか。それだけは流石に持ち続けていた筈だ。でもしている事は明らかに親不孝そのものである。この矛盾を断ち切る事は至難の業であった。

 7月中旬、夏の始まりほど強く暑さを感じるこの時期、うるさい蝉の鳴き声と額に流れる汗は鬱陶しい限りだった。夏の何が良いのだ、それを喜ぶのは幼い子供だけではないのか。もうじき夏休みを迎えるであろう子供達の快活な姿は羨ましい反面、憎らしくさえ思える。

 英昭がこんあ歪んだ感情を抱くのも当然ギャンブルに嵌っている影響であって決して本意では無かったに違いない。目に映るあらゆるものが鬱陶しくて仕方ない。

 それは職場でも同じ事で先輩どころか同僚達と話をする事すら気が進まない。その最たるは久幸であった。元はと言えばこの者の甘い誘いから全ては始まったのだ。こいつさえいなければ俺はここまで酷くはならなかったのだ。たとえ逆恨みであろうともそう思わずにはいられない。そうすると英昭と仲良く話が出来るのは一人もいない。英昭は職場でも完全に四面楚歌に陥っていたのだった。

 仕事が全く手に付かない英昭はこの日、体調不良を理由に昼に早退した。澤田さんとの一件以来パチンコを止めていた彼が嵌っていたギャンブルは専らボートレースと競馬であった。

 会社を出てから電車に乗り約30分掛けて行き着く競艇場。駅で降りてそこに近づくに連れ聞こえて来る烈しくも大きいボートのエンジン音。競走馬の迫力のある轟音とは違ってボートのエンジン音など普通の人には騒音でしかないのだが、好きな者には射幸心をそそる愉快な音にさえ聞こえる。

 やはり依存症患者には理性が働いていないのか。その音に誘(いざな)われるかのように、亦磁石でも付いているかのように引き寄せられる英昭。そうして赴いたその場は正に堕落した者達が集まる博打場っであった。

 競馬場とは違い競艇場の客達は実に品性が無い。烈しい罵声を浴びせる客の声はまるで選手を射殺してしまうような勢いさえ感じさせる。

「行けゴラー! 何してんだゴラー!」

 声援ではなく罵倒。その声はエンジン音で搔き消されているとはいえ選手の耳にも届いているであろう。

 そんな中、英昭は次の第10レースの予想を始め出した。この日は単なるパン戦(一般戦)だったのだが、10レースともなるとそこそこのメンバーが揃っている。特にイン(1枠、1コース)のA級レーサーは記念、SGにも出ている一線級の選手でまず逃げる事確率は高いだろう。そうなればヒモ(2、3着)の予想に力が入る訳なのだが、1の頭からでは誰をヒモに付けてもオッズは低い。

 となれば流し買いをしていては投資が嵩む。英昭は1-3-4という舟券を一点買いした。現時点のオッズは約6.5倍。それを2万円で一点勝負する。もし的中すれば13万円の配当を手にする事が出来る。締め切り5分前に舟券を購入した英昭はそれをポケットの中で握り絞めながらレース中継が映されるモニターの前に突っ立っていた。

 彼が外でレースを見ないのには一応の理由があった。外で現物を見た場合は確かに臨場感があって面白いのだが、いくら大型スクリーンがあるとはいえこの広いレース場を端から端まで肉眼で見通す事は難しい。競馬場同様双眼鏡などを使って観戦している人もいるが、モニターで見た方が分かり易い事は言うまでもない。

 パン戦ならではの貧相なファンファーレが鳴り響きレースが始まる。進入は枠なり3対3の展示通りで風向き風量共に至って静水面である。こうなればスタートさえ決めればまず1が逃げ切る事は確実だろう。思わず目に力が入る英昭。心の中で彼は燃えるような闘志を抱き続けていたのだった。

 スタートはほぼ同体でインからあっさり逃げた1の選手。1周バックストレッチでは3コースから握って行った選手が2を沈めて4と競っている。裏を返していれば1-3-4、1-4-3のどちらでも良いのだが一点勝負していた彼には1-3-4で入ってくれないと困る。

 2着3着の競り合いは最後まで続きゴールした後も着順は写真判定に持ち込まれた。恐らくは3の2着で1-3-4になった筈だ。目を瞑ってそれを祈る英昭。

 約1分半の長い時間の後やとこさ結果が報じられる。

「只今の結果は1着1番、2着3番、3着4番、以上で御座います」

「よっしゃ!」

 英昭は思わず声を出してしまった。確定した配当は締め切り前と同じ650円。払い戻し機で13万円を手にする英昭の表情は明るかった。

 

 

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 午後4時にパートの仕事を終えた母は何時ものように家事に精を出し掃除や洗濯、炊事をしていた。干してあった息子の衣服を畳んでいる時、母は切ない表情を泛べながら独り呟く。

「あの子何時からこんなになってしまったのかしら、昔はギャンブルをしながらでも親思いのいい子だったのに、私の育て方が悪かったのかしら.......」

 確かに英昭は子供の頃も普通の子でギャンブル依存を除いてはこれといった欠点は無い実に親思いの子供だった。だがそのギャンブルこそが悪の元凶でもある。それならいっそもっとやんちゃな子供であっても良いぐらいだと開き直る母の気持ちも分からないでもない。

 一概には言えないが多感な思春期に反抗期というものの存在を肯定するならば、それを経験する事に依って人は成長して行くのだろうか。聡明な人にはそれすら必要性の無い馬鹿げたものになるのかもしれないが、経験に依って成長して行く人間の性質を否定する事は出来ないだろう。

 英昭は幼少の頃から母に反抗した事が殆ど無かった。これが災いしたのだろうか。今となっては悔いても及ばない事なのだが、だからといって無理に反抗する事も愚かな行為に思える。

 何れにしても英昭が今親不孝をしている事は自明の事実である。母を悲しませても辞める事が出来ないギャンブル。他人まで巻沿いにしてしまうギャンブル。そこに嵌る人の気持ちはとっくに麻痺していて理性を失っている。とすれば自浄作用など働く筈も無い。責任転嫁する訳ではないがこういう人を狂わせるようなものを作り出した方が悪いのではないかと考えてしまう母の想いは間違っているのだろうか。それを法的、数学的に捌く事は出来ても心理的に捌く、癒やす事は出来ないような気もしないではない。

 

 英昭は10、11、12の3レースを全て的中させて数十万円という大金を儲けていた。それでもまだまだ借金を完済させるには程遠いのだが一息つくのには十分な金額だった。

 夕方になり恰も仕事帰りのような様子で家の玄関を開ける英昭。

「ただいま~」

「おかえり」

 元気がないまでも返事をしてくれる母の存在は有難い。何時ものように部屋に上がり財布の中身を改め、独りほくそ笑みながらも物思いに耽るその姿には自分でも矛盾を感じる。夕食までの間に酒を飲み気持ちを和らがせる。稚拙で滑稽な話なのだが、もはや今の彼にはそうする事でしか気を落ち着かせる術が無かったのだった。

 しかしその酒は気を大きくさせる作用もある。英昭は儲けた金を眺めながら更なる野望を胸に秘めて行くのだった。

 そして夕食の時刻が来る。テーブルを囲んでいる二人に言葉は少なかった。母は英昭に気を遣いながら口を切った。

「あんた、何時になったらギャンブル辞めるのよ、もう飽きたんじゃないの?」

 即答しなかった英昭は黙々と食事をして、食べ終えてから口を開く。

「これ、渡しとくよ」

 怪訝そうな面持ちでその金に目を向ける母。

「何よそれ?」

「ギャンブル貯金だよ、30万ある、これで母さんへの借金はチャラだろ? 自分のもこの調子で返して行くさ」

「要らないわよそんな金!」

「何でだよ、金は金だろ?」

「要らないものは要らない」

 母の語気の強い言いっぷりに多少なりとも物怖じした英昭は無言のままその金を引っ込め、部屋に戻る。

 金だけで母を安心させるつもりなど無かった。ただ返したかっただけだ。それでも頑なに拒んだ母の気持ちは今の彼には理解出来ない。ならばもっと大くの金を渡せば良いのか。それも履違えた思慮である事は言うまでもない。だが勢い着いた英昭はその歪んだ道を選ぼうとしていた。

日が沈みかけていたこの時刻でさえも鳴き続ける蝉の姿は、曲がりなりにも英昭の想いを後押しするような勢いを漂わす。それを真に受け次なる勝負へと挑む英昭。

 騎虎之勢(きこのいきおい)とでも言おうか。一旦火が着いてしまえば誰にもとめられない勢いは是非はともかくエスカレートして行く一方だ。

 蝉は尚も勇ましい声を上げながら必死に、全力で鳴き続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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