人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

お題 記憶に残るあの日  ~情けない話

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

 

 

       あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら

              僕らはいつまでも 見知らぬ二人のまま ♪ 

 

 って当たり前やろ!って話なのですが、そんなツッコミを入れてはいけません(笑)

 残念ながらそんな劇的でドラマチックな恋愛などとは無縁だった自分としては、またまた他愛もない単なる思い出話になってしまうのですけど、それでも一応お題に準ずる事にはなるのかなという事で宜しくお願い致します^^

 

無免許で長距離を流した思い出

 高校生時分の話です。その日昼に授業を終えた自分は小学生からの付き合いだった他校生の友人と二人でペチった(パクった、盗んだ)単車にニケツ(二人乗り)で地元神戸から姫路までの長距離ツーリングに臨みました。

 ま、距離的には約50kmなので中距離になるのですが、まだ高校生だった自分達には十分長距離に感じましたね。始めから姫路に行く事が目的だった訳ではなく、行ける所まで行こうみたいなノリで、言わば逃避行みたいな感じでとにかく西へ西へと向かっていました。

 自分は終始後ろに乗っていたのですが流石にケツは痛いです。途中で運転代わろうともしましたが代わった所で痛い事には違いありません。そのまま後ろに跨ったままで明石、加古川高砂と進んで行き、やがて姫路に辿り着きます。

 時刻は午後4時ぐらいでしたか、そこで取り合えず単車から降りて休憩します。場所は姫路城の真ん前の公園です。

 眼前に聳える大きな姫路城は正にシラサギが羽を広げたような優美な姿を現す白鷺城でした。その美しくも雄大で厳かな佇まいは人々の心を魅了し、素晴らしい日本の歴史を感じさせてくれます。

 少々疲れていた自分達は城に赴く事はなくそのまま公園で煙草を吸いながら休憩いたのですが、姫路といえばヤンキーのメッカでもあり辺りをよく見渡すと周りはヤンキーだらけでした(笑)

 そこへ余所者である神戸ナンバーの単車に乗って来た自分達が居る事は不自然な光景だったと思います。危機感を抱き踵を返すように颯爽と単車に跨りその場を立ち去る二人。別に絡まれた訳でもないのにそれぐらいの事で焦るのも実に情けない話なのですが、そこから遠ざかった後、安心したのも事実ですね 😰

 そうしてとんぼ返りするように神戸へ引き返す事になります。でも片道50km往復100kmの中で警察には捕まるどころか危ないと思ったシーンは奇跡的に一度もありませんでした。唯一あったのは姫路でヤンキー達から絡まれそうになった事ぐらいです。

 夕焼けに染まる景色の中、単車を走らせる二人の心にはまるでこの逃避行が幻であったかのような虚無感、憂愁感、そして何故か16年の人生が走馬灯のように蘇って来るような感覚を覚えました。

 今の暴走族にもこれぐらいの距離を流して欲しいとも思いますね(笑)

 ま、淡い、儚い思い出ですかね^^

 

海に飛び込んで仕事をバックレた思い出

 これも或る意味情けない話です。自分は今まで数えきれないぐらいの仕事を経験して来ました。それは直ぐに辞めてしまうといった堪え性の無い性格が災いした事は言うまでもありません。

 新卒で就職した大手ゼネコンは僅か1ヶ月で辞めました。理由は酒の付き合いが嫌だったからです。これは今でも嫌いですね。酒自体は好きなのですが付き合いとなれば話は別で、自分はとにかく団体行動が出来ない体質なのです。そんな話はどうでも良いですね^^

 そこでまだ若かりし頃、警戒船の乗務員という仕事に就いていた時期がありました。警戒船業務というのは言うなれば海上の警備員といった感じです。港湾関係の工事現場ではこの警戒船が必要であり、2、300m沖に出た(もっとかな?)船は一日中そこで警備活動に従事します。

 朝は普通に朝礼に出てラジオ体操もします。その後沖へ出て行き碇を下ろして仕事が始まる訳なのですが、警備といってもその業務内容ははっきり言って何もありません。ただ一日中ボケーっとしているだけです。丘の上の警備なら交通誘導等の業務が忙しいと思いますが、海上ではそんな事もなくただ目視で警備しているだけです。

 当然不審船などが発見された場合は現場の監督や海上保安庁などに報告し対処するのでしょうけど、そんな事件事故は滅多に無いと言っていました。自分がしていた時も一度もありませんでした。

 となると益々やる事は無くなって来ます。暇で仕方ないのです。一言に暇といっても決して楽ではありません。暇をする事を楽をする事はあくまでも別物です。時間を持て余していた自分に船長は何時も言ってくれました。

「どうせする事ないから、昼寝でもしてたらいいで~、でも魚釣りは禁止やから」

 と。気さくで人の好い年配の船長でしたね。自分はその言葉を額面通りに受け取り昼寝ばかりしていました。でも何時間も昼寝が出来る筈もありません。昼寝をしては起きて煙草を一服しながら船長と他愛もない話をしてまた昼寝と。その繰り返しです。

 何時になっても夕方になりません。時間が長く感じて仕方なかったです。そんな日々が2週間ほど続きました。

 そして会社から連絡があって

「お疲れさん、よく頑張ってるみたいだね、来週からは船舶の免許を取りに行かせてあげるから、それからは船長として一人で仕事して貰うよ」

 いくら暇でやりがいが感じられないとはいえ船長になれるのは嬉しかったです。しかしその喜びも長くは続きませんでした。日曜の夕方にまた連絡があって

「悪いね~、実はちょっとした手違いがあって月曜日もう一日だけ仕事行って欲しいんだよ、今までとは違う船長の船で、その船長はちょっと変わった人だけど気にしないでね頑張ってね」

 神経質な自分はその言葉だけで嫌な予感がしました。朝神戸港に行くと見るからに変な感じのおっさんが船の上で支度をしていました。

「おはようございます、宜しくお願いします」

 と挨拶をしても何も言ってくれません。取り合えず船に乗り込み大した会話もしないままに出航します。そして何時ものように現場で朝礼をして沖に出ます。

 ここからが暇地獄な訳なのですが、自分は変わりなく昼寝に専念していました。始めのうちは何も言わなかった船長でしたが、自分のような者が気にいらなかったのか、何かぶつぶつ文句ばかり口にしていました。確かに昼寝ばかりする事はダメです。でも起きた所で何もする事はありません。自分も一日中昼寝をしていた訳でもありません。

 昼前ぐらいになって船長が怒り出します。

「お前は昼寝しに来たんか!? 使いもんになれへんのー!」

 飛び起きた自分は取り合えず謝りました。

「すいませんでした」

 すると船長は意味不明な事を言い出します。

「水ぶっかけ!」

 訳が分かりませんでした。水をぶっかける? 昼寝ばかりしていた自分自信に水をかけて目を覚ませという事なのか? 考えていると船長は更に怒って

「言うても動かんやっちゃのー!」

 と言ってバケツで海水を汲み上げそれを船べりにぶっかけました。そういう事か!? と思いました。

 始めに乗っていた船はタグボートだったのですがその船は小さな漁船で木製だったのです。8月の猛暑に乾燥し切った木で作られたデッキには水を掛けて締める必要があるのです。

「自分がします」

「お前は一生昼寝しとけやゴラ!」

 余りの言い方にムカついた自分は言い返しました。

「おっさん何怒っとんねんゴラ、俺がやる言うとうやろ」

「何やその態度は?」

「じゃがましいわゴラ、前の船長は昼寝してええ言うとったんやー言うねん、そやからちょっと昼寝しとっただけやんがいや、これからはせーへんからそれでええやろ」

「喧嘩売っとんかわれダボよ!」

 そんなやり取りが続いたのですが、流石に手を出す気にはなれません。人生の大先輩であるとはいえ一言言いたかっただけです。でもそれからは二人とも益々険悪な状況に陥ってしまい、短気だった自分も完全にヤル気が失せてしまいます。

「もう辞めや、こんなもんアホらしくてやっとれるかいや」

 と言い置いて自分は海に飛び込み泳いで帰りました。カッコつける訳でもないのですが、ケツ割って帰るのにまさか岸まで送れと言えるほどのふてこさ(ふてこい=ふてぶてしい=図太いの上位互換ワード)は持ち合わせていません。

 一応水泳部出身だったので泳ぐ事には自信はあったのですが、如何せん海とぷプールでは訳が違います。大阪湾は大した波は無いまでも海の水圧は馬鹿に出来ません。それに上下作業服を着ていた所為もあり思うように進まないのです。溺れてしまうのか!? 焦りましたが途中でブイにしがみ付き休憩しもって何とか岸まで泳ぎ切る事が出来ました。夏だった事が幸いでしたね。

 今ならそのまま溺れ死んでもいいかなとも思いますが、その頃はまだ死にたくなかたたというのが本音ですね。

 そうして何とか家に帰る事が出来たのですけど、当然仕事はそれで辞めです。もうヤル気は出ません。その後会社の部長から書き留めで給料が送られて来ました。そこには一通の手紙も入っていました。

「君もこれから社会人として生きて行く訳だから、もうちょっとでも拘りを捨てた方がいいと思います」

 と。これを読んで自分は感謝し感銘しましたが、要するにバカになる必要性があると言いたかったのでしょうね。それは十分理解出来るのですが、はっきり言って現代人はバカに成り過ぎている感じもします。自分のような何の実力もない者が言うのもおかしいですが、寧ろもっと自愛の精神を持つべきではないかと、矜持を持てと言いたいぐらいです。一寸の虫にも五分の魂なのです。

 ま、硬い話はいいとして。何れにしても情けない話です。今だから笑えますが、二十数年前の当時には笑えませんでした。これも昔の思い出ですかね、懐かしいぐらいです。夏になると思い出す事でもあります。

 

 という事で(どういう事やねん!?)以上、今週のお題、記憶に残っているあの日、に一応は準じた情けない話でした。

 小説の方も是非とも宜しくお願い致します 😉