人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  二十八話

 

 

 酒に十の徳ありと言うが今の二人には幾つの効果が齎されたであろう。気分的には愉快である事は言うまでもないのだが、別に悩みが一掃された訳でもない。無論そこまで高望みする訳でもないのだが、愉快に微笑みながら談笑する表情の中にも何処か翳を感じてしまうのは思慮深い二人に共通した欠点でもあった。

 それを察してか料理を運んでくれたおかみさんは明るい面持ながらも少し意味深な事を口にする。

「はい出来ましたよ、貴方達、今日ぐらいは硬い話は止めて大いに寛いで行って下さいましね、お酒はいくらでもありますから」 

 今日ぐらいとはどういう意味なのだろうか。英昭は初めて来た店なのに恰もその性格を見透かしたような言い方には蟠りを覚える。言葉のあやなのか、いや、そうは感じなかった。とすればさゆりが既に何か言っていたのだろうか。何れにしても女の感性は侮れない。それはさゆりと母を見ていればよく分かる事だった。

 それにしても見事な料理だ。旬の魚に色とりどりの山海の幸。その鮮やかな組み合わせは旨さを超えた芸術的なハーモニーを漂わせる。まるで高級料亭のような手を付けるのさえ憚られるような料理に恐る恐る箸をつけだす英昭。この瞬間だけでも彼は人生に於ける一切の不安を払拭出来たのかもしれない。芸術が人の心に与える力も侮るべからざる事象であった。

 思慮深い二人に違いがあるとすればやはり素行であった。さゆりの椅子に坐る姿勢の良さ、箸の使い方、噛み方、話し方、どれを取っても英昭は負けていたのだ。それは男女の性質の違いは言うに及ばず、亦単に行儀が良いというよりは寧ろさゆり自身が生まれながらに持ち合わせた品性が大きく影響していたように見える。

 それをさゆりのような聡明な女性が人生経験を積んで行く上で更に磨きをかけて来たとなれば尚更美しく見えるのは当然だろう。少し動揺した英昭は明日葉の天ぷらを箸から滑らせテーブルの上に落としてしまった。その時さゆりがクスっと笑う声が聴こえる。英昭は思わず照れ笑いして場を繕ったが顔が赤くなっていた事は自分でも分かる。

「何してんの? 相変わらず不器用なのね、心身共に」

 最後の言葉は明らかに余計だったのだが、図星を突かれた英昭はそれを恥じるようにして今度は見事に箸で掴み取り口へと運ぶ。その様を見届けたさゆりは安心していたが、後ろから拍手の音が聞こえて来た。

「流石ね、貴方達を見てるとまるで恋人同士のお見合いのような感じがするわ、微笑ましい限りよ、お陰で私も心が和んで来るけどね」

 おかみさんの言こそ二人を和ませるに十分な力があった。メルヘンチックとは言わないまでも確かに二人の間には何処か幼い、童のような可憐さは感じられた。それに反抗する訳でもないが英昭が些かなりとも行儀の良さを心掛けていたのは言うまでもない。

 彼が手にした酒の徳は自身の素行を正すという、有形の憂いを排除出来た事かもしれない。だが無形の憂いは今も尚二人の間に確固たる姿を根強く表していたのだった。

 

 

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 外から聴こえて来るのは鈴虫の鳴き声だろうか。読んで字の如く鈴虫の鳴き声にはそれだけで辺りを涼やかにさせる力が感じられる。それに共鳴するように夜の街に静かに流れる優しい風。

 もはや完全に汗が引いた英昭は酒の勢いもあってかさゆりとおかみさんの二人を相手に互角の勝負を演じていたのだった。大いに笑い、大いに食べて飲む三者の様子は傍から見ていても羨むほどの仲の良さを漂わせる。

 どちらかと言えば口数の少なかった二人に対しておかみさんの存在は精妙に功を奏する。何か一言発すればそれに対して僅かながらもボキャを投げ掛けてくれる。おかみさんは料理だけでなく口も巧かったのだった。

 だが真に料理に勤しんでいたのは店主であるおかみさんの御亭主だった。彼は未だ何一つ言葉を発していない。職人気質だと言えばそれまでなのだが、ここまで頑なに口を閉ざしている彼の思惑は何を訴えるのだろうか。

 それを憂慮した英昭は謙虚ながらも正直な言葉を口にする。

「親っさん、美味しかったです、本当に有り難う御座います」

 親っさんは軽く笑みを浮かべて

「倖せになりなよ」

 という一言だけを謳い、渋い表情でまた料理に勤しむ。顔を戻した英昭はさゆりと目を合わせ無言でアイコンタクトを執る。

 そしてさゆりが次に発した言葉は場を刺激した。

「ところで貴方仕事は巧く行ってるの?」

「あぁ一応わな」

 少し俯いたさゆりの表情には美しい翳が感じられる。それは彼女が持ち合わせた前向きな想いに起因する決して暗くはない内心を露呈しているように思える。

 さゆりは徐に顔を上げて言葉を続ける。

「実は私、行き詰ってるのよ」

「何でだよ?」

「一言で言うと人間関係かな」

「君みたいな賢い女(ひと)が何故?」

「バイトの先輩に言われた事はもっと馬鹿になれという事で、大学の同級生から言われた事は可愛らしさが無いという事なの」

 それを訊いた英昭の心は一気に激高し険しい表情を表す。

「誰だよそんな事言うのは? 俺がカマシ上げてやるよ」

「そんな事はいいのよ、ただ私はどうすればいいのかと、ふと思ってね」 

 テーブルの下で拳を強く握り締める英昭を宥めるようにして答えるさゆり。でもさゆりにも烈しい気持ちが巣喰っていた事は言うまでもない。それでも英昭のように露骨に表情に表さに彼女はやはり聡明である。でもそれを敢えて口にした彼女の想いは何処から来たのだろうか。男に縋るような女っでもないさゆりの真意は何処にあるのか。

 それを探るべく言葉を続ける英昭の思慮は果たしてさゆりのそれに適うのだろうか。でも訊いたからには何か突破口を見出してあげたいという人情はそれこそ自然の理ではあるまいか。決して語気を強めずに優しく語り掛ける英昭の表情もまた純粋な心持が成せる業であった。

「俺みたいな馬鹿には気の利いたアドバイスは出来ないけど、取り合えず正直に生きて行くに越した事はないと思うけどな、たとえそれが相手を傷つけるような結果になったとしても後悔するには及ばないと思うよ」

 確かに何のアドバイスにもなってない。だが不器用な人間が現す言葉は実に語彙が無く馬鹿正直ながらも時としては人心を揺さぶるに十分な効果を発揮出来るようにも思える。言葉ではなく想い、考察ではなく感情、知性ではなく感性。

 人間生命に根付く二元論は相反する想いを戦わせたいだけなのか。そんな淋しい話もない訳だが、その対極する二つの事象が齎す成果も馬鹿には出来ない。だからこそ似ているようで似ていないこの二人は今まで付き合って来れたのではなかろうか。

 意図せずとも時として空気が入ってしまう人間関係は確かに如何ともし難い厄介な現実ではある。今の二人にはそれを超えて行く力があったのだろうか。未だ手にしていないその力。それはこの先の人生を歩んで行くだけで育まれて行く事象なのだろうか。

 それを慮ったおかみさんが満を持して口を開く。

「これに関しては英昭君に一分の理があるわね、深く考える必要はないわ、貴女らしい正直な行動をしてればいいだけの話よ」

 このおかみさんの言にも大した語彙が無いまでも信憑性は感じられた。

 人間生命に執着する業と念。それこそ二元論なのだが、それをも超越したいという想いはあくまでも己惚れた、稚拙な感情に依るものなのだろうか。

 鈴虫の鳴き声は依然として辺り一帯を涼しくも切なく、憂愁感を漂わせながら優しく鳴り響くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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