人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  三十一話

 

 

 病室に入ったさゆりが目にした光景は御労しくも嘆かわしい、同情を禁じ得ない実に不憫な英昭の母の姿だった。

 既に眠っているであろう彼女の手をそっと握り瞑想するさゆり。すると彼女は徐に目を開けてか細い声で語り掛けて来る。

「さゆりちゃん、来てくれたのね、ありがとう」

 潤んだ瞳を隠す事が出来ない彼女は素直な想いを告げるべく必死に言葉を続けようとするのだが、その容態を案じるさゆりは優しく毛布を掛けてやり安静にしておくよう献言する。だがそれでも尚発言を試みる彼女をさゆりは静止する事が出来ない。

「どうしても訊いて欲しい事があるのよ」

「はい」

「英昭は警察に捕まったのよ、暇田川署よ、悪い事をしてしまったのよ」

 この一言に依ってさゆりは戦慄するのだが、要らぬ心配を掛けたくないという健気な想いはそれを封じて自らを律する。その瞬間英昭の母は少し安心したような表情を浮かべたのだった。

「まだ何をしたのかまでは詳しく分からないけど強盗みたい、だからもう貴女のような聡明な女性にはこれ以上あの子の事など心配せずに自分の道を歩んで欲しいのよ、本当にごめんなさいね、これが母親である私が出来る精一杯のお詫びなの」

 その事はさゆりを深く逡巡させたが、即答は出来ないまでも明るい表情で前向きな言葉を投げ掛ける。

「お母さん、そう落ち込まないで下さい、私は今でも英昭君の事が好きです、一度面会にでも行ってじっくり話をして来ます、決して焦らないで下さい、御体に障ります」

 それは単なる優しさでは無かった。さゆりの態度は終始毅然としていて冷静沈着な雰囲気を漂わす。だが情を感じない訳でもない。如何に聡明なさゆりとはいえその内心を完全に誤魔化す事など出来よう筈もなく、それを見通す事が出来るのも一応は人生の先輩である英昭の母御の人生経験に依る所が大きい。

 亀の甲より年の功とは言ったもので、それを過信する訳でもないが僅かながらもさゆりの内心を確かめられた彼女は更に表情を緩ませ泣き崩れるのだった。

「お大事にして下さい、ではまた来ます、失礼します」 

「ありがとう.......」

 挨拶をして立ち去るさゆりは部屋を出た瞬間に溢れ出て来る涙を抑えられなかった。人の感情を理で考察するのも実に滑稽で厭らしい話なのだが、この時のさゆりの心情を慮る上で考慮したい事といえばやはり真意であろう。

 真意とはつまり真実を表す言葉でもあると思えるのだが、夢も現もこの世に現存するもの全ては幻だという仏教の教義には果たして何処までの信憑性があるのだろうか。

 釈迦を始めとするあらゆる宗派の開祖達はそれを体現した上で悟りを開いていたのだろうか。詳細までは分からないまでもそれに縋ったり抗ったりする思いも所詮は人の念から生ずるものであって、それをも統べるような力があるとも思えない。かといって先人達の教えを無下にする訳でもない。

 何れにしても涙を流しながらもあくまでも毅然とした態度を崩さないさゆりの存在は英昭の母御にとっても実に頼もしい限りであったのだった。

 

 

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 連日行われる執拗な尋問は英昭を少しづつでも疲弊させて行く。嘘偽りなくありのままを謳い続ける英昭ではあったが、素直に罪を認めたからといって優しく扱ってくれる警察でもない。彼等のサディスティックとも思える立ち振る舞いは単に罪人に対する厳しい叱咤の域を超え、虐めのような感じに取れなくもない。しかし何ら抗う術を知らない英昭はただ素直に答える事に依ってのみ己が心持を表すだけであった。

 現場検証に尋問に聴取、段階を踏む上で英昭が感じる事は、警察官にさえも見受けられる滑稽とも言える人間関係に対する憂いだった。

「お前何でこんな事したんだ! おーゴラ!」

 烈しく語気を強めて怒号する刑事もいれば、それを宥めるように優しい言葉を投げ掛ける者もいる。そんな中で彼等同士の会話からはそれこそ理解し難い言葉が続く。

「長谷さんも相変わらず厳しいね~、昨日奥さんと何かあったのかい?」 

「そういうあんたもこの前奥さんに責められていたらしいじゃねーか、また浮気でもしてたのか?」 

「何言ってんだよ、俺みたいな愛妻家はいねーよ」

 これは談笑なのか本気なのか。居酒屋トークのような会話を続ける刑事達の姿は英昭を憤らせるに十分であり、自分の事よりもそれを咎めたい想いに駆られて貧乏ゆすりを始めてしまう稚拙な態度。それを察したのか刑事の一人がこう言って来た。

「お前何苛立ってんだ? 罪人のくせに」

「別に苛立ってなんかないですけど」

「その言い方が不遜なんだよ、いいか、お前は馬鹿正直過ぎるんだよ、金欲しさにした事なんだろうが、それを実行してどーするんだよ、お前は小学生か? もっと後先を考えて行動出来ないのか? 大方今の俺達の会話にムカついたんだろうけど、これが世の中なんだよ、お前みたいな馬鹿正直な奴を見てる俺達の方が苛ついてんだよゴラ!」

 清濁併せて飲み込む度量とでも言おうか。確かに生きて行く上で馬鹿になる必要性は否定出来ない。しかしそれを法の番人ともいえる警察官が人前で憚る事なく見せる姿は実に半端軟派で男らしくない惰弱な人間の本音を現すものだった。

 罪は認めるがこんな刑事達から受ける尋問は正に拷問である。そう感じてしまう英昭は潔癖過ぎるのだろうか。

 正直過ぎる想いを潔癖とするならば、馬鹿になっている奴等は不潔なのか。哲学者でもなければ思想家でもない英昭にそれを捌く事は出来ない。だが正直に生きて行く事すら出来ない世の中であれば、そんな世の中は生きる価値すら無いようにも思える。

 別に全てを思うがままに生きて行きたい訳でもないのだが、そんな慎ましい想いでさえも否定するような刑事達の真意は何処にあるのだろうか。

 あくまでも罪人として英昭を扱う彼等の所作は一見当たり前のように見えて当たり前ではない。

 教師という生業は聖職とも呼ばれているのだが、警察官は聖職などとは程遠い存在である事は改めて感じられる。錯綜する想いは留まる事を知らない。次第にエスカレートした思慮に苛まれ始める英昭は思わず口を切った。

「貴方方は本当に警察なのですか?」

 一同はその言葉に驚愕し、更に厳しい罵声を浴びせ掛けて来た。

「何だとゴラ! お前いよいよ頭がおかしくなったのか? そんな態度でいるとろくな処罰を受けないぞ!」

「まぁまぁ長谷さん、そう頭ごなしに怒ったんでは可哀想ですよ、飴と鞭は巧い事使い分けないとダメですよ」

 完全に履違えている。これが飴と鞭とは片腹痛い。刑事とはここまで知性に劣るものなのか。高卒である英昭でも耐えがたい茶番劇。しかしそれは明らかに現存するものであって決して幻などでは無い。

 憂愁感漂う英昭の心情は秋を告げたこの時期に大好きな紅葉に共鳴するように儚い雰囲気を投げ掛けて来る。それを自然ではなく人の心に感じた英昭は更なる深い海溝に堕とされたような気がしていた。

 以心伝心。この事を憂慮するさゆりの心境も如何ばかりであっただろう。少なくとも英昭よりは聡明であったさゆりが胸に秘める想いとは。

 秋という気節は色んな意味で万物に黄昏を与えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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