人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

哂う疵跡  二話

 

 

 一将には弟が一人居た。まだ大学生である一弘もまた兄同様に西グループの業務に従事しており、兄弟揃ってがっちり二人三脚、西グループを背負って立つ者としてその将来を嘱望されていたのだった。

 一弘と部下の幸正は特に仲が良かった。皆同世代とはいえ年齢的には一番年上であった一将はグループの長としての風格もあり、彼に対しものを言う者は親以外には大していない。そこで一つ年下の幸正は更に一つ下の一弘を弟分のように可愛がり、一弘も彼の事を兄のように慕っていたのだった。

 この三者に共通する点があるとすれば人を蹴落とす事にだけは長けた稚拙にも思える負けん気の強さぐらいだろうか。特に幸正などは西グループの御曹司二人との親密な間柄を盾にして会社内でも少々傲慢な立ち振る舞いをしていた。

 無論その事では一将は言うに及ばず、彼の父である会長の西一彦からも何度となく厳しい叱責を受けていた。一度は馘にもなりかけたのだがそれを救ったのも一将だった。一将は別に幸正の事をそこまで好いていた訳でもなかったが、理屈抜きに共通する想いがあった事も否定は出来ない。

 そんな息子の様子を慮った父は何時も言っていた。

「あの幸正という男は危ない、あんな奴とは縁を切れ、それがお前の為でもありこの西グループの為でもある」

 一見悠長に構えているように見える父も人の上に立つ者としての眼力だけは未だ錆びていなかったのだろうか。一将とてこの父の言を軽んじるつもりなど無かったのだが、たかが部下の一人に翻弄されているような狭量では所詮一家の長になど成れない、敗軍の将は兵を語らずといった少し恰好をつけた矜持を持っていたのだった。

 だからこそ怒る所はしっかりと怒り、褒める所は褒めると飴と鞭を使い分ける事に依って幸正を律しているつもりではあったが、当の本人はそれすら読んでいたのか、呼ばれない限りはまず一将の前には姿を現さないという、それこそ狡猾な姿勢を保っていたのだった。

 この日、不動産部門にて少々面倒な事件が起きてしまった。担当の社員は会社に戻って来るなり息を切らして一将の部屋にやって来た。

「すいません! とうとう丸新興産に目を付けられてしまいました、あの土地さえ手に入れば会社も潤って来ると思い何とか落とす事が出来たのですが軽率でした、丸新がそこまであの土地を狙っていたとは存じ上げませんでしたので」

「そうかぁ、で、何か言われたのか?」

「せいぜい用心しておけよ」

 と、脅されました。

  丸新興産とは山誠会(さんせいかい)と共に日本を二分するアウトロー団体、海秦会(かいしんかい)の企業舎弟を勤める不動産会社であった。

 今回の競売には多くの業者が名乗りを上げていたのだが彼等がそこまであの土地に執着していた事は一将にさえ想定外だった。これは或る意味一将の手落ちでもある。だがいくら相手が極道とはいえ何も卑屈になる事などは無い。自分達はあくまでも合法的にその土地を手に入れただけの話なのだ。

 しかしそうシンプルに行かないのもこの世の常ではある。彼等の怒りを買ってしまったのならいっそ売ってしまうか。それも実に消極的で滑稽な話でもある。

 一将は迷った。何故ここに来てそんな面倒な奴等を敵に回さなければいけないのか。ただでさえ経営が危ういというこの時期に。

「もういい、何とか考えてみるよ、退がりなさい」 

「はい、分かりました、失礼します」

 担当の部下は丁重な姿勢ながらも悲壮感漂う表情を泛べながら立ち去った。するとまるでバトンタッチでもしたかのように呼んでもいない幸正が入って来る。

「失礼します」

「何だお前は? 呼んでないぞ」

「申し訳ありません、事務所の方であの者の姿を目にしたものですから、何かあったみたいですね?」

 やはりこの男は捨て置けない人物である。いくら気に掛かったとはいえ呼ばれてもいないのに部屋に来る事などこれが初めてだ。それも一将が迷っている事を見透かしたかように。

 獅子身中の虫とはこのような者の事を指すのだろうか。今になって父の忠告を思い出す一将であった。

 

   

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 母沙也加の派手な生活は常に現在進行形であった。ダイヤモンドにルビー、アメジストにエメラルド。何カラットにも及ぶ色鮮やかな宝石をちりばめた指輪を手にはめ、パールのネックレスに白金のブレスレットとヴェルサーチのワンピースを身に纏ったその姿は何処から見ても庶民には見えない。彼女は二人の女中を連れて或るデパートに買い物に来ていた。

 デパートの店主達は彼女が通路を歩いているだけで愛想の良い声を掛けて来る。

「あら奥様、今日は自らお買い物ですか、新商品が入りましたのよ、是非ともご覧あそばして下さいまし」

「そうなの、じゃあちょっとだけ見ていってもいいわね」

 その店には幾つもの高級ブランドバッグが並べ立てられており、店員達の容姿も如何にも時代の最先端を走っていると言わんばかりの気取った風采である。その様子が少々鼻に付きはするものの、沙也加は始めからこの店に来るつもりでいたのだった。

「これはこの前入荷したばかりのルイヴィトンですのよ、奥様にはピッタリですわ」

 女中達は恍惚とした表情でそれを眺めている。そんな彼女達の様子を察したのか沙也加は思いもしない甘言を口にする。

「あら、お前達も欲しいのかい? ま、何時も世話になっている事だし、今日は一つづつ買ってあげますか」

「本当ですか奥様!? 私は別にそういうつもりなどはありませんですけど」

「何言ってるのよ、そういうつもりがあった事など馬鹿でも分かるわよ」

 女中達は少し恥ずかしがりながらも余りの嬉しさに顔を綻ばせて内心ではやったとガッツポーズをしていたのだった。

 実はこれ自体が沙也加の目論見でもあった。買い物などは自分のデパートでいくらでも出来る。高級ブランド品もいくらでもある。それなのにわざわざ他所の店に来る真の狙いは己がグループの好況をライバル店にひけらかしたいといった浅はかな想いから生ずるものだった。

 そこへ来て女中の物まで買ってあげるとその効果が倍増するのは明白だろう。結局彼女は自分用のルイヴィトンと女中達にはフェンディのバッグを買ってやった。

「有り難う御座います、奥様またの起こしお待ちしております」

 この丁重な挨拶も実は愛想の良いものでもなく、あくまでも沙也加に対する世辞に過ぎなかった事は言うまでもない。それでも曲がりなりにも己が矜持を見せつけたいという沙也加の想いも或る意味では健気にも思える。

 その後も少々の買い物をして帰途に就く沙也加。彼女の浪費ぶりはまるで一昔前のバブル時代を彷彿させるような雰囲気を漂わせていた。

 

 一将は弟の一弘と父の代から右腕としてその手腕を発揮していた前専務の伊藤という男を呼び出し、四者で打開策を講じていた。一将はまず伊藤に訊いた。

「一体どうすれば良いでしょうかね?」

 伊藤は平身低頭、謙虚な姿ながらにも大胆な事を告げる。

「もはや自分などが出る幕でもないでしょう、一将様、貴方の腹は決まっているのではありませんか? 自分と致しましては出来るだけ穏便に事を進めたい限りですけど」

「一弘は?」

「俺はまだそんな難しい事まで分からないよ、兄貴に任せる」

 まだ若いとはいえ年はたったの二つ違い、それなのに何時まで経っても他人任せなこの弟のお人好しな性格は一将を大いに悩ませていた。

 幸正の答えは訊くまでもない。こうなればやはり幸正が言うようにあの組織と手を組む以外に道は無いのだろうか。だがそれがこういう形で現れようとは思いもしなかった。

「分かった、じゃあこれから早速、山誠会に赴く、幸正行くぞ!」 

「はい、了解しました、では車を回して来ます」

 呆気らかんとした様子で部屋を出て行った一弘に対し、伊藤は項垂れた感じで無言のまま立ち去る。もはや彼は諦めてしまったのだろうか。そう思う一将ではあったが、この他に大した策を思い付かなかった彼は備えあれば憂い無し、事を起こすは早いに越した事はないと言わんばかりに颯爽と部屋を出て車に乗り込む。

 一将には暑い夏が一向に緩む気配が感じられなかった。依然として熱い身体と裏腹に感じるに心の寒さ。夕暮れ時に聴くアブラゼミの鳴き声はそんな一将の想いを包み込むかのように辺り一帯に烈しく鳴り響く。

 その声は一将に味方するものなのか否か。それは今の彼にはまだ理解出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

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