人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

哂う疵跡  四話

 

 

 一将には交際している女性も居た。高校時代からの仲であった優子は聡明にして重厚、華麗にして妖艶といった淑女の気品に聖母マリア、或いは観音菩薩のような美しさと包容力を兼ね備えた才色兼備な女性であった。

 彼女は大学を卒業してから医療の道に進んでいたのだが、まだ研修医である忙しいこの現状で一将と会える機会は少なかった。

 神田組組長宇佐美との話が纏まった事で一息つく事が出来た一将は久しぶりに優子を誘ってデートに興じる。不穏な情勢が続く中、塞ぎがちになっていた彼にとっては何とも胸の弾む逢瀬である。一将はまるで十代の頃に帰ったかのように一人小躍りしていたのだった。

 和らぐ事を知らない連日の暑さは万物に何を告げようというのだろうか。強い陽射しは地上を眩しく照らし出し、疎らに散った雲はそれを遮る力を持たない。生い茂る草木はその葉を青々と実らせ、そこに佇む虫の鳴き声は煩くも健気で、人の眼の保養にもなれば心までも和ませてくれる。

 勇ましく飛び立った蝉の後に姿を見せた蝶はその色鮮やかな羽を思う存分拡げて可憐に飛び回っている。これら全ては自然の理であり生命の美しい循環なのである。とすればやはりこの暑い夏にも感謝せねばならないといった想いは当然の事かもしれない。

 そんな夏日和の中に優子は真っ白い顔に長い髪を靡かせ、至って冷静な様子で一将の前に現れるのだった。

 含み笑いで出迎える一将に対し優子はこう口を切って来た。

「何笑ってんの? まるで高校生みたいじゃない、恥ずかしいわよ」 

「そう言うなって、俺達が逢うの何ヶ月ぶりだよ? 今の俺は高校生気分なんだぜ」

 それをまざまざと訊いた優子はクスっと笑みを浮かべた。

「ところで貴方、さっき蝶々の姿をじっと見てたわよね? 何か感じたの?」

「いや、別に、可愛いなと思ってさ......」

「それだけ?」

「それだけだよ、悪いか?」

 優子はまた笑いながら答える。

「相変わらず感受性が弱いのね、もっと思う事があるでしょぉ」

 一将は少し照れながら答えた。

「じゃあお前ならどう思うんだよ、言ってみろよ」

「こういう事には敏感なんだから、男っていうのはどうしようもないわ、ま、それは追々考えるとして、これから何処行くの?」

 二人は目を合わせて笑っていた。優子が敢えて話を反らしたのは言うまでもないのだが、それに拘らない一将も己が成長ぶりを見せられて満足していたようだった。こんな他愛もない話にも一応花を咲かせる事が出来る二人の業は互いに相思相愛である証を提示したようにも思える。

 公園のベンチを発った一将は徐に口を開き

「取り合えず街を歩こう」

 と語り掛ける。軽く頷いて歩み出す優子。この二人の出発を祝うかのように蝶は更に可憐な様子を見せつけながら意気揚々と飛び回るのであった。

 

 

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 この前組長の前で醜態を晒してしまった幸正は自分を恥じるどころか一将に対する敵対意識を養うという稚拙にも歪んだ感情を抱いていたのだった。あれ以来一将とは一切口を利かなかった彼が取る手段は一つである。一将の弟一弘に取り入るしかない。そう決心した幸正は事もあろうか休日にも関わらず一弘を呼びつけ、実に大胆不敵な事を口にするのだった。

「一弘、グループの後釜はお前で決まりだ」

 幸正が一弘の事を呼び捨てにするのは今に始まった事でもない。一将の前でだけ儀礼を尽くしていたのだ。それは当然一弘にも見透かされていた事なのだが、物事に頓着の無い一弘には特段気にする節もなく、あくまでも先輩として亦気の合う友人として幸正を慕っていたのだった。

 しかし此度の幸正の言には疑いこそあるものの信憑性などは全く無い。流石の一弘も少し立腹した様子で答える。

「一体何を言い出すんだよ! 本気で言ってるのか? 冗談でも聞き流せないな」

 だが幸正も全く狼狽える事なく言葉を続ける。

「お前も知ってるだろ? この前あいつはヤクザの組長を頼って行ったんだぜ、そんな奴が何で社長になんか成れるんだよ、会社はもう完全に終わっちまったんだよ」

 一弘は俯いて考え込んでいた。確かに彼の言は的を得ている。しかしそれは彼とて同じ事で幸正が兄に助言を与えた可能性も否定は出来ない。何れにしても兄を差し置いて自分が後釜に収まる事など考えてもいなかった事だ。それを一族でもない幸正がこうもあっさり弟である自分に寝返る事こそ由々しき事態である。一弘は満を持して口を開いた。

「お前も所詮その程度かよ、そんな奴を慕っていた俺も馬鹿だったよ、急用があると言われたから急いで来たけど、そんな下らない話だったのかよ、今日の事は忘れてやる、その代わりこれからは俺達兄弟の前に姿を見せるなよ」

 そう言い置いて立ち去ろうとした一弘に追い縋り更なる戯言を放つ幸正。

「ちょっと待てって! お前そんな事言っていいのか?」

「何がだよ?」

「お前が高校生の頃、家庭教師をしてやったのは誰だよ、虐められてた時助けてやったのは誰だよ、社内でも俺にはそれなりの力があるんだぜ、お前も知ってるだろ、そんな俺を敵に回してもいいのか? よく考えろよ」

 正に戯言に過ぎない幸正の言だが、全ては事実であった。一弘とてその恩を蔑ろにするつもりなど無い。だが幸正の常軌を逸した思惑にはとてもじゃないが従う訳にはいかない。でもここでこの男を完全に敵に回してしまえば会社の先行きどうなってしまうのだろう。彼は会社に謀反でも起こす気なのだろうか。確かに彼に付き従う社員も結構な数で存在している。となればこの現状にあっては正に由々しき事態に陥るは必定である。

 即決出来なかった一弘は取り合えず

「急くなって、ちょっと考えてみるからお前も落ち着けよ」

 そう言って立ち去る一弘の背中をほくそ笑むように見届けていた幸正。彼はまるで事は成ったと言わんばかりに安堵し、次なる策を弄し始めていたのだった。

 

 街を流し始めていた一将と優子は道々にある洒落た店に立ち寄りながら充実した時を過ごしていた。喫茶店で会話する二人は昔の思い出話に花を咲かせて恰もその時分にワープしたかような雰囲気で快活に振る舞う。

「貴方、一年生の体育祭の徒競走でこけたでしょ、あの時はみんな大笑いしてたのよ」

「そんな話はどうだっていいよ、それよりお前、一時期健二に惚れてただろ?」

「あら、知ってたの?」

「全然知らないけどな」

「ふん、貴方って何時もそうだったわね、知ったかぶりの天才だわ」

「そうかもな」

「ところで貴方、あの疵跡はどうなったの? ちょっとは馴染んできたの?」

 この一言に依って場は一気に白けてしまった。言葉を失ってしまった一将は優子から目を反らして自分の世界に入り込んでしまった。凄まじいまでの憂鬱、暗鬱とした過去が脳裏に蘇って来る。

「あ、ごめん、別にそんなつもりで言ったんじゃないのよ」

 一将は多少なりとも傷心したが優子の美しい表情と声がそれを救ってくれた。

「いや、俺の方こそごめん、つい思い出してしまって、俺もまだまだだな」

 店を出た二人は自ずと一将の家に足を向かわせていたのだった。まだ少し早かったが酒を口にし始める二人。今日にデートでした事といえば街を流した事だけである。でもその中にも感じ取られる愛情は大いにあった。それを踏まえた上で自宅まで付いて来たであろう優子。

 夏の夕暮れ時は暑さを和らげるには至らないまでも些かなりとも涼しく二人を黄昏れさせる。そんな情景に見守られながら酒を酌み交わし、やがて床に就く二人の姿はまるで自然の理に準ずるかの如く綺麗な形を彩る。

 互いに身体と心を癒やしながら積極的に交わって行く二人は、この一時だけでも忘我の境地へと誘(いざな)われるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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