人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

哂う疵跡  六話

 

 

 宇佐美組長の功と、両親に報いたいという一将の志も虚しくグループの経営状態は悪化の一途を辿っていた。

 無論その理由は低迷し続ける景気に依る所が大きかったのだが、もっと言えば時代の流れそのものにあると言っても過言ではないような気もする。千変万化する世の中にあって常に安泰を保障される業種など幾つある事か。だがそれに挑むからこその企業経営であり、そこにこそ人の真価が問われるのである。

 一将は仮にグループが廃業に追い込まれようとも、その矜持だけは持ち続けたいと深く胸に刻むのであった。

 まだまだ残暑が厳しい中にあって一将はまた自ら色んな場所へと営業に赴いていた。古くから付き合いのある得意先や新規開拓を求めて東奔西走する彼の姿は単なる一社員のような漂いがあった。或る企業の者は

「これはこれは西グループの御曹司様、わざわざのお運び有り難う御座います、どうぞゆっくりして行って下さい」

 などと愛想の良い丁重な応対をしてはくれるものの、世間話に興じるばかりでビジネスの話などには全く取り合わないといった風で、また或る企業の者は終始不愛想な態度で一将が出て行く頃には陰口まで叩く始末だった。

 このような事はそれこそ営業職では日常茶飯事な訳なのだが、経営が悪化して来たこの現状ではかなり堪えるのも事実ではある。大した打開策が浮かばなかった一将は公園に立ち寄って淋しそうな面持ちで一人ベンチに腰掛けていた。

 日中の公園に見る景色も相変わらずである。強い陽射しの下、綺麗に立ち並ぶ樹々に生き生きと生い茂る草花。子供を遊ばせている親御さんにゲートボールに励む御老人達。その何れもが一将に投げ掛ける雰囲気は元気に身体を動かす様子だった。

 それは一将とて同じなのだが少々疲れていたのか何時になく元気が出ない。そんな中、遊んでいた子供が手にしていたボールが一将の方へと転がって来た。それを手に取って優しく子供に返す彼は少し動揺するのだった。

「はい」

「ありがとうお兄ちゃん」

 親御さんもこちらを向いて軽く会釈をしながら優しく微笑んでいた。このお兄ちゃんという言葉に敏感に反応した思惑は自分でも良く分からない。でもその言葉から感じ取れる事は呼んで字の如く兄弟が現す情愛に他ならない。弟一弘は今どうしているのだろうか。真っ先にそう思った一将は一弘に連絡して会社で話そうと告げるのだった。

 公園では未だ元気に立ち回る子供とご老人の姿が大自然の力に負けないかのように健気にた佇んでいたのだった。

 会社に戻った一将は珍しくも茶を用意して一弘の訪いを待っていた。一弘は何時もながら楽観的な表情を浮かべながら部屋に入って来る。その様子は恰も生徒が嫌々ながら教室に入って来るかのようなヤル気の無さを訴えているようにも思える。

 茶を差し出して徐に口を開く一将。彼の様子は弟とは全くの対極を現す。

「お前、もうちょっとでもしっかりしろよ! そんな事で部下達に示しがつくのか?」

「だって俺はまだ学生なんだぜ、そう責めないでくれよ」

「じゃあお前の同級生はみんなお前みたいな幼い顔つきをしてるのか?」 

「それは......」

 だがそんな一見頼りなく見える弟一弘の為人こそが一将を安堵させる大きな要因の一つでもあった。依然として感じられる勝気に勝る性格とは裏腹な頼りなさ。それは良く言えば天真爛漫にも見えないのでもない訳だが、悪く言えばただのアホなのである。

 でもこの一弘とて一将に勝るとも劣らない知性の持ち主でもあった。そして感性では一将の上を行っているのではないかと思われるぐらいに彼の豊かな感情には人を引き付ける魅力があった。

 それは一将には無い素晴らしく芸術的な感性なのであった。

 

 

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 幼い頃から絵を好んで描いていた一弘は小学生時分から何度となく表彰を受けていたのだった。海に山、木に森、動物に虫、果ては都会の街並みまでをも見事に一枚の絵に納める彼の才能は実に素晴らしいものだった。

 神童とは言わないまでも一将には備わっていなかったその才能は時に嫉妬に値するものでもあった。

 そこで一将が思い付いた事は唯一つ、弟一弘をグループの後釜に据えようとする些か滑稽な覚悟であった。まるで幸正のような欺瞞にも思えるこの覚悟も実は狡猾でも何でもなく、あくまでも己が正直な気持ちの現れであった事は一将自身が一番よく理解していた。だからこその覚悟であり諦観なのである。

 意を決した一将は弟が茶を一口飲んだ後に事を告げる。

「よく訊いてくれよ、お前が俺に代わってグループの跡取りになるんだ」

  流石の一弘もこれには戦慄し身を震わせながら反論する。

「何言い出すんだよ! 冗談が過ぎるぞ! 俺にそんな事が出来る訳ないだろ! 何考えてるんだよ!?」

「落ち着けって! これは冗談でも何でもない、真剣に言ってるんだ、だからお前も真剣になれ!」 

 「俺は真剣に言ってるんだよ!」

「いいから訊け! 俺みたいに出来る奴には敵も多い、だがお前には敵など殆どいないだろう、それにお前には俺にない才能もある、頭もいい、まだまだ頼りない面もあるがそこがいいんだよ」

「嫌味か?」

「訊けって! そこでだ、お前が跡取りになれば少々規模を縮小しても西グループは安泰でやって行けるだろう、今の事態を切り抜けるにはそれしか道は無いんだよ」

「そんな事急に言われてもな、俺には全く実感出来ない話だな」

「今直ぐに腹を決めろとは言わない、そういう方向で考えて欲しいんだよ」

「で、兄貴はどうするんだよ?」

「俺は潔く身を退き違う道を進もうと思ってる」

「何だよ?」

「それはまだ言えない、でもあくまでも俺達は兄弟だ、親孝行しなくてはならない、天真爛漫な母に天真爛漫なお前とは相性もいい筈だ、とにかく頑張ってくれ、あ、それと幸正は馘にするから後の事も心配するな、俺が型をつけてやるから」

 一弘は返事をしないままに部屋を出て行く。その姿は部屋に入って来た時とは真逆な悲観的にも凄まじい淋しさを訴えていた。でも一将の覚悟は何ら衰える事なく前進する一方だった。

 この事を知った両親はどう思うだろうか。それすら察しがつく一将は既に身辺を綺麗に整理して己がケジメを付けるべく幸正に会いに行く。

 最近仕事を休みがちだった幸正は一将の突然の訪問にも全く狼狽える事なく姿を現す。対峙する二人は一時言葉を発しなかったのだが、先に口を切った一将は冷たい口調で喋り出す。

「お前、何サボってんだよ、もうお前は馘だ、勿論それなりの金は渡す、だから大人しく去れ、分かったな」

 幸正は不敵な笑みを泛べてながら答えた。

「なるほど、お払い箱ですか、何時かはこうなると思ってましたが、こんなに早いとは思ってなかったですね」

「何か文句があるのか? 最後だ、はっきり言えよ」

「じゃあ言わせて貰いますが、弟君を後釜に据えようと言ったのは自分が先ですよ、貴方は部下の意見を真似ただけですか? 何とも無策な話ですね」

 一将も不敵に笑いながら答える。

「お前らしい言い方だな、だが、お前とは全く違う点がある、俺は弟を信頼してるからこそ後任に据えたんだよ、お前みたいな賤しい企みなど持ち合わせてないんでな」

 この言は幸正の心を大いに傷つかせた。図星であった事は仕方ないとしても人格否定までされる覚えはない。憤た幸正はいっそぶん殴りたい気持ちに襲われたのだが、勝ち目のない喧嘩をするほど愚かでもなかったのだ。

「ま、お互い頑張りましょうや」 

 捨て台詞を吐くようにして立ち去る幸正。その後ろ姿も何処となく淋しさを訴えているように見えないでもない。

 一将の前に聳える試練は今初めて産声を上げたのかもしれない。雨が降る気配が全く感じられないこの厳しい残暑に。 

 

 

 

 

 

 

 

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