人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

哂う疵跡  七話

 

 

 多少なりとも優しく感じ始めた陽射しに大人しく聴こえる蝉の鳴き声。風に揺らめきながら色を変えて行く樹々や草花の涼やかな様子は人の心を和らげ、快活に登校する子供達の姿は元気を与えてくれる。

 まだまだ残暑が厳しいこの時期ではあるが夏の到来を喜ぶ童に対し、その残り香を愛おしむ大人達の姿は未練がましくも憂愁に充ちている。

 大切な仕事とはいえ多忙にかまけて今年も夏らしい事を何もしなかった一将は、まるでその事に報いるかのように明るい面持ちを保ったまま両親の下を訪れるのだった。

 相変わらず悠然と構えている父一彦と、依然として変化が見られない浪費家だった母沙也加の変わり様は一将を安心させる。そんな両親の心持に負けじと毅然とした態度を現す一将も流石ではあった。

「あら一将、突然どうしたの?」

「何か用か? 今度はお前からの急な訪問か」

「落ち着いて訊いて欲しいのです」

「何だ改まって」

「俺はグループから抜けます」

「何だって!?」

「後は弟の一弘に任せます、その事だけを伝えに来ました、今までお世話になり誠に有難う御座いました、では」

「ちょっと待てよ! 何があったんだ?」

「全てはここに認(したた)めてあります、本当に有り難う御座いました、失礼します」

 深々と頭を下げる一将はその文だけを残して立ち去る。呆然と立ち尽くす二人の親御は互いの目を見つめながらその想いを無言の裡に確かめようとしていたのだが、答えなど出よう筈も無い。だが一将のあくまでも明るく装っていた表情が二人の間に僅かな光を指し込んで来た。

「貴方、何も心配するには及びませんわ、あの子にはあの子なりのしっかりとした考えがあるのでしょう、今までもそうだったじゃありませんか、それに今止めた所で気の強いあの子の事、訊き届けてはくれないに決まってますわ、あの子に任せましょう」

「あ、ああ、そうだな」

 楽観的な沙也加に対し一彦は少なからず陰鬱な表情を浮かべてはいたが、落胆までには至らないその様子は沙也加の根明な性格が齎す効果に依るものなのかもしれない。

 対照的な人同士だからこそ発揮出来る力。それは得てして互いの感情を傷つける事もあるのだが、こういう決して穏やかではない時の救いになる事は有難い限りでもある。

 しかし問題はこれからだ。息子の行く末を案じる一彦はただ悠長に構えている訳にも行かず、一弘は無論、社員一同に対し報告かたがた新たなる決意を示し士気を高めて行く事に専念するのであった。

 真にその身を律しなければならないのはグループを託された一弘だった。まだ学生であるにも関わらず、衰退途上であるとはいえこの大きな組織を束ねて行くには明らかに無理が感じられる。だが事ここに至ったからには兄から任されたものをそう簡単に投げ出す訳にも行かない。兄にも勝る親思いな一弘は昨晩一睡もせずに考えていた。

 兄は絶体に帰って来る。一時的に何処かへ修行に行くに違いない。ならば留守を守る事こそが弟である自分の使命だ。帰って来るまでに業績を伸ばして愕かせてやろう。

 些か微笑ましくも感じる一弘の覚悟も大したものではある。血は争えないとはこの事か。二人に共通する前向きな性格も実に頼もしい限りだ。親子共々が描く未来図。それを成就させるか否かは全てこの二人の兄弟に懸かっていたのだった。

 

 

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 一将の父一彦は息子が認めた文を読み始めていた。

『拝啓、御両親に置かれましては一層ご健勝の事と存じ上げます、まだまだ残暑が厳しいこの時期ではありますが、如何お過ごしでしょうか、お陰様で自分は相変わらず元気に生活していますが未だ突破口を見出せないグループの不透明な先行き、その不始末は全て自分の不甲斐ない所業に依るものです、という事で自分は一時時間を頂き修行に赴きます、その場所は.......』 

 一彦はここで一旦文を閉じる。

 一将が一人向かった先は神田組の事務所だった。無論表向きは例のお礼を言いに来たのである。しかしその真意は。

 部屋に通された一将は宇佐美に会うと深々と頭を下げこの前の礼をする。

「この度は本当に有り難う御座いました、お陰で我がグループは命拾いが出来ました、全ては貴方様のお陰です、これはほんのお礼ですが是非ともお納め下さい」

 宇佐美は一将の顔だけを見つめながらその封筒を取った。その上で更に峻厳な面持ちを現しながら切り出す。

「これは有難く頂いておくが、お前さん、何時もと様子が違うな、どうした?」

 一将は改めて姿勢を正し意を己が覚悟を示すようにして口を開く。

「自分を子分にして下さい! 御願いします!」

「おいおいいきなり何を言い出すんだよ、お前さん会社はどうするんだ?」

「会社は辞めて来ました、以前ここに来た時から腹に決めていた事なんです、どうか自分を子分にして下さい!」

 90度以上腰を屈めて懇願する一将の様子は宇佐美さえも動じさせる。だが多くを語る事を毛嫌いする宇佐美は一言だけを口にしてその決意を確かめようとする。

「お前さんの腹はよく分かった、だが俺達はヤクザだ、堅気じゃねーぞ、その辺の覚悟は出来てるんだろうな!?」

「勿論です!」

「分かった! じゃあお前は今から俺の大事な舎弟にしてやる、その代わり一生親御さんには会えないと思え、分かったな」

「有り難う御座います! 精一杯精進致します!」

 宇佐美は自ら手を叩き拍手をする。それに影響された他の組員達も拍手をして一将の組入りを歓迎してくれる。

 前の一件といい今回といい何とも簡単に事が運ぶものだ。それは宇佐美が一将の事を目に掛けていた事は言うに及ばず、一将もまた宇佐美の事を好いていたからである。相通ずる二人の熱い想いに大した言葉は要らないかったのだった。それは少々飛躍した言い方ではあるが、東から昇ったお日様が西へと沈んで行く、季節の移り変わり、生まれるものあらば死するものあり、亦は万物が育む情愛。そんな自然の理ともいえる情景の中にあって余計な言葉や思慮を廻らす人の性質自体が寧ろ滑稽に見えると言っても過言ではないような気もしないではない。

 しかしただ気の向くまま身体の赴くままといった時代に流されるだけしか能が無い思考が停止し精神までをも去勢されてしまった腑抜け現代人が現す愚行でも無い。あくまでも己が意志に依って決心したその様は正に自然の理に合致しているようにも見える。

 一将の組入りを歓迎してくれた宇佐美は若い衆に言い早速酒の段取りをさせるのだった。親分の意向を察した若い衆は気を利かせて儀式用の盃まで用意して来た。

 それを手に取らせて酒を注ぐ宇佐美。一将はその意を受けるべく一気に飲み干す。そして注ぎ返す一将の心意気に応えるべく一気に飲み干す宇佐美。

「相変わらずいい飲みっぷりだな、これはまだ仮盃だが何れは本家親分の前で正式な儀式が執り行われる、それまでにお前も精進する事だな」

「はい、頂きましたる盃に恥じぬよう誠心誠意精進して行く覚悟で御座います」

「よし、硬い話はここまでだ、今日は目出度い日だ、お前らも思う存分飲んでくれや」

「親分、有り難う御座います!」

 一同は大いに飲み大に食べながら充実した時を過ごす。

 想いが通じたのか、酔いしれる皆の目には一本の天翔ける橋が姿を現す。その橋を渡らんとする一将と宇佐美。現時点では何ら猜疑心を抱く事なく手に手を取って橋を渡って行こうとする二人の行く末には一点の曇りさえ見えない気もする。だが曇りが無いから明るいといった浅はかな二元論で片付けられるほど甘い世の中でも無い。

 自らに試練を与え続ける一将の真意は自然の理に適っていると言えるのだろうか。晩夏の涼やかな風は優しくも厳しく一将の身体と心を吹き抜けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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