人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

哂う疵跡  十二話

 

 

 正式に社長の座に就いた一弘ではあったがその表情に明るさは感じられなかった。彼の心に翳を落とすものの正体がグループの逼迫した経営状況である事は言うまでもないのだが、それと同等の重さを持っていたものは他ならぬ幸正の存在であろう。

 幸正が一弘に与えた助言は二つだった。一つは今直ぐ会社を畳んで財産を全て売却し一から再出発する事。二つは因縁のある丸新興産と手を組み共存共栄を図る事。

 何れも承服しかねる実に馬鹿馬鹿しい話なのだが、一番の気掛かりは幸正が何故そこまでして西グループの経営に干渉するのかという不可解な点であった。

 グループを潰してただ腹いせがしたいだけなのか、それともまたよからぬ事でも企んでいるのか。幸正の腹はなかなか読めない。だがこれ以上私利私欲の為だけに常に行く手に立ちはだかる障壁を取り除かない訳にもいかないと判断した一弘は思い切って兄の一将に連絡と取るのだった。

「あ、兄貴か、久しぶり、ちょっと話があるんだけど」 

「何だ?」 

 久しぶりに話をする一将の貫禄は電話だけでも十分に感じられた。それに圧倒された一弘は一瞬言葉を失ってしまったのだが、社長という肩書きが多少なりともその怯えを緩和してくれる。

「実は幸正がこの前グループの会合に顔を出しやがって、また何か企んでるみたいなんだ、そこで兄貴に相談したくなってさ」

「何の相談だ?」

「だから、これからの事だよ」

 「お前、社長になったんだろ、まだそんな甘えた事言ってんのかおい、俺はヤクザなんだぞ、そんな俺を頼ってどうするんだよ、自分で解決することだ」

「だけど兄貴だってヤクザを頼ってたじゃないか、人の事言えるのかよ」

「だから俺はケジメをとって自らヤクザになったんだよ、お前もそうするのか?」

「それは......」

「とにかくよく考えて行動する事だ、いいな!」

「分かったよ......」

 その為のケジメとは完全な詭弁に過ぎない。その事を理解していた一弘は兄の筋の通らない言に反感を覚えたが、言い返す勇気が無かった自分の情けなさの方が勝っていた事は言うまでもない。

 幸正に兄、二人の真意が全く読めない一弘は自暴自棄になりかけていたのかもしれない。その想いは自ずと顔に表れ、今の彼は一時的とはいえ病人のような脆弱な姿を漂わす。それは取りも直さず社長に就任したばかりの彼には許されない失態であり、己が矜持をも穢す事でもある。

 しかし突破口を見出せぬ今の彼に何が出来ようか。錯綜する想いは更なる翳を呼び起こし、ただ深い闇へと直行するように思える。

 闇の中にも僅かに差し込む一筋の光。それさえ見つけられれば如何様にでもなるのだ。だがそれを探す力は限りなく小さかった。

 

 

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 あれから数日が経った今、一将の背中は真っ赤に腫れ上がっていた。無理に意地を通して入れた手彫りの痛みは忘れようもない。全身に迸る血飛沫はまるで地獄の阿修羅を思わせるような猛然たる烈しさで容赦ない責め苦を与えて来る。必死に歯を食いしばって耐える一将はその苦行に依って何を得たのだろうか。

「ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く」  

 宇佐美から教わったこの歌を理屈抜きに口ずさむ一将は、図らずもカスバの女の心境を自分なりに慮っていたのかもしれない。その真意は分からないまでも。

 しかし組を起ち上げたばかりという事もあって一日たりとも休まず事務所に姿を現していた彼の心意気に感銘を受ける子分達は、益々忠誠を尽くすべく一将に惚れ込んでいた。

 もはや掛ける言葉さえ無いこの状況で子分達に出来る事と言えばただ真っ当な任侠道に勤しむ組長を見習う事だけだったのかもしれない。

「ところで誠二、友党物産の切り取り巧く行ってんのか?」 

「はい、その件は滞りなく進んでいます、ですけど......」

「何だ? 何かあったのか?」

「いや、それには何の問題も無いのですが、友党物産に貸しがある丸新興産が黙ってはいないと思いまして」

「丸新の債権はいくらだ?」

「はい、500ほどですけど」

「お前何眠たい事言ってんだゴラ! うちは友党に2000の貸しがあるんだぞ、分かってんのかおい」

「無論その事は承知しています、でも.....」

「でも何だ? 要件だけを言えってんだよ!」

「丸新は海秦会ですよ、揉め事になるのではないかと思いまして」

「お前何年ヤクザやってるんだよ? おー! 俺より年期があるんじゃねーか? 行く道も行かねーヤクザに何の価値があるんだよ!」

「そうですよね......」

「お前喧嘩売ってんのか? 今度そんな弱音吐いたら破門にするぞ! いいからさっさと行って来いゴラ!」

「はい、分かりました!」

 何とも頼りない子分の有り様は一将を大いに悩ませた。しかし一見頼りなく映る子分の様も人間社会には確固として存在する揺るぎない人の弱さでもある。

 それは堅気もヤクザも関係ない人間が生まれながらに持ち合わせた性質でもある。滑稽ながらもそれを美しいと感じる一将の心持は些か稚拙にも思えるのだが、そんな話が通るほど甘い世界でも無い。

 彼も未だに堅気と極道の世界の狭間を彷徨う一人の正直な人間であったのだった。その境目で葛藤する彼に一瞬でも安らぎを与えてくれるものがあるとすればそれは何だろうか。

 一将もまた弟と同様に人間社会に苛まれ続けるか弱い一人の男であったに違いない。でも今更引き返せない一将が弟以上の志を持っていた事も事実ではある。

 やり切れない想いに浸る一将は宇佐美の下を訪れたのだった。

「ご苦労様です!」

 若い衆達の勇ましい挨拶に対して何時になく覇気の無い雰囲気を漂わす一将の姿は淋しい翳を落とす。

「おう兄弟、今日はどうした?」

「よして下さい、兄弟ではありませんよ」

「いや、舎弟とはいえ兄弟には違いないだろ」

 一将は何も言い返せなかった。だがその表情に僅かながらも陰りを感じた宇佐美は一将の肩を叩いて笑みを浮かべる。

「らしくねーじゃねーか、一体どうしたんだ? 墨入れた事後悔してるのか?」

「そんな事ないです、ただ、これは余りにも情けない話なんですが、うちの子分が少し頼りなく感じられるのです、無論それは自分の所為でもあります」

「そうか、だがな、それは口にしちゃいけない事だろ、違うか? 今のお前は一家の長なんだぞ、そんな下らない事を言いにわざわざ来たのか?」

「すいませんでした、自分が浅はかでした!」

「まぁいいさ、誰にでもある事だよ、俺にもあったさ」

 この間二人は沈黙して一時話をしなかった。そこに入って来た一人の若い衆が思わぬ事を口にする。

「親分、いよいよ海秦会が攻めて来るみたいです!」

「それは確かな話か?」

「確かです、自分のテカがさっき掴んだ情報です、既に会長自らが号令を発したとか」

「そうか、いよいよかぁ、一将、お前は今直ぐ組に戻って準備するんだ! いいな!」

「分かりました、では」

 神田組の周到さは流石だった。それに引き換え一将は。一体ここへ何をしに来たのだろうか、ただ急変する事態を確認する為に足を運んだのだろうか。だがそれも重要である事は言うまでもない。

 一将が初めて経験するヤクザの出入り。それは図らずも一将自身が招いた有事であり待ち望んでいた試練でもあった。

 背中に映る騎竜観音はその力を発揮する事が出来るのだろうか。荒々しくも渋い姿を現す竜。それを窘めるように目を閉じ掌を向け合い祈る観音様。

 二体の象が織りなす芸術的な画は、美しくも儚い人間社会を憂いているようにも見えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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