人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

今週のお題  ~もっとサボりましょう^^

今週のお題「サボる」

 

 

 

          鳴き止みて  想うは蝉の  憂いかな(笑)

 

 

 いよいよ8月も終わりまするなぁ~。今にして思えば蝉が煩く鳴いていた頃が懐かしいぐらいですけど、極めて寿命の短い蝉は一体何を思って毎年毎年勇ましく鳴き続けているのでしょうね。決して鳴く事をサボらない蝉の姿には尊敬の念を抱くばかりであります。

 無論今年も夏らしい事など何一つしなかった自分ではありますが、夏の終わりというものには毎年のように淋しさ、切なさを感じずにはいられません。

 という事で(どういう事やねん?)今週のお題に挑みたいと思います^^

 

サボった経験談

 これはいくらでもあります。元々ナマクラ(怠け者)な自分は人生サボってなんぼという感覚がありますね。特に何かをサボった時の爽快感はなのものにも代えがたいですね。ただその後に襲って来る悔恨の念には相当なものもありますけど。全ては自業自得で、たとえ精神面だけでも自ずと代償払わされる世の中のシステムは巧く出来ていますよね。それすらも気にしないような強靭なメンタルがあれば良いのですが。

 

仕事をサボった経験

 若い頃はしょっちゅうサボってましたね。時には1週間も無断欠勤した事もありました。そのあと何食わぬ顔をして出社するのですけど、少し怒られただけで大した叱責は受けませんでしたね。若気の至りに対する寛容さの表れだったのでしょうか。

 その頃世話になっていた社長もどちらかというと来る者は拒まず去る者は追わずみたいな考え方の人でしたけど。

 でも自分のような団体行動が嫌いな者は酒の付き合いも大嫌いで特に忘年会などは3年続けてブチった経験もあります。その時は流石に怒られましたね。

「ほんまにすいません、伯父が亡くなってしまったんです」

 よくある話かもしれませんが、これを言えば普通は誰も言い返して来ません。でもそれを繰り返した時は

「何年も連続で親類が死ぬんか!? お前そこまでして忘年会行きたくないんかいや? そんな事では世の中渡って行かれへんど!」 

 などとこてんぱんに怒られました。自分も浅はかでしたね。他の尤もらしい策を講ずるべきでしたね(笑)

 若い頃というか30代前半まではこんな感じでしたね。

 

私生活での話 

 私生活でも全く同じですね。自分にとっては仕事も私生活もありません。同じ人間なのですから、何故一々変える必要があるのかと思っています。

 流石に冠婚葬祭をブチった経験はありませんが、友人との約束、交際していた人とデートの約束も破った事は何度かあります。最低人間ですね、今にして思えば本当に情けない限りで、迷惑を掛けた方々には心から詫びを入れたい想いです 😔 

 でも言い訳をするつもりでもありませんが、その時もあくまでも正直に行動してだけなんですよね。それなら初めから約束などするなって話なのですが、そこを突かれては一言もありません。要ははっきりと断る勇気が無かったんでしょうね。

 そんな優柔不断な性格が災いして勿体ない経験もして来ました。もっとしっかりしていれば今ごろは華々しい人生を送る事が出来ていたかもしれませんが、悔いても及ばぬ事。成るようにしか成らないのも世の常ですかね。 

 でもサボる事は駄目ですけど、日本という国は真面目過ぎるとも思えます。勤労だけが美徳とされているような気もします。無論それも大切な事なのですが、みんな働き過ぎですよね。毎日朝から晩まで働いてその上残業までしないとやって行けないという、この国のシステム自体に憤りを覚えなくもないです。

 確かにそれが現実ではありますが、そこまでして身を粉にして働いて一生を終えてしまう事は淋しい限りです。自分は保育所に通っていたのですが、真に自由を感じる事が出来たのはその保育所時代までだったような気がしますね。

 その後学校に行き社会人となって行く過程で自由を感じる事など殆ど無かったです。それは無論自分の不徳の致す所でもありますが、そう感じている人も多いのではないでしょうか。

 とにかく日本には自由が余りにも少ないのです。市場ばかり西洋化して肝心の自由や精神的、道徳的な面では何一つ西洋の真似出来ていないような気がしますね。

 全体主義という思想に起因する事象かもしれませんが、年を取るに連れて不自由さを感じるぐらいです。だからといってサボる事を肯定する訳でもありませんが、難しい話ですね。それこそ成るようにしか成らない事かもしれません。 

 

これからの話 

 ま、そんな自分も今正にブログ制作をサボっている訳なのですが、これはサボるというよりは休止ですね。誰から束縛される訳でもなく自由奔放に生きて行く為には小説家に成るしか道は無いのです。ですから今も必死に執筆活動に勤しんでいます。

 でも本当に真剣に書こうとすれば難しいですね~。何度も何度も読み返し、校正しまくっている現状なのでなかなか筆が進みません。

 無論今までブログに載せて来た小説をいい加減な気持ちで書いていた訳でもありません。でもその熱量は明らかに違いますね。神経使って仕方ないです。

 自分の一番好きな三島由紀夫大先生の小説の一節に

『地球の自転という事実が、決して五感ではそれと知られず、科学的理性を媒介として辛うじて認識されるように、輪廻転生も亦、日常の感覚や知性だけではつかまえられず、何かたしかな、きわめて正確で体系的でもあり直感的でもあるような、そういう超理性を以てして、はじめて認識されるものではなかろうか』

 という地の文があるのですが、流石は三島大先生というか、こんな文章自分には一生掛かっても書く事は出来ないでしょうね。まず無理です。寧ろそう思ってしまう事自体が既に不遜で己惚れた感情だとも思えるぐらいなのですが、たとえ少しでもこれに近付きたいとは思っています^^

 もっともっと精進しないダメですね。憧れが心を痛めてしまうのですけれど。今のままでは話になりません。

 何が言いたいかといえば、要は好きな事を見つける事に依ってサボり癖が治るような気はします。それを今頃になって見つけてしまった事が情けない限りなのですが。

 習慣は精神を凌駕する。という言葉がありますが、正にその通りで一度習慣になったものはそう簡単に捨て去る事は出来ません。仕事も私生活も習慣が大切ですよね。と自分に言い聞かせている今日この頃です^^

 

 という事で今週のお題「サボる」についての記事でした。今日は焼きふぐの日らしいですね。まだまだ残暑が厳しいですけど皆様方には十分なるご自愛をして頂きとう存じます。では、ごきげんよう 😉