人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

汐の情景  三話

 

 

 地元の者ばかりで形成されている公立中学と違い、色んな地域の者が通う高校には柵がないという点では幾分気楽な印象を受ける。

 それまではどちらかと言えば自分に固執し過ぎていたような英和も羽を伸ばすといっては大袈裟だが、比較的自由奔放に高校生活を送っていたのだった。

 とはいえ相変わらず団体行動が嫌いな彼は自ら輪の中に入って行こうとはせず、高々数人、或いは一人だけで行動する事が多く、恋人は疎かこれといった友人も作ろうとしいその様は他者から見れば孤独と戯れているように映っていたかもしれない。

 今日もまた退屈な授業が始まる。1時間目から6時間目、放課後の部活動ときっちりとした時間割の下に一日の行程が組まれている学校という場所で施される教育にはどれほどの価値や意味があるのだろうか。

 思春期の若者が抱きそうな在り来たりな発想のようにも思えるが、少し掘り下げて考察してみても意味がありそうで無い、無いようで有るといった抽象的な答えが浮かび上がって来る。

 無論教育そのものを否定するつもりなど一切ないまでも、義務教育も含めて常に大勢の者を一つに纏めてその中で生活をさせているという時点で既に全体主義を敷いて行こうとする意図が感じられなくもない。

 だからといって各々が個別に育ち社会人になって行くというやり方にも危険性が孕んでいるとも思えるが、教育の義務を含めた国民の三大義務などという大袈裟なものを称する日本にも何か不自然性を感じずにはいられない。

 そんな中で成長して行く生徒達の将来までをも考え出せばきりがなく、是非にも及ばない事だとも思えるが、大人になってからも輪の中でしか行動出来ない社会構造が出来上がっているとすれば、真の自由を手にする時など一生訪れないのではあるまいか。

 個人差はあろうとも、或る意味では人間社会も弱肉強食であろうとも、生まれついてのハンデというものは確実に存在しており、それを克服出来ない者は余りに不憫だとも思えて来る。

 こんな事を朧気に考えていた英和はやはり根が暗いのだろうか。カッコをつける訳でもないが、自分の事よりも世の中を悲観し憂いてしまう彼の心情には傲りがあるのだろうか。いくら考えても答えが出ないような問答を繰り返す彼は神か仏にでも成りたいというのだろうか。

 窓外に映るじめじめとした天気と教室内に蔓延するもやっとした空気に苛立ちを覚えた彼は俄かに窓を開け気分転換を試みようとしたのだが、その敏捷な動きに愕いた隣の席の同級生は思わず声を上げる。

「何や林田? えらい素早いやんけ!」

 英和は大して口を利いた事のないこの男に対し、軽い笑みを浮かべて誤魔化すような事を言う。

「みんなから頼まれとうような気がしてな、開放感が無かったらあかんでな」

「......確かにな」

 小雨とはいえ中まで降りつけて来る雨に気付いた英和はまた窓を閉め、教科書を眺めながら物思いに耽けるのだった。

 

 この日もこれといった面白い事もなく、何時もと同じように授業を終えた英和は放課後の楽しみと言わんばかりに康明に会いに行く。そんな彼に味方するように雨は上がり西日が差すその光景は、まるで青春を謳歌させるべく一つの物語の舞台を用意してくれているような錯覚を齎して来る。

 違う高校に進んでいた二人だが、わざわざ連絡をするまでもなく康明は何時もの場所で待っていてくれた。英昭が単車に跨ると康明が或る提案をする。

「今日はちょっと遠くまで行かへんか?」

「どの辺までや?」 

「はっきりとは分からんけど何時もよりは遠くに」

「それもええな」

 康明の400ccの単車に比べて英和の単車は90ccの小型であった為、長距離走行は難しいと判断し康明の単車の後部席に乗りニケツで走り始める。

 エンジンを掛けた時に湧き立つ昂揚感は相変わらずで、走り始めた時点で恰も異世界へと誘われたかのような不思議な気持ちは、ヘルメットの中にも凄まじいまでの目の輝きを以て表現されていた。

 僅か数百m進むだけで地元から逃れられる事はその気持ちを安心させる。ミラーに映し出される景色は瞬く間に消え去り前に佇む光景にこそ真実がある。そう信じて疑わなかった二人は過去という現実から解放されたかったのかもしれない。

 何時も通る須磨、垂水などは一気に走り過ぎ、やがて明石に入る。西日に照らされた駅前の雑踏は心なしか疲れを感じさせる。それをも構わずにとにかく西へ西へとひた走る康明のハンドルを強く握る手は強い風で冷えている筈なのに少し汗ばんでいるようにも見える。とはいえ決して焦っているようには見えない彼の心情からは、英和同様平凡な毎日を覆し、非日常を味わいたいような探求心が窺える。

 一言に明石といっても鉄道の路線で言えば明石、西明石、大久保、魚住、土山と加古川に出るまでの道程は結構遠く、明石までの海岸線である国道2号線も街中へ入ると信号の数も増える為、走行に掛かる時間は自ずと長くなって来る。

 少し不安を感じた英和は信号待ちしている時にこう呟くのだった。

「何処まで行くんや? あんまり遠くまで行ったら帰りがヤバいんちゃうんか?」

 康明は冷静な口調で答える。

「たまにはええやろ、何や、ビビっとんかいや?」

「じゃがましわい」

 だが余裕をカマシていた康明も信号が変わった途端にスピードを上げて走り始める。彼も時間を気にしていたのだろうか。男同士の仲で言うのもおかしいが、彼の肩を掴む英和の手の感触は頼もしさだけを訴えていた。それこそ根拠のない自信のようなものだったのかもしれない。でも今の頼りない二人にはその自信すら無ければ他に頼れるものなど何も無かっただろう。

 走る単車と二人の気勢は留まる所を知らず、加古川を超え更に進み、ついには姫路にまで達するのだった。流石にこれ以上進む事を憚られた康明は姫路城前の公園で単車を停め、二人して休憩をとるのだった。

 辺りに屹立する桜は既に散り掛けてはいたものの、その風情豊かな佇まいにはやはり春を思わせる優美な漂いがあり、可憐にも艶やかな形姿はそれを見下ろす姫路城の余りにも厳で神々しいまでの風格と相乗し、見るものの心を圧倒する。

 白鷺城とも呼ばれるこの姫路城は正に白鷺が羽を広げたような雄大な姿を体現し、それを裏付ける繊細にして大胆な造りは、日本の伝統美を精妙巧緻に受け継ぐ職人の矜持を余す事なく発揮している。

 流石の康明もこの城を眺めている時はただ感動するだけで冗談を口にしようとはしなかった。そんな彼に対し英和は徐に語り掛ける。

「お前、この城誰が建てたか知っとんか?」

 康明は間髪入れずに答える。

織田信長やろ」

 英和は真面目に返す。

「お前どうせ歴史上の偉人言うたら信長ぐらいしか知らんのやろ? 宮大工、いや城大工なんやー言うねん」

「型枠大工やったらあかんのんかい?」

「舟大工やったらええかもな」

「土方大工の方がええやろ」 

 それにしてもいくら立派な城とはいえ余り間近で見ているとその価値が損なわれるような感じもしないではない。やはり霊験あらたかな山や寺社仏閣、城等は遠くから仰ぎ見るからこその真価が発揮出来るのではなかろうか。

 そう感じた英和は少し視点を移し辺りを見回す。するとそれまでは全く気にならなかった物陰が視界の妨げになって来るような違和感を覚えた。この広い公園に居るそこそこの数のヤンキー達が一斉にこちらを見ているように思えるのだった。

 姫路といえば確かに兵庫県でもヤンキーが数多く存在する地域ではあったが、その容姿は如何にもと思わせるような厳ついもので、彼等がもし束になって攻め掛かって来ればたった二人では到底太刀打ち出来ないであろうこの状況は自ずと一抹の不安を投げ掛けて来る。

 勿論そのような事態に陥る事は無いに等しいとも思えるが、備えあれば憂いなし、二人は無言の裡に素早く帰途に就こうとする。すると向こうから響き渡る大声に気付く。

「お前ら、何処のもんどいやゴラー!?」

 二人はその方向に見向きもせずに単車に跨り、踵を返すように颯爽と走り始める。

 行きと全く同じ道を辿る二人は声には出さずとも互いの気持ちを理屈抜きに確かめ合ったいた。それはさっきの出来事なんかよりも寧ろ、姫路城の美しさとこれまでの半生を顧みる想いであった事は言うまでもない。

 夕暮れ時の景色はそんな二人の心情を代弁するかのように真っ赤に街を染め上げ、その景色は両者の脳裏に淡い記憶を走馬灯のように駆け巡らすという現象を引き起こす。 

 僅か16歳とはいえ馳せる想いにはそれなりのドラマがあり、楽しい思い出は勿論、辛い過去や哀しい情景の悉くが一緒くたになった回顧はその気持ちを次第に寂寥感に充たして行く。

 でもただ虚しいだけではなく、あくまでも心地よく感じられる切なさは二人の心情を曇らせるものでは無かった。

 それにしてもこれだけの長い距離を流しておきながらも、警察に目を付けられるといった危うい状況に一度たりとも遭遇しなかったこの逃避行は、偶然必然を問わずに両者の人生に深く刻み込まれていたに違いない。

 地元に帰り着き既に日も暮れたその現状は、整然たる日常の景色をしてただただ二人を安堵させるのだった。