人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

汐の情景  十四話

 

 

 或る日英和は仕事の休憩中に親方である康明の親御さんから苦言を受ける。

「英和君、ええ加減博打は辞めといた方がええで、お母さんも心配しとうと思うし」

 仕事以外、いや仕事も含めて苦言を呈された事など初めてではなかろうか。だからこそその言葉には何倍もの力が感じられ、その胸に烈しいまでの戦慄を投げ掛けて来る。 

 英和はとてもじゃないが反論する気にはなれなかった。それは親方の温厚な人柄は言うに及ばず、良心の呵責も然ることながら、母の事を他者から言われた時に感じた想像以上の気恥しさ哀しさが募った自己憐憫に依るものだった。

 その場に居た康明は言われている英和の顔を内心を探るような目つきで見つめていた。親方の前では何も言えない英和も鬱陶しいとは思いながらも康明から目を反らす事が出来なかった。

 こんな時に限って何一つ冗談を口にしない康明の存在は邪魔にしか思えない。すると康明は煙草を一服してから言葉を発する。

「ま、社会勉強やろ、若いうちの苦労は買ってでもせえって言うしな」

 それを訊いた親方はこう反論する。

「せんでええ苦労もあるやろ、誰にも迷惑掛けんと出来るんやったらええけどな」

 何も答えなかった英和も内心では親方の言に賛同していた。そうしなければ親孝行は疎か自滅してしまう可能性もある。

 しかしその一見当たり前のような親方の意見もどれだけ真摯に受け止め体現して行くかが重要であり、等閑(なおざり)にするつもりなど無いにせよ淡い夢物語から抜け出す事が出来ない英和は収拾がつかない心情を悟られまいと、また偽りの余裕をかましながら仕事に従事するのだった。

 案の定というには余りにも愚かな英和の行為には呆れるばかりだった。さっき言われた事も忘れたかのようにその足は既にパチンコ店の前にまで差し掛かっていた。無論躊躇いはあった。だがその躊躇いをも覆す胸の高鳴りは自分でもどうしようもない程に強く烈しく、勇ましいまでの攻めの体勢を煽って来る。

 その勢いを封じるには余程の力がいるだろう。この場にての親方や母からの叱責、有象無象の物々しい影、或いは天変地異。どれもこれも一応は経験している彼であったが、今更そんな事が起ころう筈もない現状には他力本願ながらも物足りなさを感じる。

 そして店に入った彼の目に真っ先に映ったのは射幸心を更に煽る義久の姿だった。よく見てみると義久の足下には既に数杯のドル箱が積まれてあった。まだ夕方なのに何故こんなにも早くそれだけの大当たりを引いているのだろうか。仕事を早退して来たのだろうか。

 煩い店内で込み入った話をする気にもなれない英和は軽くアイコンタクトをとっただけで自分の坐る台を探して回る。優柔不断な彼はなかなか目ぼしがつけられなかったが、義久の様子がよく見える斜め後ろの台に着席した。

 千円、二千円と金が吸い取られて行く。これしきの金額で動じるギャンブル好きな者など居よう筈もなく、過ぎ行く時間は湯水の如く金を貪り続ける。

 気がつけば投資金額は2万円に膨れ上がっていた。あっという間の出来事だった。休日でもないのにこれ以上投資を続ける事はリスクが高い。でもこのまま負けて帰るのも心苦しい。結局遊戯を続行する彼の懐にはあと数千円そいう金額しか残っておらず、背水の陣で臨むその戦いには歪んだ悲壮感だけが漂っていた。

 最期の千円を使いもはや諦めかけていた時に奇跡は起こる。呆然とした表情で眺めていた台の盤面には7という数字が三つ揃っていた。これを見た時英和は一体何が起きたのか分からないといった感じで俄かに喜ぶ事が出来なかった。

 それは既に諦めていたにも関わらず何故最期の最期で当たってしまうんだという贅沢にも理解し難い心境から来るもので、肉体と精神が分離でもしたのかといったその放心状態にあるのは大袈裟に言えば生きながらに死せる抜け殻の魂、或いは死にながらも生きている仮死状態のような生気の欠片もないような虚しい薄ら笑いだった。

 取り合えず遊戯は続けていた英和の下に義久が駆け寄って来た。

「おい、当たったやんけ! この台7で当たったら絶対連チャンするで、ええな~」

 自分が大連チャンしているのにこんな慰めのような言葉を掛けて来る義久に少し苛ついた英和ではあったが、次第に解けて行く放心状態はその心を沈める役割を果たしてくれる。

 そのあと義久が言う通りに連チャンを繰り返し、結局は大きなプラス収支で遊戯を止める英和。店を出てから我に返った彼はその喜びを義久に告げようとしたが彼は既に帰っていた。

 何とか窮地を脱したにも関わらず無性に込み上げて来る虚しさは何なのだろうか。日が落ちた外の景色に感じるものは無かったのだった。

 

 英和が余り異性に執着が無かった理由にギャンブル依存症が働いていたのかまでは分からない。勿論カッコをつける訳でもなければ嫌いな訳でもない。でも男女を問わずにちょっとした距離感を保つ事は好む所で、馴れ合いを嫌い孤高を気取る精神には拘りという頑なな意志に依って作り得る人為的な企みが無いとは言い切れない。

 企みや目標なども所詮は感情から芽生えるものとも思え、そこから生まれて来る意志はどんなに強くとも礎である感情を凌駕する事は出来ないだろう。

 ならばその感情が芽生えた瞬間を察知しそれを善き方向へと導く力は他者にあるという一つの理論が成り立つような気もしないではない。

 英和の性格に根付く烈しい好き嫌いの相反性は見る者に依っては大した事ない、決して特別なものでもないといった概念的な見立てで分析されがちだが、個性を簡単に理解しようとする人間の己惚れにも似た所作は、見立てられている本人の己惚れを含めた心理に勝るのだろうか。

 社会人になってからの英和と直子の交際は正に互いの心情を確かめるような、時としては牽制するような間柄に発展していたのだった。

 久しぶりに会う事になった二人は少し躊躇いがちな表情を崩せないままに姿を現す。英和は直子の本心を。直子は未だ見透かせぬ英和の性格を。本質を見出そうとする点ではこの二人に差異は感じられない。単に旧交を温めようとした事がきっかけであった交際の始まりも浅はかとはいえ矛盾までは感じられない。

 となると後は相性が大きく影響して来るとも思える。数える程の情事でそれを一瞬にして感じ取れる者もいれば、鈍感にも深く追い求めようとする者もいるだろう。二人の想いは完全に後者で共通していた。

「久しぶりね」

 愛嬌のある笑顔で初めに声を掛けて来た直子は声を発すると同時に一切の逡巡を捨て去ったような明さを投げ掛けて来る。

「悪いな、あんまり連絡出来んで」 

 対する英和の物言いには未だ晴れぬ蟠りが明らかに見て取れる。

 傍から見れば実にまどろっこしい情景に違いない。でもそうする事でしか気持ちを表現出来ない今の二人に秘められた純粋な思惑は柔順な経路を辿ろうとはしない。

 そんな両者の間に割って入る強烈な夕焼けは取り合えずと言わんばかりの寛容を併せた強い意志を以て二人の身体を動かせる。

 その意志を看過出来なかった二人は歩きながら話し始める。

「なぁ、何でもっと連絡して来ないの?」

「お互い様ちゃうか~......」

 人目を気にする英和はこんな皮肉しか口にする事が出来ない。その上でも直子を思いやる気持ちは優しい仕種となってその手に触れて行く。

 軽い笑みを浮かべる直子の手は英和の指の間に強く絡んで行く。照れ笑いをする彼の表情を見た直子は笑いを堪える事が出来ずに口走る。

「あんたってほんまに正直やねんな、顔赤いで?」 

 それは英和自身が一番理解していた事であり、心の代謝が良過ぎる自分の素直にも稚拙な感情の起伏を逆恨みしてしまう。

 そんな調子で二人が辿り着いた夕暮れ時の浜辺は、切ない雰囲気の中にもロマンチックな舞台を提供してくれる。

 日が沈み切る前の水平線の真っすぐな直線は地球の丸さを物語るような穏やかな楕円形を現わし、そこに向けて飛び立つ数羽の鳥達の姿は今日一日に別れを告げるかのように儚く映る。

 少々強い風と波を斬きながら進む船は目的地を目指しながらも緩慢な時の流れを体現し、港に見る人影はまるで人生を顧みるような抒情的な淋しさに酔いしれながら彷徨している。

 意図するものに個人差はあれど、この夕暮れ時の海にある物悲しい光景には人を癒やしたり勇気付けたりする心根が存在し、優しい包容力を以て人の心を溶かしてくれる。

 岸壁に打ち寄せる波音は変化という意志で横槍を入れて来るようにも感じるが、引いては寄せて、寄せては引くという反復される波の動きは現状を弁えながらも悠久の歴史にある世の神秘を教えてくれている。

「で、今日はどんな心境の変化で私を誘ったの?」

 遠くを見つめながら言う直子の横顔は綺麗だった。

「......気まぐれかな?」

 真似するように遠くに目線を置いたまま答える英和の横顔も無様では無かった。

 ただでさえ口数の少ない二人がこれ以上無口になってどうするのか。映画のワンシーンでもありまいし、こんな調子でこの先やって行けるのだろうか。

 だが今の二人に余計な言葉など要らなかった事も自明の事実で、そんな情景にこそ真実を見出すべく己が心情を自然の風景に準えるかの如く、ただ身を任せて黄昏れに戯れる二人であった。

 

 

 

 

 

 

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